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出世欲

「各自記入して、書けた者から共有サーバに上げること」

一日何十通と配信されて来る社内メールの中に、そんな表題のメールが混じっていた。表題の最後に“自己紹介表”とある。

「は?また何やねん」

心の中の俺はそうつぶやき、マウスから一旦手を離した。俺の危機管理能力は「先ずこのメールを見ろ」と囁いている。


この会社はあらゆることがメールで成される。直接業務に関わる指示や注意から、ただの文句、時には罵声まですべてのことが活字となって送られ人に伝わる。特定の者に宛てたメールも全員に配信される。すべてのこと、すべてのものが全員にメールで伝えられる。

一日何十通のメール。そのほとんどが社長からだった。

大きな会社ではない。社員数20名程の小さな会社。ちょっと声を出せば全員に伝わり、ちょっと歩けば全員の顔が見える。

一日何十通のメール。確認するだけでかなりの時間を要するが、最優先すべき仕事になっているのが現実だった。もし目を通してないメールがあった場合、もし社長が答えを求めて来た時にその答えを用意してなかった場合、さらに長々と不平不満が書き込まれたメールを受け取ることになる。

「直接今日の業務には関係無いがこのメールが一番重要だ」俺の危機管理能力はそう判断し、このメールに色をつけたのだろう。

「はぁ…」

大きく息を吐いてそのメールを開く。ため息とクリック音が不協和音を奏でた。


どうやら表題にあったように“自己紹介表”なるもので、社内の冷えきった人間関係を打破すべく、営業部の“ハリキリボーイ”を自負する前川さんの提案で配信されているらしい。各自共有サーバにあるPDFをプリントアウトし記入、それをスクリーンショットかPDFデータにして再度共有サーバに戻せ、とのこと。

人間関係を良くするため…

「何を今更…」

そうハッキリと口にした自分に驚きもせず、プリントアウトした用紙を取りに席を立った。隣の席の大川さんと目が合ったがやはり苦笑いをしており、こちらからは死んだような目で返しておいた。


人間関係、たしかに良くない。

というか、何も無い。何一つ無い、というのが正解だろう。

みんな疲れていたんだと思う。尊敬出来ない人間の下で働くことに疲れていた。そんな人間に気に入られることがすべての環境に嫌気がさしていた。ほとんどの人間がこんな会社辞めてやると思いながらその場所にいたと思う。

職場環境を改善すること無く、次々出る退職者に「あんな奴、辞めてくれて正解だ」「辞めたい者がいれば、とっとと辞めてくれ」などとメールで遠回しに言われるだけの環境に心底嫌気がさしていた。

みんなが辞めるタイミングを見計らっていた。

「こんな状態での自己紹介に何の意味があるんだ」

そう思いながらサッサと済ませることにした。「空いた時間にやれ」とのことだったが、俺の危機管理能力はそうは思わない。万が一忘れてしまってサーバにUPするのが遅くなった場合、例のメールを受け取るオチが待っている。こういうのはサッサと済ませるに限る。


プリントアウトした用紙は2枚。1枚目には年齢、血液型、出身地、好きな映画や音楽、漫画など当たり障りの無い質問から趣味のことまで、30個ほどの項目が並んでいた。

流れ作業のように順に解答して行く。死んだ様な目でペンを走らせる。そこに何の感情も無い、ただ空欄を埋めるだけの作業だった。

すぐに終わった。

続いて2枚目に取りかかる。

2枚目には「仕事において最も重要にしていることは?」「この会社でしたいことは?」「もしこの会社の社長になったらまず取りかかる事は?」など、ちょっと突っ込んだ質問が10項目並ぶ。

それでも同じ目線で、同じ姿勢で、同じペースで片付けていった。


と、9番目の項目でペンが止まった。

というか、ペンを止めた。最後から2番目の質問だった。

正確にいうと、

その答えは瞬間的に出ていたが、書き込む段階で心がストップをかけていた。


「出世欲はあるか?」

その8文字が俺を見上げている。

「ない」

すぐに答えは出ていた。

数字にするなら0.001秒で答えは出た。

あと0.8秒かけてその答えを正確に説明するならこうだ。

「この会社での出世欲はない」

じゃあ何故ペンが止まった?

その項目があったなら答えはこうだ。

この質問に「ない」と答えると、おそらくあの社長はキレるだろうな。直感的にそう思った。俺の鋭い危機管理能力がそう感じ取った。確実に、100%絶対に、あの男はキレる。そう確信があった。


どうする? 

おそらく出世欲の有る無しに対する一般的な解答は、

「人並みにある」

コレだろう。

だが、そんな嘘書きたくなかった。

そんな思っても無いこと、口が裂けても言えなかった。

「ない」そう書くことを決めたが、他の人が何て書いているのかちょっと気になった。

共有サーバを覗く。すでに記入を終えた、この会社の実態をよく心得た数人のデータがUPされていた。

一人目

「ある」

( 嘘付けよ!! )自分の心の声が聞こえる。

二人目

「人並みにあります」

( 人並みって何やねん!! )ただただ嘘に聞こえる。

三人目

「人並みには」

( だから人並みって何やねん!! )ってか、「は」て何やねん、「は」て。


見るのをやめた。

自分の用紙のその解答部分に大きく力強く書いた。

ない


後日、社長からある一通のメールが全員配信された。長々と書かれた文章の最後にこう書かれてあった。

「出世欲に関する質問にないと解答した者が3,4人いたようだが、小さい会社やと思って軽く見るなよ」


俺の評価はまた下がった。




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