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自己紹介代わりの"自分はどうありたいか"

 noteを見ていると自己紹介記事を書いてるクリエイターさんが多い。過去、現在の出来事の集積としての自身をつらつらと書いている。そんな記事を見て、私は自分をどう表現するだろうと頭を抱えてきた。

私も書いてみようと何度か試みたものの、

「自分はどんな人間か」

が自分でもわからなくて泣く泣く画面を閉じた。

 私はもうすぐ大学を卒業してしまう。
ということで、次の進路を切り開かなければならず去年、今年と就活とやらを行ってきた。

 「自分がどんな人間か」がわからない私にとって就活はとても苦だった。自己分析をするといい、と幾度となくアドバイスを受けたが自分の過去を掘っても掘っても何も出てこやしない。

 以前「悔しさをばねに」という就活真っ只中の時期に書いた記事にも記した通り、自己分析は過去の事象への意味付けではなく、価値観の抽出である。あくまで自分を知るためのものなのだけど、自分を知るための素材すら過去の出来事から拾い集めることができなかった。

そのため、21年分の過去の蓄積であるはずの今の自分の輪郭がぼやけている。

そういうわけで、

私は今現在自分がどういう人間かを語ることができない。いや、自分語りしかしてないくせに、過去の記事見てみろよと自分でも心のどこかで思ってはいるのだけど。
故に過去を振り返るのを諦め、これから自分はどうありたいかをこの記事を通じて明確にしていくことを"自己紹介"とできたらな、と思って書いている。

さて。どうありたいのだろうか。

今パッと思いつくもの5項目について書いていく。

①意思決定ができるひと

脱優柔不断。
自分の軸を持っている人って結局意思決定できる人なんだなと、感じることがあった。

将来の夢とか目標とかやりたいことって
色々試すうちに自然と湧いてくるものだ
と思いながら過ごしてきた21年。

そんなことないのだと思う。
もちろん何かに強烈に魅入られてその道に進む人もいるだろうけど、むしろそういう人は少数派。

自分がどうありたいかも自然と決まっていくものだと思っていたけど、スタンスを自分で決めてその軸に沿わせて意思決定していくという考え方に私はとても納得した。

人生なんて意思決定の連続なのだから、
その意思決定は自分で行えるべきだし
行っていかなければならない。

②空気感を作れるひと

空気感を作れる人に憧れる。

それは例えば一番最初に口を広く人であったり、
緊張感を和らげ笑いを起こせる人であったり。

一度できた空気感に乗っかるのって簡単だけど、
それを作るとなると難しい。

何も大人数の会議とかで議論の空気を変えるなんて大それたことがしたいのではなくて、

1対1や1対2なんかの少人数の場面で
話しやすい空気感を自分で作れるようになりたいな、と。

楽しい空気とか話しやすい空気とか。

自分がいるだけで空気に何かしら影響を与えたいなって。誰かを笑わせたら空気が柔らかくなる気がするんだよね。今の自分には難しいと思うけど、相手を笑わせる手段を持っていたい。

塾講をしているとそう感じることが多い。

③人のために泣き、人のために喜べるひと

こういう人って本当に憧れる。
私が泣くのは、自分が辛くて悲しくて怖くてとかもはや訳わからなくなってという理由がほとんど。
作品を読んで感情移入するなんてこともよくあるけれど、

いずれにしろ"自分ごと"に対してしか泣けない。

だから悲しみの涙にしろ喜びの涙にしろ
友人の状況や立場を思って涙を流せるって
どんなけいい人なんだって思う。

うん、もっと他人想いになれたらいいと思うのだけど、今から変われるだろうか。
あ、別に今の自分が人の不幸を願ってるとかでは決してない。

人の幸せを願ってはいる。
けれど自意識の塊みたいなわたし。
他者の幸せを"自分ごと"化するのって難しい。
被害妄想はバカみたいにするのだけど。

変わりてぇ。

なんでも自分ごと化できる悪い面もたくさんありそうだけど、

"Think in someone’s shoes”

っていう表現があるけど、まさにこれで。
人を思いやれる人になりたい。

④“好き!"を持ち、オープンにできる

「自分がどんな人間かわからない」には
「自分の好きがわからない」が含まれている。

好きを言語化できないという短所もあるのだが、それはさておき、

「好きなものは?」

「趣味は?」

と聞かれた時に答えるのに苦難する。

 好きなものを持っていて、それについて語れる人ってかっこいいと私は思う。何かに一生懸命に取り組める人も。
 その根幹に好きって感情があることが多いと思うと、私も何かに夢中になりたいと思う。
 そしてその好きを胸張って「好きだ!」って人に言えることも魅力的だと思う。別にそれって物事じゃなくて人に対してでもいいと思うのだけど。

 甘えと言われれば甘えなのかもしれない。

⑤世間的な"幸せ""正解"に囚われない

 「①意思決定できる人」と被る部分は大いにあるが、やっぱり世間の常識とか当たり前に囚われない人でありたい。

 今多様化しつつあるさまざまな価値観。たしかにさまざまな生き方が肯定されつつある現代だが、それでも社会のレールみたいなものは存在していてそれを踏み外すまいと生きる。

 別に社会のレールから外れたいと思うわけじゃないけど、惰性とか逃げとかではなく自分の意思で一つ一つ決めれる人間でありたい。

 「自分にとっての幸せとは?」という問いの答えに辿り着けていないが、その答えが見えてきたときに、もしそれが社会でいわれるよな幸せに合致するならそれはそれでいいし、でも合致しないようなら迷わず「自分が考える幸せ」を選べる人でありたい。

 つまりは脳死で生きない。
 常に考える葦でありたい。

 そして、人の目を気にせず自分を貫き通す。そもそもまだ貫き通すような"自分"が確立していないけれど。

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