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『勝利投手』 1 プロローグ

「いったい、どうなっとるンや?」

 連日30度を超す8月の第2金曜日。東京・築地の喫茶店で遅い昼食をとっている日日スポーツの高橋大祐記者に話しかけたのは、同新聞社の専属評論家・星野仙一だった。
 元中日ドラゴンズのエースでかつては巨人キラーの異名をとった星野も昨年いっぱいでユニフォームをぬぎ、将来の指導者として目下のところ充電中である。高橋とは現役の頃からの付きあいで、常に星野にとってよき助言者だった。
「どうしたもこうしたも、こっちが聞きたいくらいだよ。」
 高橋は野菜サラダの最後の一口をフォークで口に運んだ。2人はたった今までテレビで見ていたS高のエースピッチャー羽田真佐について話しているのだ。
 今年の夏の大会は順調に日程を消化していて、すでにベスト4を残すのみとなっていた。技術の向上した近年の高校野球では初出場校ながら勝ち進むのは至難の業とされていたが、それにもかかわらず池田、横浜商、広島商と並んで残ったのは初出場校の西東京の代表・S高校だった。
 S高は選手個々の実力がうんぬんというよりもエース羽田真祐の左腕に頼るところの大きい、いわゆるワンマンチームだった。最上級生の羽田だが1、2年生の時の成績には際だったものはなく、大器晩成型の豪速球投手である。時速140キロの球速と多彩な変化球には目をみはるものがあり、今大会ナンバーワンの呼び声が高かった。身長166センチと体格のいい近頃の高校生にしては小柄な羽田投手をマスコミは“小さな大投手”ともてはやしたが、その実力以上に話題をよんだのは彼の行動にあった。
 羽田は大のマスコミ嫌いということで試合後のインタビューに応じることもなかったし、いつも帽子を目深にかぶっていて絶対カメラに顔をむけなかった。また、その帽子からはみだしている髪の様子からして、どうやらあの高校野球には欠くことのできない坊主頭にしているようには見えなかった。マスコミの非難を浴びて大会役員も監督をとおして厳重注意を与えたが、理由には一切触れず「申しわけありません」だけを連発するS高・小櫃監督とガンとして聞き入れようとしない羽田の態度から、なにかよほど深いわけがあるに違いないと結局黙認されてきた。
 しかし1回戦から相手チームに得点を許さず、連続無失点記録を更新中の羽田にまつわる疑惑は世間の人々関心を集めた。こうなると疑惑は疑惑をよび、スポーツ新聞や週刊誌は“甲子園出場の重圧に耐えかねての神経性円型脱毛症”だの“予選直後の交通事故で額に三日月形の傷”だの勝手放題書きたてていた。
 裏づけのない憶測ばかりのデマ記事を極端に嫌う正統派の高橋記者は、この道21年のベテランだったが、目下のところ全くお手あげといった状態だった。
「試合後のインタビューばかりか、宿舎での取材も一切お断りだって?」
 コーヒーを啜る高橋に星野はたずねた。
「そうなんだ。S高でも他の連中はそんなことないのになァ。そいつらも肝心の羽田のことになるとピタリと口をとざすんだ。」
「ほお、そりゃあ、なんかあるな。単なるマスコミ嫌いとは思えん。」
 だいたい人間なんて勝手なもので、成績のよくないときはマスコミほど憎らしく思えるものはないし、逆に調子が上向きのときのマスコミがチヤホヤもてはやしてくれるのはうれしいものだ。
「ワシは、巨人戦で好投しているときなんかヒーローインタビューのお立ち台が待ちどおしくて仕方なかったぜ。」
「仙ちゃんはバッターに投げながらインタビューの内容を考えてたんだろう?」
「そういうこと。」
 2人は声をたてて笑った。
「どうだい、仙ちゃん。しあさってから広島だけど、明日甲子園によってみようか。」

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