【日記】承認欲求の化け物に殺される

 物騒なタイトルだな、なんて他人事に思う。でも、しばしば、そんな体験に出くわすことがあった。これは自分が実に愚かしくて、つまらない人間だよっていう、そんな話。

 幼い頃からずっと、空想の世界が好きだった。リカちゃんなどの人形を使った人形遊びから、多分、全ては始まっている。例えば、人魚姫の人形があったのもあって、姿を偽った人魚が日常を暮らす話とか、そんなことを考えていた気がする、多分。思えば、幼少期から癖が強いな。

 まあ、そんなこんなで架空の世界観にどっぷり浸かるのは、昔からの習慣として慣れ親しんでいたけれども。実際に文字に起こしてみたのは、多分、中学生の頃だろう。誰にも共有したことない小説の走り書き。現実に則していない、突飛な設定の数々。今読み替えると苦笑してしまうようなものばかりだ。でも、当時の私はそれで十分だった。だって、そのメモ書きさえあれば、また、架空の世界へと繋がることができる。言葉通りの備忘録として書き始めたのが、創作のスタートだったんだと思う。

 それが緩やかに繋がって、今に至る。別に大した創作活動はしていない。どこかでひっそりと、文字をしたためているだけだ。脳内にあるアイデアの垂れ流しとして、書いている。興が乗れば一週間で数万字分書いてしまうような勢い、乗らなかったら凪の中に佇むボート。

 それをこの、SNSのどこかで公開しようとしたのは単純な理由だった。私は、私の思い描くその続きの話をちゃんと読みたいと思ったから。私は適当人間だから自分で律せない。だから、ちゃんとアウトプットする、つまりは外に出す行為を持って、ある種の責任を持って創作しようとした。

 外に出すと、評価される。数値的にも可視化される。閲覧者の数、ハートマークの数から大体読んで、10人に1人は反応するのかとざっくり計算して、そんな自分が嫌になった。悔しい、己の俗人的な感覚に負けた。こんなことをしたくて、書いたわけじゃないのに。比べたいから書いたんじゃないし、認められたいから書いた訳でもない。本末転倒だ。人間という器は雑念的な感情が混ざるから、厄介だった。

 あ、そういえば、人間の器なんて表現して、思い出したんだけど。この前、SIX HACKを見た。その時にマズローの欲求に触れられていて、そういえばそんなのもあったなと、ふと、思い出す。別に私は偉くなって正しいことをしたい訳じゃないし、ヒューマン1.0で甘んじているから。その話はさておいて、ではあるんだけどね。

 自己実現を成す為には、承認欲求を満たさなければならない。他者からの評価はあんまり気にしないタイプだったし、まさか、って思ってたけど、本当にそうだった。嗚呼、うざったくて飽き飽きする。

 私は単に、思い描く続きの景色を見たかっただけなのに。どうしてこうなってしまったんだろうと悲しくなるんだ。それは、例えば、一面が雪景色の世界で、雪を踏み締めて歩く感覚とか切り開いていく心地よさとかそんなことを感じて歩き出したのに、ふと振り返ればそれはなんでもない小道だった。頭の中のイメージでは朝日が差し込んできらめく、氷で作られたレンガ道だったのに。急にしょうもなく思えて、萎えてしまう、この感覚。

 結局は、創作意欲を生かすも殺すも自分次第だろうなって気がしている。でもさ、クソ頭いい人が考えた、その五段階欲求が今でもそれなりに広く使われているってことは、結局はそうなんだろうなっていう諦めもある。やりたいことを成す為のモチベーションの一つに、承認されたいという愚かしい欲求があることが。

 もう、本当に嫌だ。でも、それをちゃんと理解しながらこの化け物と適切な距離感を持って、筆を取るべきなんだろうな。だから、この化け物に殺されてくれるなよ、無垢で柔な創作の源流ども。

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