マサコ〜ジャズ喫茶への憧れ
自分の町にもジャズ喫茶がたしか三つぐらいあった
大学生のフリをして、タバコを吸い、たまには酒も呑んだ
最初に通い出した一軒は、髪の長い、愛想も愛嬌もない、浅川マキとか七十年代のフォークシンガーのような、いま思えばあの時代の典型的なサブカルっぽい女の人が店員もしくは店主だった
あのころ、中上健次経由でビート文学とかに少しかぶれたり、「ガロ」、「宝島」(前世)、「ビックリハウス」、「ロッキングオン」、植草甚一とか晶文社の本を好んで読んでいた
いちばん思い出深いのは、レイモンド・マンゴー『就職しないで生きるには』かもしれない
検索してみたら当時読んだのは出たばかりの最新刊だったようだ
この本に強く感化されて、自由業もしくは無職のようなものを目指したのだったが、才覚も意思も計画もなく、働く気はないからとりあえず大学に入り、ただフラフラするだけでにっちもさっちもいかなくなり、結局逃避的に勤め人になるしかなくなった
町を出るまで行きつけとなった二軒目は、なぜか勝手に推定立教出身の、なんとなく都会の匂いがする、眼鏡をかけて髭をたくわえた細身のマスターと、一軒目の店員だか店主ととルックスは似ているが笑みのよい女の人の店だった
柴門ふみの初期の作品に似たようなエピソードが出てくるのだが、二人がどういう間柄なのかとても気になったというか夫婦でないなら恋愛関係であってほしかった
男女を色恋もしくはオスメスでしか捉えられない頭の悪さだった
お酒は呑めないけど居酒屋が好きな人と同じく、ジャズ喫茶という場所に憧れていただけだが、二軒目の扉を開けたらパット・メセニーが流れてきた瞬間はいまだに忘れられない
コーヒー代とタバコ代の大半は祖母の財布からくすねた、あるいは盗んだカネであったのだから、滔々と語るのは恥ずかしいことだが、とにかくジャズ喫茶という電波に導かれ、進学を方便にあずさで新宿へ出た
DIGとかDUGとかポニーとか木馬とか、高田馬場ではマイルストンとかイントロとか、中野にもひとつあった
薄暗い店の中で私語を交わさそうにも交わせない大音量のジャズを滝行のように浴びながら、何を得たのか得なかったのかよくわからない
下北沢と旧マサコへとたどり着くのはもう少し先のことだ
つらつらしすぎたのでまたそのうち書き留めようと思う
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