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書籍『日蓮門下の人間群像』から「熱原の法難」を学ぶ

 今回の企画は、今年6月に発刊された『日蓮門下の人間群像』から、「熱原の法難」について学んでいきたいと思います。
 というのも、本書では、御書の新たな研究成果が反映されており、「熱原の法難」のイメージが、個人的に大きく変わったためです。
 日蓮門下たちが、いかに「熱原の法難」と戦ったか、日蓮大聖人が「出世の本懐」を遂げたと言われた意味は何か、確認してまいりましょう!

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 「熱原の法難」は、弘安2年(1279年)を頂点にして駿河国(静岡県)富士方面で起こった、日蓮門下への弾圧事件です。
 弘安2年(1279年)9月21日には、熱原の農民信徒20人が、無実の罪を着せられて逮捕され、鎌倉に連行されました。
 農民信徒は拷問に等しい取り調べを受け、法華経の信心を捨てるよう脅されましたが、全員がそれに屈せず、信仰を貫き通しました。そして、神四郎・弥五郎・弥六郎の3人の兄弟が処刑され、残る17人は居住する地域から追放されました。彼らは、入信してわずか1年ほどであり、今日でいえば“新入会の友”とも言えます。この弾圧を中心とする一連の法難が「熱原の法難」です。
 「熱原の法難」について、池田先生は「大聖人の法難と同じく、受身の法難ではありません。その本質を正しくとらえるためには、まず、一人の真正の弟子·日興上人が立ち上がられたところに出発点があったと見るべきです」(『御書の世界』)と講義されています。

 ここで、当時の社会状況を知るために、御書の一節(上野殿御返事)を拝読します。

〈御書〉
此の両三箇年は日本国の中に大疫起りて人半分減じて候か(御書1554頁)
〈現代語訳〉
この二、三年の間、日本国中に疫病が大流行して、人々も半分も減じたようである。

 実はこの頃〈建治3年(1277年)~弘安2年(1279年)〉、日本中に疫病が大流行していたそうです。今のコロナ禍にも通ずるものを感じます。

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 熱原の農民門下20人が鎌倉へ連行されると、日興上人は鎌倉へ向かい、同志とともに電光石火で応戦されます。身延の大聖人と連携を取りながら、富木常忍と協力して、「滝泉寺申状」(御書849頁)を作成し、裁判闘争に臨まれました。四条金吾は、鎌倉に勾留されている熱原の農民の世話役を担っていたと推測されます(御書1191頁)。
 ここで、千葉の代表的な門下である富木常忍が、「滝泉寺申状」の作成に協力した、ということは新たな研究成果となります。これまでは日興上人の筆跡であるとされていたものが、研究により富木常忍の筆跡と分かったそうです。
 事務官僚でもあった富木常忍は、司法·行政文書に関する知識を生かし、「滝泉寺申状」の素案を書き上げました。これが、身延の大聖人のもとへ届けられて添削され、師弟合作で完成したそうです。
 こうして見ると、「熱原の法難」は、駿河国の日興上人や南条時光だけでなく、鎌倉の四条金吾、千葉の富木常忍が大きく関わっていて、身延の大聖人も含め、日蓮門下が総力を挙げて立ち向かった法難であったことが分かります。

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 農民信徒たちの不惜身命の姿に、大聖人は、民衆が大難に耐える強き信心を確立したことを感じられて、10月1日に著された「聖人御難事」で、立宗以来「二十七年」目にして、大聖人自身の「出世の本懐」を示されました。「出世の本懐」とは、この世に出現した目的という意味です。
 池田先生は次のように講義されています。
「無名の庶民である熱原の農民門下は、正法の信仰ゆえに大難を受け、三世永遠の魂の自由を勝ち取る戦いをしました。法華経の精髄である三大秘法の南無妙法蓮華経を受持し、御本仏と共に戦う偉大な民衆が遂に登場したのです。まさに民衆仏法の基盤が確立しました。ここにこそ、大聖人の出世の本懐の成就があるのです」(『世界を照らす太陽の仏法』 「大白蓮華」2015年10月号)。
 まさしく、弟子が自ら起こした戦いが契機となって、大聖人は御自身の出世の本懐を達成されたのです。

 なお、創価学会は、日蓮正宗の解釈に基づき、「弘安2年の御本尊」を日蓮大聖人の出世の本懐としていましたが、2015年1月、前年の「教義条項の改正」に対する教学部の解説で、これを見直すことを示しました。
 これにより、大聖人の「出世の本懐」の解釈が変更され、大聖人の御生涯において、末法万年の一切衆生の救済のために三大秘法を確立されたこと、それとともに、立宗以来27年目に、熱原の法難において、農民信徒たちが大難に負けない不惜身命の信仰を示したことによって証明された民衆仏法の確立となっています。

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 有名な「異体同心事」は、「あつわらの者どもの御心ざし」(1463頁)とあるように、「熱原の法難」を戦う門下に贈られた御書と言えます。
 ここまで見てきた通り、「熱原の法難」とは、日本中に疫病が大流行している中で、弟子が自ら戦いを起こし、弟子が総力を挙げて異体同心で戦ったことにより、師匠がこの世に出現した目的を達成された歴史となります。
 翻って、新型コロナウィルスによる感染症が世界的に流行し、世界の青年部が9.27世界青年部総会に向けて総力を挙げて異体同心で戦おうとしている今、我々も一人の弟子として戦いを起こしてまいりたいと思います!

 これまで、「熱原の法難」というと、日興上人を中心とした富士方面の門下の法難と思っていましたが、富木常忍が積極的に関わっていたという新たな研究成果から、実は日蓮門下の総力戦だったという、新たなイメージを持つことができました。
 そうした弟子の団結した姿も、大聖人が「出世の本懐」を遂げたと言われた理由の1つと言えるかもしれませんね。
 来年発刊される新版「御書」には、新たな研究成果も反映されるようですので、御書を研鑽しながら、楽しみに待ちたいと思います。

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