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あの街の川縁のカフェで

 夏休みが終わって、ジュンコさんはいつも暮らしている街に帰っていった。ぼくは、夏休みの間に書いていた日記を開いて、ジュンコさんに教わったことの覚え書きを読み返した。
 最初の内は、「思いついたらいつでも書く」とか、「自分の心をそのままではなく、心にぴったりくるまで言葉で遊んでみる」とか、面白かったアドバイスをメモしていた。そのメモを一日一日書き留めている。それが、ぼくが夏休みの間に書いた一冊のノートだったのだと今、思い返している。
「よし、できた」
 一緒にドトールで書いているとき、ジュンコさんは手を叩いて、ポメラをパタンと閉じた。そのまま、深く息をついて、しばらく黙っていた。「できた」って何が? 今までどんな小説を書いていたの? ぼくの中でいろいろな疑問が渦巻いてきたけど、何も言えなかった。
 ジュンコさんが、「できた」っていうまで、アドバイスはもう出尽くしていて、ぼくらはひたすら文字を書き続けた。ぼくの自由帳のノートが一冊終わった時には、ぼくが考えた勇者ダイキが、ピエロの怪人を剣でやっつけていた。ぼくは、どちらかというと、勇者ダイキの冒険ではなく、ピエロの怪人のほうがずっと気になっていた。勇者ダイキの剣の攻撃をかわしつつ、かといって逃げているわけではない、絶妙なタイミングで白い手袋を着けた手でダイキに攻撃を仕掛けてくる。
 この「絶妙なタイミング」という言葉を、ぼくはどうしても小説に書きたかった。「絶妙なタイミング」とピエロが出てくるシーンにさしかかるまで、ずっと頭の中で撮っておいて、やっとピエロが出てきたとき、ぼくはピエロの奇妙な動きのパンチが、勇者ダイキの剣を構えた脇腹に襲いかかってくる様子を思い描いた。漫画でもアニメでも見たことのない、彼だけの技だった。
 ダイキは、ピエロを倒して街に帰った。そして昔から好きだった幼なじみの女の子と結婚した。「まあ、ありきたりだけど」「そうだね」ぼくの中にある物語に、ジュンコさんはそう言って笑った。ぼくも笑った。ありきたりだと言われても、二人でずっと書いていたことを知っていたし、その時間が楽しかったから、良かった。
 ジュンコさんからは、一冊本が届いた。それは、「あの街の川縁のカフェで」という本だった。表紙が綺麗な川辺の写真で、水面がきらきらと太陽の光に照らされて青く光っていた。空が広い。まるで、ぼくが住んでいる街からの景色のようだった。物語がいくつか入っていて、どれもカフェから見た景色から始まる。内容は、難しかったけど、本を読んでいるとジュンコさんの話を聞いているみたいで、おしゃれなフランスパンのような、ちょっとあたたかくて、香ばしくて、ごきげんなジュンコさんの話し方をすぐに思い出した。
 ジュンコさんが、帰ったからぼくが書くのをやめたのか、というとそうでもない。むしろ、これから、一緒に書いてくれる仲間を探すつもりだ。さっそく、「勇者ダイキの冒険」を書いた自由帳を、隣の席のユウマと、アヤカに見せたら興奮して読んでいた。ぼくは得意顔で、二人が自由帳を眺めているのを見守った。ユウマは、「次はドラゴンを出そう!」と、言って、アヤカは挿絵を描いてくれた。怪人のピエロの絵をお願いしたら、思っていたのと同じような、ちょっとちがうような不思議な絵が帰ってきて、楽しかった。これからは、一緒に何かを作れると思う。そうだ、ジュンコさんが帰ってきたら、「勇者ダイキの冒険」も本にして、あげよう。

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