元吉有希子

声優をしています。が、仕事とはおそらく関係のないことを好きなように書きます。東京藝大楽…

元吉有希子

声優をしています。が、仕事とはおそらく関係のないことを好きなように書きます。東京藝大楽理科卒。 Instagramはその日の写真(https://www.instagram.com/mo_chaam)Twitterはお知らせなどです。両方@mo_chaam

最近の記事

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優しさは想像力だとおもう。

好ましい人間は、やはり優しい人だとおもう。 でもぬるま湯みたいな優しさは時に本当に他人のためにならなくて、「優しい」という言葉の持つ幅についてけっこう考えてきた。 わりと長いこと「頭のいい人」とか「賢い人」と結論付けていたけれど、完全なイコールではなくて、補足が必要な表現だしすっきりしなかった。 最近は、優しさは、つまるところ想像力だと思っている。 他人を思いやることは、めちゃくちゃ頭を使う行為だ。まず当然その人個人の状況や思考や思想を慮らなくてはならないし、時にはその人

    • See You Again

      朝起きて、友人からのLINEで、訃報を知りました。心の準備なんて結局いつまでもできないけれど、こんなに悲しい朝が、こんなに早く来てしまうとは思わなかった。思わないよう、信じていたかった。 幸宏さんのおかげで、音楽が大好きで夢中になる喜びや、今音楽を届けてくれる有り難さ(これはいろいろとしんどかったけど)、当たり前じゃないから今を大切に応援すること、幸宏さんを通して出会うことができたアーティスト・新しい好きと出会ったときの興奮、何より、わたしはちゃんと音楽が大好きなんだなとい

      • 鳴く帯と姉妹の笑い声

        母方の家は、母と姉の二人姉妹と、祖母の女家族である。祖父は母が小さい頃、事故で亡くなった。祖母はまだまだ健在で、わたしの実家の近くにひとり暮らしをしているが、うちの庭に畑を耕し、伯母の家にも手伝いに行ったりしている。 伯母は、着物の着付けの先生をしている。母方の家は元々呉服屋さんだったそうで、祖母も着物に詳しいし、母も着物好きだ。ここ数年着られていないが、わたしも大学時代など、伯母の家に着付けを教わりに通っていた。 いつだったか、とりあえず夏だったと思う。着物を着て、母と

        • 額縁、ブランド、相応しい品格

          この歳になると、わたしもブランド物のひとつやふたつ、愛用していたりする。 所謂ハイブランドの何かを持つことの意味合いは、(周りを見ている限り)わりと大人になるにつれて自然と身に付いていくものな気がするが、たまに、そういった方面に無頓着に生きてきた人の「ハイブランドだから持っているのね」という的を射ない反応を受けることがある。説明するのも野暮だが、ズレた反応だと本人が全く理解していないのはそこはかとなく癪なので、どうしたもんかと困ってしまう。滅多にないので、うまく説明できたこと

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        優しさは想像力だとおもう。

          没後五十年 鏑木清方展

          東京国立近代美術館で開催されている『没後五十年 鏑木清方展』がとても良かったので、備忘録のように記します。 鏑木清方は美人画家として定評があり、わたしも展覧会キービジュアルの⦅築地明石町⦆に惹かれて訪れたのですが、単なる「美人画家」と見る以上に注目すべき点は、彼が「市井の人々の生活を描こうとしていたこと」「そのために、細部に説明を尽くす絵を描いたこと」にありました。 例えば、今回の展覧会の中でもわたしが特に気に入った⦅明治風俗十二ヶ月⦆。 これは、江戸時代の浮世絵師、勝川

          没後五十年 鏑木清方展

          日常は日常のままであれ

          もし今日、わたしが事故に遭って死んでしまったとして、残された部屋に誰かが訪れても恥ずかしくないだろうか、と、たまに考える。 母が前に、こんな話をした。 「夜中ものすごくお腹が痛くなって、これは救急車ものだと思ったんだけど、洗い物明日の朝やろうと思って置いてあったの思い出して、こんな汚いの他所の人に見せられない!と思ってね、冷や汗流しながらなんとか洗い物だけしたの。その後なんとか持ち直したから、結局救急車は呼ばなかったんだけど。」 娘からお願いだ。そういうときは、身体を最優先

          日常は日常のままであれ

          誕生日でもノートを新しくしない

          これまで、何冊のノートを無駄にしてきただろう。 新年、新年度、誕生日、なんらかのタイミングで思いたって、 日記、勉強、映画の感想、ダイエット記録 いろんなノートを作っては、最後まで使い切らずに捨ててきた。 最後まで使いきれない自己嫌悪と共に、捨てる。 自己嫌悪と向き合いたくないから、途中からまた使うことはしない。リセット、リセット。それを何度も繰り返す。 それでも、何度も、新しいノートを買った。その度に、何かが変わる気がした。今度こそ変えられる気がした。その気持ちだけは、清々

          誕生日でもノートを新しくしない

          歯が健康だという安心は持ち続けるべき

          東京に出てきてから、ことごとく良い歯医者に巡り合えなかった。 歯科医師が「歯の治療は土木工事」と言っていた、と人伝てに聞いたことがあるが、そうなると肝心なのは歯医者さんへの信頼度がいかに高いか、だ。歯医者以外にも、病院全てに言えることだと思うが。というか、「先生」という呼称を使う全ての職種に求められるのは、信頼だ。 去年までなんだかんだ1年以上通った歯医者を、ついに変える決心をした日は、それは悲しい気持ちになった。正直、なぜそこまで頑なに通っていたのかと思う。しかし、歯医者

          歯が健康だという安心は持ち続けるべき

          合掌、鑑賞

          1月半ばからさすがにあらゆる行動を控えていたのだが、『空也上人と六波羅蜜寺』展のポスターを街中で見る度に「これに行けなかったらわたしの中のわたしがグレるぞ」という焦燥感が積み重なっていった。泣くほど美術館に行きたかった。3月も半ば、平日のみで美術館を解禁することに。 「浮き足立つ」とはよく言ったもので、楽しみなことに向かう足取りは本当にいつもより浮いている。上野公園をいつもより足ばやに歩き、準備万端で会場に入る瞬間、ウッと目頭が熱くなってしまった。良かった、これでひとまずグ

          合掌、鑑賞

          雉の夢を見た

          2021年6月 朝起きると、珍しく、夢を鮮明に覚えていた。 母と旅行に向かっていた。母の車で、山道を走る。 行き先は伊勢神宮。でも、だったらなんで車で向かってるの?なんて、夢の中の私は一瞬考えそうになる。そんなのどうでも良いじゃない、とにかく、すごく素敵なところに向かっていた。 窓の外を見ると、木に、一羽の雉がとまっていた。 立派な、雄の雉だった。山は雨上がりで、空間全てに陽の光が反射して、きらきら輝いていた。柔らかくて優しい空気に包まれて、雉の羽根が、立派に下まで垂れ下が

          雉の夢を見た

          絶対音感があって困ること、の仮説

          一応持ち合わせている絶対音感を、日常で意識することなど殆どないのだが、 最近「もしかしてこれは、音感があるせいなのか?」と思うことがある。 わたしは、音楽を聴きながら文字を読み、理解することが頗る苦手だ。本はぜったい読めないし、勉強なんてもってのほか。これは、日本語の歌を聴きながらはもちろんなのだが、英語やインストでもダメな場合がある。 そもそも、みんな日本語を聴きながら文字が読めるのだろうか。図書館で勉強している学生の多くはイヤホンをしているし、きっとできる人も多いのだろ

          絶対音感があって困ること、の仮説

          たぶん雪で合ってる

          2月6日 昼間、街を歩いていたら、白いものがブワッとあたり一面に舞った。 どこかのビルから、塵だか埃だかが撒かれたと思った。反射的に身を固くした。 それが、もしかしたら雪かもしれないと理解するまで、5秒はかかった。 例えば、コインランドリーの前を通りかかったとき、 洗剤、洗い立ての洗濯物、それが乾いた匂いがして、 ああ、良いな!と思ったあと、待てよこれは「他人の洗濯物の匂い」じゃないか?と一度考えてしまってから、もうそう思うようになってしまったし、 雨上がりの土の匂いが嫌い

          たぶん雪で合ってる

          年末年始の過ごし方が年々下手になっている

          小さい頃、年末年始といえばそれだけでお祭りだった。 家族でお正月飾りを買いに行き、家で餅をつき、お正月には親戚中が集まって大宴会だった。日付が変わる瞬間ひとりでジャンプしてみたし、大晦日だけはなんとか夜更かししようと頑張ってみたし、親戚たちがいつ来るかいつ来るかと、ソワソワ待っていたものだ。 おじいちゃんが亡くなってから、親戚一同が集まることはなくなった。揉めるほどでもない遺産で揉めたりしたらしいけれど、なんにせよ、おじいちゃんの「正月と盆は一同集まらねばならぬ」というお触れ

          年末年始の過ごし方が年々下手になっている

          無責任ノスタルジー

          今年3月末、赤坂の老舗書店「金松堂」が閉店し、建物の解体工事の前に、45年降ろされることのなかったシャッターが姿を現した。 サザエさんのイラスト、「毎度ありがとうございます」の文字 錆び付き、色も薄れてはいるものの、風雨に晒されることなくそこにい続けたシャッターは、昭和の遺産が突然街に現れたようで、ちょっと話題になった。(シャッターは52年前に完成したものらしい) 仕事で赤坂に行くたびに、まだある、まだある……と思いながら、ビルの前を通った。6月に入る頃には、シャッターも含

          無責任ノスタルジー

          会いたい文字

          字にはその人の性格が表れる、とはよく言うものの、果たして本当にそうなのだろうか。そんなことないと思っているし、そうではないと思いたい。自分の文字遍歴に、後悔があるので。 中学生のとき、少しお姉さんの従姉妹と文通をはじめたことが、わたしの文字人生を狂わせた。 当時、平成も半ばごろ。プリクラが飛躍的進化を遂げ、プロフィール帳なるものがコミュニティ参加の必需品となり、「可愛い字が書ける」ことが女子の憧れ(またはカースト上位女子の必須スキル)となった。十代女子向けの雑誌には、人気モ

          会いたい文字

          「よく分からない」を、たのしむ

          美術館に行くことは前から好きだけれど、数年前まで、たのしめなかったものがたくさんある。キュビズムなんて本当にだめだった。ピカソより普通にラッセンが好き、じゃないけど、全然たのしめなかった。 なぜって、私にはよく分からなかったから。よく分からないものは、たのしめなかった。「感動には正しい答えがなくちゃいけない」と思っていたから。 美術館に行けば、作品の横にはほぼ必ず解説があって、そこには、「これは男女が寄り添う姿を表しており」とか「作者の苦悩や憤りが感じられる」みたいに書いて

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