いつも感じるこの違和感

「視覚障害者の芸人、濱田祐太郎さんがR-1で優勝」

その情報をtwitterで見て、そのまま、彼に関するツイートをいろいろと読んだ。


この違和感はなんだろう。


彼が障害者ということが話題の軸になっていることに対する違和感なのかもしれない。


この手の話題の時、わたしはいつも違和感がある。

「彼の漫談が面白かったから優勝」
ではダメだったのか?


いつも思う、障害があろうがなかろうが、みんなそれぞれの人生を生きている。ただそれだけなのだ。

この違和感をもっとちゃんと言葉に出来るようになりたい。

前も同じようなことでnoteを書いていたので、貼っておきます。



【追記】

公開したあとの追記はあまりしたくないのだが、とても良いnoteを見つけてしまい、わたしはこういうことを言いたかったのかもしれない、と思ったので、紹介させてください。

私たちはようやく、障害の有無関係なく、その楽しさや価値を共有できる時代を作りはじめている。「私たち」というのは、障害当事者だと思っている人も、そうじゃないと思っている人も、だ。そういう人たちと、次は違いがそこにあることがあたりまえな時代をつくっていこうじゃあ、ないですか。どうでしょうか。


わたしは違和感だなんて言ったり、絶望したり、落胆したり、高い理想を求めすぎているのかな。(本当にわたしが思っていることは高い理想なのだろうか)

「いま、良い流れになってきている、これからだ」ってわくわくと期待ができるようになりたい。きっと、これから変わっていけるはず。いや、変わっていくようにしたい。

今に嘆くだけではなくて、行動を。少しづつでも、着実に。

と、自分に言い聞かせて、また、日々、頑張ります。



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しごとのこと、ふくしのこと

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コメント2件

私もいつも思います。
単純に成果にクローズしてほしい。
いつの間にか苦労話をマスコミさんが仕立ててしまうので、しかもその傾向が顕著に強まっているように思えていて、今回のオリンピック報道などもなんか嫌でした。
ほぼ全盲なのに頑張ったから、ではなく、苦労しながら頑張ったから、ではなく、その人の栄誉を純粋にみんなで喜び合いたいですね。
「みんなで喜び合いたい」って良いですね!あやさん、コメントありがとうございます。
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