見出し画像

高校から今に至るまでの自己紹介(読了5分くらい)

都内メーカーで務める三十路です。簡単に自己紹介させていただきます。

高校

家から歩いて5分の高校は冷暖房がなく、制服も微妙だったので、バス、電車、バスを乗り継いで1時間ほど先の高校へ通っていました。
ただ朝がめっぽう弱いので毎朝母が学校の玄関口まで車をビタ付けにしてくれて、おかげさまで3年間皆勤賞。母から「それは私の皆勤賞や。」と言われたことが思い出です。

大学

実家で猫を飼っていたのでどうしても実家から出たくなかった私は、家から一番近い外国語学部がある大学へ進学しました。「受けれるときに受けとけ」精神が強かったので、他学科の授業も受けまくり、他ゼミの授業も受けまくり、4回生でも週3回通学していました。1回生の頃からずっと特待生学費免除制度へ申し込んでいましたがとにかく単位を取りまくっていたこともあり成績評価が不足していて、4回生のときにやっと半額免除申込資格を取得できました。ところが全額免除対象者がいなかったようで繰り上がり合格で全額免除してもらったというラッキーでもあり、自分も含め、愛すべきおばかが集う大学なんだと思い愛校心が増した出来事でした。

社会人

これまた実家から出たくなかった私は実家から通える範囲で5社程度受けて、最終的に中小企業1社、大企業1社の2社内定をもらい、なんやかんやあり大企業の方へ就職しました。正直何をしている会社か殆どわかっていませんでした。入社後2週間の研修を受け、最終日に配属先発表が行われました。配属先の部署名が、これまた何をしている部署かわからず、ここから私の「なんでもやさん」社会人生活が始まります。そこからあっという間に実家を出ることになって今は都内にいます。

なんでもやさん = All-Rounder

"All-Rounder"という言葉を知ったのはゼミの先生が、フィリピン研修旅行の動画を作ってくれた時でした。茶目っ気のある先生は、エンドロールに学生のあだ名を載せており、私の名前の隣にあったのが "All-Rounder"。今思えば、このころからなんでもやさん人生が始まっていたのかもしれません。
私は私が与えられている業務を未だに表すことができません。この世界は意外とそんな人で溢れているのではないかと思いつつ、あなたの生活に少しでも役に立てればと思い、このnoteを書き始めてみました。これからどうぞよろしくお願いいたします。

好きなことば 「私はなんにも知りません。しかし、伸びて行く方向に陽が当るようです。」

太宰治著の「パンドラの函」の一節です。専門家ではないので間違って認識しているかもしれませんが、この文章はいつでも私の心を明るく照らしてくれます。未来のことは誰にもわかりませんが、きっと伸びた先には心地よい世界があると、そう思って日々生きています。


この記事が参加している募集

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?