月モカ_180604_0077

月曜モカ子の私的モチーフ vol.167「ベスフレ、姉になる」

FBのメッセージの受信箱って、最後にこちらが送った文字や最後に向こうが送った文が表示されるのだけど、わたしは土曜日アルバイトBarのFBページも管理していて、そこ宛てに来たメッセージも表示されるのだが、そのメッセージはあるイタリア人から来た「もし12にんだったら?」で止まっている。
                                  お店だからFB宛てに予約のメッセージが来ることはほとんどなくて数ヶ月前にボスの知り合いのイタリア人が「明日ランチに大勢で行きたいんだけど」というメールのやり取りの流れで送ってきた日本語の文章なのだが、
萩尾望都の「11にんいる!」のファンのわたしからすると、「もし12にんだったら?」というのは、漫画の内容になぞらえていくと、チャラーン♪ となってしまうすごい事態になるので、毎回その受信箱を見て「もし12にんだったら?」という文字を見るとドキっとする。
                         

さて、この度ベスフレ(姪)にめでたく兄弟が生まれる運びとなり、ベスフレは姉になったのだが、その出産当日にベスフレが転んで腕を脱臼、おまけに骨にヒビも少し入って別の病院に救急搬送、張り切って待っていた出産に立ち会えないという事態となった。右手を三角に吊っている笑っている、なんとも愛しい写真が送られてきたので、赤ちゃん、というよりベスフレのために帰省することにした。

                           
兄弟が生まれる時、それまでずっと一人っ子状態だった上の子はだいたいちょっと不安定になってしまう。
もう自分は赤ちゃんじゃないんだ、大きいんだ、お姉さんなんだ、頑張らなくっちゃ、大きいんだ、大きいんだ、大きいンダァァァ!
となった最後の叫びの時はもういろんな気持ちが混ざって泣いちゃってるような精神状態である。
                           
わたしは大人の気持ちと男の気持ちに関して全く理解に乏しい代わりにというか15歳くらいまでの子供の気持ちなら手に取るようにわかる。おそらくじぶんが10さい位のままなのだろう。
でも大人にだってあるよね。新入社員が2年目になる時とか。
後輩が入ってくる時。
じぶんの場所がなんかこう、ところてん式に少し奥まったところに移動するとき、人はちょっとした不安を覚える。じぶんの居場所ってもしかして、無くなってしまうのではないかと。

                           
実はベスフレが生まれたときは、愛猫のサクラがそれ状態になってしまい、自分は今「極上プリンセス」ではない、という事実に直面しそれを受け入れられずにパニックになっておった。

                           
ベスフレは一生懸命お姉さんになろうと頑張っていて、その頑張りが毎日ピークに達して崩壊することを繰り返している。妊娠中、母は子をなかなか抱いてやれないので、代わりに抱いてやろうと、抱っこしようとすると、
「ちょっとさ、アタシさァ、もう、オネチャンなんだから、抱っこトカさぁ、やめてくれる!?」と目を三角にして怒る。
妹の病室では、ママのお手伝いをしたい一心で、
お気に入りのソフィアのタオルを雑巾よろしく、冷蔵庫から椅子の足まで、シンデレラのごとく一生懸命お掃除、ばっば(我が母)が「それ、ここじゃなくて家でやってほしいわぁ」と言うと「ちょっとばっば、黙ってて。ママのためにちてるんだから!」と、また目が三角。新しくやってきた赤ちゃんの目が開いたというと飛んできて覗き込み、髪を撫でてあげたり、忙しい。

                           
けれど、そうやって張り詰めて、これでもかというほど地に足をつけて踏ん張り、病院の入り口のツバメの巣とそれを作っている忙しい夫婦のツバメの心配までをし、駐車場で車に乗り込み、その窓から小さな手を、遠くに見える3階の部屋の窓越しのママ(妹)に向かって振って、帰路に着いたなら、
疲れと緊張から、暴君と化すのである。笑。
(昨日は猫じゃらし車内バラバラ事件を起こした)
                           
こんな時に右手がギブスになってしまったストレスもあって、新しい赤ちゃんが加わった家族の写真――家族はみんな立っている(まだ座っている人間は描けないため)――を書こうとしたけど、右手に力が入らないことに気づいて、持っていた色鉛筆を放り出してばっばに当たり散らすなど、暴君は伝説を作り続け、ばっばを下僕のように扱っているのだが、わたしは絶対に怒ったり、「お姉ちゃんでしょ」と言わないようにしている。

「お姉ちゃんでしょ」これほど今聞きたくない言葉はない。
淡い記憶をたどり寄せると、自分すらそれを思い出して嫌になる。
                           
そもそも「暴君と化す」状態だって、お姉ちゃんなんだ、大きいんだ、お姉ちゃんなんだ、大きいんだ、お姉ちゃんなんダァァァァ!!!(>_<)/
の、頑張りすぎ副産物として起きている現象なのだ。
お姉ちゃんになろうとしてそれが難しくて変な話暴君になっているのだからそこで「お姉ちゃんでしょ」と言われたら「ああそうだよ、お姉ちゃんだよ!」ってもっと暴君になってしまいそう。

                           
そんなわけで今わたしは、人一倍ベスフレに甘くしている。
なぜなら「今」は二度と帰ってこないということをよく知っているから。
                           
わたしには3人の妹がいて、各々に自分が姉で、ちょっと関係性が上だったからこそ深い意味なくやったことで妹に大きくショックを与えたと思っている、取り返しのつかない出来事があるから。

小さなことで人は一生傷つく。深い意味なく放った一言が忘れられない言葉として胸に刺さることがある。特にこうやって、頑張ろうとして頑張ろうとして、自分の心が整えられず苦しい時は。
こんな時にバカみたいに甘やかしたことによって起きる未来のリスクと、二度とはこない今の瞬間を、見誤ったことによって残る、永遠の傷と、どっちが大きいか、3人の妹との日々で知っているから、わたしは「今」永遠にベスフレに寄り添う。それはおそらく母がそうしてくれていたからだと思う。35年ほども前の出来事がこうやって今に生きている。ベスフレとわたしは歳の差は妹たちより離れているけれど、関係性が「ベスフレ」で「対等」なので、わたしの言葉がベスフレに深く刺さって「モカちゃんに怒られた」と息もできぬほど泣くこともないのだが。

(ケッ、となって終わるだけで・・・)

                           
「ねえねえモカちゃん、足のとれた妖精さん、あれからもう足大丈夫?」
ベスフレが訊く。自分が手を怪我して、思い出したらしい。モンサンミッシェルで8年前に買った羽の付いた陶器の妖精、とても小さい置物で足がすぐに折れてしまい、アロンアルファでつけていたのだが先日ベスフレが触っている時にまた取れてしまった。なので、あの例の光を当てて固める接着剤で一緒に足を着けた。

                           
「うん、バッチリくっついてもう取れないし、妖精さんも嬉しそうよ」
「そっか」

その後、ベスフレはギブスが濡れるのが嫌だと言って入浴を拒否、簡単なギブスなので一度取って、ばっばがお風呂に入れて、またギブスをすると、ベスフレはカユイだとか、きつく締めるなだとか終始グズって、
今朝も夢うつつに「(腕の)病院にはいかない」「駄目、見てもらわないと」「もう治った!」「治ってない!」論争をばっばと繰り広げていた模様である。
                           
けれどもまたママのいる病院に着いたらベスフレは、タオルでせっせとママが過ごす場所をお掃除するのだろう、大好きなソフィアのタオルが雑巾になるのも厭わずに。

ベスフレ、それでいいよ、それで100点。半分お姉ちゃん、半分暴君のような感じでね。
一気にお姉ちゃんにならなくていいから、
少しづつ、少しづつ。


<モチーフvol.167「ベスフレ、姉になる」/イラスト=Mihokingo>
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【New!!】わたしが劇中原稿の制作と主演の中山美穂さんの書く字を書いた映画「蝶の眠り」がGW明けから公開されます!
このHPの予告編にもわたしの手(と字)映ってます!笑
http://chono-nemuri.com/
【New!!】「かぐらむら」はこちらから!
 ■冊子希望→https://artisticpantie.stores.jp/
 ■WEBで読みたい→http://kaguramura.jp/symphony
☆モチーフとは動機、理由、主題という意味のフランス語の単語です。

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