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ディレッタント式読書論

1.知識を溜め込むのではなく、知恵を磨く経験値は、単に経験の量によっては高まらない。思考に蒸留された経験の意味が結び合い、未知の事象を捉える網として活用できる、そのことを以って「経験値がある」と云う。 経験を「経験値」として織り上げることのできる人間にとっては、どんな経験もその網の目を精細化する縦糸横糸となる。 読書もまた、経験値の網の目の一本の糸として、織り込まれてゆくことになる。ただこんな経験をした、こんな本を読んだ、それだけでは、何の意味もないのである。 独学とは、こ

    • ディレッタント式教養講座

      はじめに断っておくと、これは、アカデミックな意味でなんらかの意義を持つマッピングではなく、ディレッタント式アナロジー読書の一例、実践編です。 よく、読書は生きていくのに役に立つか、という功利主義的な質問をされることがありますが、いやもう、役に立ちまくりです! より正確には、本質的な読書というのは、本来それ自体を目的とするもので、つまり「役に立つ」という「別の目的」に従属するような隷属的な行為ではないんですが、それが結果的に「役にも立っちゃう」わけです。 さて、+Mの基本教

      • アナロジーの散歩

        現代では、70代で死ぬと、早死にしたような扱いを受ける。80代まで生きるのがあたりまえのようだ。 だが、身体のサイズから計算すると、本来ホモ・サピエンスの寿命は50代が妥当なものであるらしい。60代を過ぎて生きるのは、おまけの時間を過ごしているということでもある。 真夜中、町を散歩する。ヘッドフォンでサティのピアノ曲を聴く。昼間聴くよりも音の粒立ちがいい。夜は、町が静かだからだろう。一日が終わった後の、おまけの時間。 生物学的な観点に照らせば、子どもが自立した後の時間は余

        • 身体をめぐる断想1

          1.ピーター・ゴドフリー・スミス『タコの心身問題 頭足類から考える意識の起源』(夏目大訳 みすず書房)に、「一つの行動はどれも、身体の多数の部分の小さな動きから構成される」ーこの「構成」をアレンジメントするのが、神経ー脳の役割であるという視点が紹介される。 単細胞生物にとっては、身体とは一つの細胞でしかない。だから、単細胞生物の挙動を考えるには、細胞の内(身体)と外(環境)の対応関係を見ればそれで済む。 だが多細胞生物の場合は、この内/外の関係に加えて、さらに内/内の機構が

        ディレッタント式読書論

          ブルーノ・ゼーヴィ『空間としての建築』

          最初の訳出は1966年だから、もう半世紀以上前だ。大戦後の建築論を、建築の意匠、様式という美術史的な文脈から、「内部空間の意味」というより根底的な意味論へと定礎しなおした古典的な著作。 建築は、線と面、直線と曲線、密閉と破れ目、光と闇などの対項を組み合わせつつ、内なる空間をつくりだす。 そして、私たちが建築の外部と内部、内部の仕切り内を運動することによって、生活や儀式において、その建築の生きられた意味がつくりだされる。 著者は、建築が内部空間の生きられた経験を創造する生活

          ブルーノ・ゼーヴィ『空間としての建築』

          沖田瑞穂『怖い女』

          女は産む性だ。だが産んだからには「回収」せねばならない。それがこの世界の秩序を取ろうとする神話的思考だ。産みっぱなしではこの世に人が溢れてしまう。 だから女は生を与えるのと同時に奪う性でもある。女性、母性の「奪う性」としての側面が強調されると、そこに「怖い女」が現れる。 この本では、世界各地の神話や昔話、現代日本の都市伝説やホラーに至るまで「怖い女」がどのように描かれているかを巡りつつ、その核にある「産出ー回収」の神話的思考を浮き彫りにしている。 ユング派の心理学者・河合隼

          沖田瑞穂『怖い女』

          フランツ・ボアズ『プリミティヴアート』

          芸術は、社会の余剰ではない。余裕のある一部の人の手慰みではない。芸術は、むしろ人類という種の根源的な過剰性に根ざしている。いわば人類が人類であるのは、芸術に惹かれることによってなのである。 この芸術人類学の古典的著作で主張されるのは、何よりもまずそうした観点だ。だから、芸術は社会的にどんな機能を持つのか、という問いに対して、ボアズはそれについての学説を紹介しつつ、じつのところあまり興味を持っていないように感じられる。 芸術は何かの役に立つために生み出されるのではない。逆である

          フランツ・ボアズ『プリミティヴアート』

          海部陽介『人間らしさとは何か』

          関節可動性の高さ ヒトを含む霊長類は、関節可動性が高い。個々の関節が、可動性を高めるように設計されている。私たちは肩をぐるっと回せるし、左右の脚を開いたり、つま先を横に向けたりもできる。 私たちが四肢を自由に動かせるのは、肩関節や股関節が球関節と呼ばれる構造をしているからだ。肘関節はさらに複雑な動きができる構造になっている。 このような霊長類の高い関節可動性は、枝を握りながら樹状を動き回っていたその元々の姿に起因したものだろう。私たちはそんな遺産を受け継いでいる。そのため、オ

          海部陽介『人間らしさとは何か』

          古川武士『書く瞑想』

          「瞑想」とは何か。「無意識と通じるための技法」である。人は常日頃「意識的」に生きている。何かを「しよう」として、そのために思考をめぐらして生きている。この「する」モードを止める。「ある」モード、或いは「なる」モードにギアチェンジする。 そのことで、自分の身体、無意識が感じている微かな兆し、徴しに意識を向けなおし、自分が感じている「本当の感情」をすくいとっていく。 この本では、「書く」ことを通して、自分が今感じている「本当の感情」に通じていく技法が説かれている。 人はなぜ瞑想

          古川武士『書く瞑想』

          北岡明佳『だまされる視覚』

          著者の専門は知覚心理学。錯視デザインという新しい領域を開拓し、画期的な錯視図形を次々に発表している。 ホームページで、その一部を見ることができる。 トップページの「蛇の回転」、動いているようにしか見えない。 錯覚とは「実在する対象の誤った知覚」のことだ。だが錯視図形は、脳の視覚野の癖に起因する現象なので、例えば、上の「蛇の回転」だが、動いていないはずの図形が動いているよう”にしか見えない”。人間の感覚には”そうとしか見えない”のであれば、それは「錯覚」と言えるのだろうか、

          北岡明佳『だまされる視覚』

          ヤナ・ワインスタイン他『認知心理学者が教える最適の学習法』

          認知心理学の観点から見た効率のいい学習方法についての具体的な提言。 いくつか、興味を惹かれたトピックを引いておく。 まず、教科書、参考書の再読、再々読は、流暢に読めるようになるだけで、そこに書かれている内容を応用的な知識として身につけるための学習効果はほとんどない。 流暢に読めるようになることで、そこに書かれていることをより理解できた気になるが、これはバイアスである。じっさいにテストしてみれば分かる。一度だけ読んだ場合と、二度、三度と読んだ場合とで、結果にほとんど差は出ない

          ヤナ・ワインスタイン他『認知心理学者が教える最適の学習法』

          沖田瑞穂『怖い家』

          「家」は最も内密な空間だ。そして内密であるからこそ、そこには最もリアルな肌触りの不気味さが宿るー「家にはさまざまな想いがひしめく。そこは人々が住み、出かけては帰ってくる場所だ。しかしそこにはまた、実際にはいないはずの存在も棲みついていることがある」。 家とは「境界」である。内密さとよそよそしさの境界、自分と異物との境界、この世とあの世との境界……。 沖田瑞穂が神話学の観点から、神話や民話、さらに現代のフィクションや都市伝説に至る膨大なソースを博捜して、「家をめぐる恐怖」の諸相

          沖田瑞穂『怖い家』

          橋本倫史『ドライブイン探訪』

          戦後、高度経済成長を経て、日本の隅々まで道路網が敷かれ、それにつれてドライブインもまた隆盛した。 巨大スーパーやモール、コンビニもない時代、ドライブインは、ドライバーのみならず、地域の住民にとっても、皆が集まるたまり場であり、食事処であり、宴会場としての機能を果たした。 そんな昭和のドライブインは、時代の流れの中でどんどん潰れていき、残存しているドライブインにも往時の賑やかな面影はない。 著者は、そんなドライブインを訪ね、その店主、経営者に話を聞く。この本は、その聞き書きを軸

          橋本倫史『ドライブイン探訪』

          どうでもいいことの記録

          2022-08-01 ふと思い出す。子供の頃、マカロニサラダが好きすぎて、無くなるのがもったいないと思って一本ずつ味わって食べていたら、途中で食べるのに飽きてしまった。 2022-08-02 ふと思い出す。父はよく煙草をふかしていた。口や鼻から吐き出される煙をじっと見ていると、口をすぼめて煙で輪っかをつくって飛ばしてくれた。パァッと笑うまだ幼児のおれ。 2022-08-03 書斎においてあるウツボカズラ、何袋か枯れてカサカサになっている。踏み潰すとクシャッと壊れるかなと思

          どうでもいいことの記録

          弱さと強さをめぐるノート

          強者と弱者がいるのではなく、ただ弱者がいる。強者とは、弱者を叩く弱者でしかない。 弱者は強者になるのではなく、弱者でも強者でもない人になろうとした方がいい。コンプレックスをバネにして頑張るのではなく、コンプレックスを解体してしまうことのできる「場」を見出す方がいい。 コンプレックスを解体してしまうことのできる「場」は、どこにあるのか。 コミュニケーションのなかにある。もっと端的な言葉で言ってしまえば、「愛」のなかにある。 弱者が「強くなろう」とすると、ほとんど必ず間違うこ

          弱さと強さをめぐるノート

          Iとの対話① 未来から過去へと流れる時間

          夜。リビングに設置したハンモックに寝転ぶと、飼い猫の胡桃が飛び乗ってくる。喉を鳴らす胡桃を撫でていると、一日の疲れが溶け出していくような心地になる。うっとりとした気分で、スマホを見ると、そのタイミングで彼女からLINEが入ってきた。 I「私たちは、未来から、過去に向かってるってほんと?」 いきなり?と思われた向きもあろうがいきなりである。ふたりの間には独自のリズムができていて、唐突な話題でもすぐにそのなかに入っていくことができる。 M「そう思うよ」 I「それってどうい

          Iとの対話① 未来から過去へと流れる時間