村田沙耶香『消滅都市』から(なぜか)劇場版『銀河鉄道999』へ

しばらく放置になっていたので、自分の書く修練として、もう少し気軽なことも書いてみます。 

 話題になっていた『地球星人』も気になってるのでその準備として村田沙耶香『消滅都市』を読む。
すべてがクリーンで合理的になり、子供も人工受精で「繁殖」されるようになり、性欲も夫婦という「家族」の間では非合理なものとして「正しく」処理される世界。

 そこでの「正しく」「正常」さが突き進められて行く一方で、「身体」からの欲望が時おり制御されずに現れてくるところも一つの鍵となっているけれど、こんなクリーンさを追求した関係は、時代によっては、慎ましく、節度ある理想的な夫婦関係ともされるんじゃないでしょうかね。今どきの若者など見てるとそんな「進化」をとげているのかなという気がしてきます。私などはせっかく一緒に住んでるのに、ちょっと淡白すぎて寂しいのではとも思う、昭和の老害ですが、その点では文庫版の斎藤環氏の解説にも共感しています。

生権力をめぐる問題が「生殖」のコントロールにも集約されることが多い(カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』でも「子供が産めなく」されてますし)のは常々興味を惹かれてますが、こちらはこれからジェンダーの専門家の先生方の研究を参照しながら勉強したいと思います。ちょうど岩波の『思想』(2019年5月号)が「生殖/子ども」なのでこちらも注文。難しそうなので少しずつ進めたいと思います。

 そして、合理性を突き詰めていけば、もう身体なんて不便で制御の効かないものは機械にしてしまえばいいだろうということになるので、久しぶりに『銀河鉄道999』を久しぶりに観たら、存外良くできているなと感心する。40年前なんだなと改めて驚く。

 永遠の命を持つ機械の帝国(機械伯爵やらプロメシュームやら)と、命の限られた血の通った人間との対立(それがメーテルの両義的な葛藤が軸となって揺さぶられることになるところも含めて)や、鉄郎とメーテルの「息子-母」の理想化されたエディプス的関係に加えて、メーテルとプロメシュームとの「娘-母」関係なども絡めながら、図式的になりすぎず、エンターテインメントとしてよくまとめ上げられているなと関心。そして鉄郎に加勢するハーロックには、(「男なら」を強調するのは時代を感じるけれど)いまなら男も女も憧れる姿ではないだろうかな、とも。

 最後の別れの場面で目頭を熱くしてしまう四十路の姿は人に見せられたものではないけれど、やはり傑作。そして、これが1979年制作でもう40年前の作品ということにも改めて驚いた(野沢雅子の声が変わってない・・・)。
いま見直せてよかった。


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