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どんでん返し短編小説『君子がいるね』

江戸川区に現れた悪魔を退治し、病院へと寄った後、浜崎唯は自宅へと戻った。
「遅いよ。今日は浜崎さんが夕食当番の日なんだからね」
同居人の金沢舞が口を尖らせた。
「ごめん、今作るから」
浜崎はトンガリ帽子を脱ぎ、台所へと立った。アボカドとツナを使ったパスタをさっさと作り、金沢に差し出す。

「いただきます」
嬉しそうに金沢はパスタを頬張った。魔女の仕事で疲れている浜崎は食欲がわかず、結局フォークを握ることすらしなかった。
「食べないの?栄養摂らないと、魔力がわかないよ」
「そうね。でも明日は仕事が休みだからいいの。魔法なんて一切使わないでゆっくり過ごすの」

24世紀になってから急激に魔術が発達して以来、魔女としての素質を持って生まれた浜崎は毎日政府からこき使われ続けてきた。久々の休みである明日は岩盤浴にでも行こうかと考えている。

「いいなぁ、休み。ウチなんか明日は朝から魔女の会合に行かなくちゃなんだから……あれ、会合って何時からだっけ」
「知らないわよ。自分の手帳、見てみたら?」
「ウチ、手帳持ってないもん」
「この前私があげた手帳はどうしたの?」
「失くしちゃった」
具合と罰が悪そうに金沢は口元を歪めた。
「だらしない」
 短く鋭く浜崎は唱えるように言った。「予定なんていうものはいくらでも発生するんだから、できた瞬間に記しておかなくちゃ」

「いいもん、通達の鏡に聞くから」
 金沢は化粧台の上に置いてある鏡の前に立った。

通達の鏡。魔女たちはその鏡をそう呼ぶ。鏡の前に立つ魔女に対して、何か大切な情報を通達してくれるのだ。
「通達の鏡よ、私が参加する明日の魔女の会合の開始時刻を教えてちょうだい」
 金沢は鏡にむかって言った。しかし、鏡は無反応だ。

「鏡は気まぐれだから。通達をしてくれないこともあるのよ」
 うっすら笑いながら浜崎が言った。通達の鏡は必要なことを教えてくれなかったり、はたまた不必要なことを通達してきたりする。つい最近も浜崎に向かって『ダイエットしろ』と急に通告をしてきた。

 金沢はハンカチを手に持つと、通達の鏡を磨き始めた。時折、温かい吐息を鏡にむかって吹きかけ、曇った其処をゴシゴシとしてやる。
「鏡よ、ご機嫌になってちょうだい。お願いだから魔女の会合の開始時間について教えて」
 刹那、鏡が光った。通告の鏡の中央部が突然発生した血で濡れはじめる。血はにゅるにゅると動き、やがて文字を形成した。
『8 時 20 分』
「ありがとう」
 通達の鏡は再び光を発し、光が消えると共に血の文字も消滅した。

 

夕食の後片付けを終えた後、浜崎はノートを開いた。そこへレシートを貼り付ける。本日スーパーで買ったアボカドとトマトとパスタのレシートである。その下に今日の日記をつけた。
「相変わらず几帳面だねぇ」
 風呂上がりのミルクを飲みながら金沢が言った。
「未来のことを手帳に書いて、過去のことを日記に書く。そうやって証を作ってるのよ」
「証?」

「未来も過去も霞んでしまうから。さっきだって、あなたは明日の魔女の会合について忘れていて危うかったでしょ? 未来はね、きちんと記しておかなくちゃ。当然、過去だって振り返らなくちゃ忘れるでしょ? 未来も過去も忘れてしまわない為には証が必要ってこと」

「ふぅん・・・・・・あれ、通達の鏡がまた光ってない?」
「あら、本当だ」
 浜崎はノートを閉じ、通達の鏡の前に立った。今回は一体何を通達してくるのだろう。

『君 子 が い る ね』

 通達の鏡は血の文字でそう記した。

「く、ん、し?君子ってなんだっけ?」
「中国の古い言葉よ。優れた人のことをそう称すの。諺でも、君子危うきに近寄らず、ってあるでしょう?」
「さぁ、知らない」
「もう。呪文だけじゃなくて、言葉の勉強もたまにはしなさい。新聞を読んだり読書もしなくちゃ」

浜崎はため息をつき、通達の鏡の文字を改めてみる。
「これ、どういうことなのかしら。そのままの意味で受け取るなら、優れた人がいるね、ってことになるけれども、鏡の意図がわからないわ」
「ウチのことを指して、優れているねって言ってくれているんじゃない?」
「まさか」
 クスリと浜崎は笑った。

「じゃあ、浜崎さんことを君子って誉めてるんじゃない?浜崎さん、めちゃくちゃ賢いもん」
「そんなことないわ。私より優秀な魔女は沢山いる」
「でも高貴な魔術の資格、いっぱい持ってるでしょ?」
「磨いたりしてご機嫌をとらないと通達をしてくれない鏡よ?無条件に無下に私のことを誉めたりなんてするかしらねぇ」

「くんし、じゃなくて、きみこって読むのかも」
「きみこ?誰それ。そんな名の人、この家にはいないでしょう。ここには私とあなたしかいないのだもの」
「きみこさんっていう謎の人物が透明魔法を使ってこの部屋のどこかに隠れているのかも」
 いたずらっぽく金沢が言った。
「そんな怖いこと言わないで。さて、もう眠りましょうか。私も疲れているし、あなたも明日 仕事が早いのでしょう」

二人は寝室へと行った。寝室が少しばかり蒸し暑かったので浜崎は窓を開けた。
「何かしら。音がするわ」
 すぐ隣の家から物音と人の声が聞こえる。限りなく喧噪に近い。音は次第に大きくなって喧噪になった。固体と固体がぶつかる音、そして「やめて、放して」という金切声が浜崎の耳に障る。

「隣って確か野村さんの家よね。何があったのかしら」
「元魔女狩りよ」
 浜崎の背後で静かに金沢が言った。「野村さん、密かに結婚してたから。きっとそれがバレて今、役人が連行しようとしているのよ」
 魔術を扱う素質を持って生まれたのであれば、生涯処女を突き通すこと。政府が24世紀の初めに発布した決まりごとだ。魔女として生まれたとしても男性と契りを交わすことで魔術は消滅してしまう。魔法は現代文明に欠かせないものなので当然政府は魔女の人口を減らしたくない。そこで政府は魔女に対して男性との性的な交わりを禁じ、破ったものには処罰を下すようになった。

「助けに行かなくちゃ」
 浜崎はローブを羽織った。しかし、そんな彼女の腕を金沢が強く握ってきた。
「無駄だよ。今晩なんとか役人を追い払ったって、明日にもっと大勢の役人が来るだけだから」

 

再び通達の鏡が光ったのはそれから4日後の夜だった。
「また同じこと通達してきたよ、こいつ。きみこさんなんてこの家にいないっつうの」
 チョコレートを齧りながら金沢が言った。
「鏡は何を伝えたいのかしら。もしかして金沢さんが前に言った通り、本当にこの部屋にきみこさんが隠れていたりして」

「よし、確かめてみよう」
 金沢は持っていたチョコレートを全て口へと放り込むと、魔法陣を紙に書いた。そして、そこへ自身の血を垂らし、「マグナ・カシュニア」と唱えた。
「周辺把握の魔法ね。けっこう難しい魔法だけれど使えるのね」
「うん。半径5メートル以内に人が何人いるかを把握する呪文・・・・・・3、だ」
「え?」
「ここに人が3人いる、って脳に伝わって来た」
「そんな・・・・・・じゃあ本当にこの部屋にきみこさんっていう魔女が透明化して隠れているというの?」
「そういうことになるね」

「不気味極まりないわ・・・・・・ねぇ、きみこさん。聞いてる? あなたがなんでこの家に来て隠れているのか知らないけど、出てきてくれないかしら。姿形が見えない他人が潜んでいるだなんて知ちゃったら不安で不安で眠れやしないわ」
 宙にむかって呼びかける浜崎をじっと金沢は凝視している。
「・・・・・・浜崎さん、透明を解かせる呪文を唱えればいいじゃん。そうしたら透明じゃなくなったきみこさんが正体を現すよ。どうしてしないの?」
「そういえばそんな呪文があったわね。あの呪文、まだ習得していないの」
「嘘つき。浜崎さんレベルの魔女ならとっくに習得してるはずだよ」
「そういえば習ったかも。ただね、今日はちょっと調子が悪くて魔力がこみ上げてこないの。さて、そろそろ眠ろうかしら」

「・・・最近さ、浜崎さん全然魔法を使わないよね」
「そうかしら」
「なんだかおかしいよ、浜崎さん。料理も掃除も全く魔法を使わないで手作業でやってるし、仕事も休むようになったし。どうしちゃったの」
 浜崎は大きく息を吸い、通達の鏡の前に立った。

「意地悪したせいなんだから」
 鏡にむかって呟いた。そして、金沢の方を振り返る。

「きみこでもくんしでもなくて きみ、こ なの」
「え? どういうこと」
浜崎は鏡に書かれている『君』と『子』の文字の間にある血しぶきを指した。

「この血しぶきはね、点なの。だからこう読む。君、子がいるねって」
浜崎は自分の指に付いた血をティッシュでそっと拭い、金沢と目を合わせた。

「君、子がいるね。つまり、君には子供がいるねって鏡はそう伝えてきたの・・・・・・あのね、私ね、お腹の中にね、赤ちゃんがいるの。もうわかるわよね。そう、私はもはや魔女ではないの。魔法を使えないけれど、仕事は仕事。魔法を使わずにここ最近は悪魔と戦い続けてきたの」

「どうして・・・・・・浜崎さん、優秀な魔女だったのに。沢山の呪文を覚えていたし、箒に乗るのが誰よりも上手だった。勿体ないよ。ねぇ、魔女であることを捨ててまで男性と付き合いたかったの?ううん、付き合うだけじゃ魔力はなくならない。魔女であることを放棄してまで体を交わらせたい男の人がいたの?」

「私が愛した男の人はね、病弱だったの。長い間、病院で病気と闘い続けたけど、つい最近 亡くなっちゃった。私がアボカドとツナのパスタを作った日、覚えてる? あの日にこの世界を去ったの。
 難病を抱えていた彼だったから、いずれ近いうちにお別れするってことはわかっていたわ。だからね、証を作ったの」

「証?」

「そう。目の前にいる彼はいずれいなくなってしまい、さらにそのいずれからいずれ時が経てば私の彼への想いももしかしたら弱くなっていって、彼が霞んでしまうような気がした。私と彼は確かに愛し合っていた。その事実が霞んでしまないように、私は彼と契りを交わしたの」

浜崎はお腹に手を当てた。温かい膨らみからは鼓動を感じる。それは生命力に溢れていて、浜崎が愛した男がこの世界にいたことの紛れもない証であった。(完)

               
 


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