変なおじさん

新型コロナウイルスという脅威の感染病によって、志村けんさんが亡くなってしまった。その日からなんだか、志村けんさんの事ばかり考えている自分がいることに気が付く。1日のうちの半分は志村けんさんの事が頭に浮かぶし、色々な媒体で志村けんさんの事を調べては感銘を受け、ショックでたまらない気持ちになっている。知れば知る程に、魅力的で愛に溢れた素敵な人だった事がわかり、追悼番組や特集番組を食い入る様に観ては感傷的になってしまう。

特別に大ファンとかそういう訳ではなかったけれど、物心ついたばかりの幼い私にとって、一番初めのお笑いスターは志村けんさんだったかもしれない。
世代ではないのにも関わらず、何故かドリフターズのひげダンスや早口言葉、数々のコントの風景は私の記憶の片隅にある。推測としては、当時はまだ一緒に暮らしていたお父さんが、再放送か番組で取り上げられたか何かで観ていて笑っていた気がする。だから知らず知らずのうちに身体に染み付いていたのかもしれない。小学生の頃に行われた学芸会の学年全員での最初の掛け声は、「3年生だよ!全員集合!」の様な台詞だった気がするし、昔の写真を思い返すと、誰かしらがアイーンを決めている。ドリフターズや志村けんさんの影響力って凄まじいものだったんだなと、今になって身に染みている。

志村けんさんが演じる変なおじさんに誘拐されそうになり、とにかく怖い思いをした夢だって観た事がある。それほどに変なおじさんはリアルで如何にも何処かにいそうで危ない臭いがしたのを幼心に感じていた。幼かった私にとっては本当に変なおじさんでしかなかったけれど、今思えば一番初めの印象的なお笑いスターだったのだ。当時はテレビに映る変なおじさんが、お笑いスターかどうかさえわかっていなかったと思うけど。

それからはバカ殿は毎回当たり前の様に家族で観ていたし、番組の中で流れていた音や描写も、すごく懐かしく感じる。殿のやりたい放題な姿にひやひやしながらも、毎回最後まで見届けている自分がいたな。ちょっとエッチでくだらなくて何処か現実味がなくて、あれがコントという世界だったとは当時は思いもしなかった。いかりやさんの思いを受け継いだコントやネタ作りを、ずっと継承していたなんて今になって初めて知った。それほど志村けんさんは、お茶の間に当たり前の様に存在していたスターだったんだな。

はしご酒でダウンタウンと一緒にお酒を呑んでいる姿を観て、ローラと嬉しそうに談笑する姿を観て、悔しくて惜しい気持ちでいっぱいになった。あの恥ずかしそうに笑うニコニコな笑顔でお酒を呑んでいる姿を、私もどこかで見てみたかったな。東村山市出身で三鷹市にご自宅があった事も、なんだか勝手な親近感を感じているから、一度でいいから会ってみたかったな。最後にドリフターズが5人揃ってドリフ大爆笑のオープニングを撮り直している映像の中で、師匠であるいかりやさんの歩幅に合わせてゆっくり歩いている志村けんさんの姿に、なんて言うか生きる上でのとてもとても大切な事を教えられている気がした。その瞬間、自分の心が揺さぶられるのがわかってたまらなくなった。ちなみに加藤茶さんは、いかりやさんのめちゃくちゃ先を構わず歩いていて、笑ってしまった。

ドリフターズ、志村けんさん
たくさんの笑いをありがとうございました。


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