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好奇心を持つこと(続)

前の投稿に続いて、「好奇心」に関して書きたいと思う。

これまでの自分の人生を振り返った時、一つの分岐点が明確に存在した。それは、中学3年の受験期、高校選択の時だった。

中学校から高校への進学は、小学校のそれとは違い、地元付近の高校へ行く人、大学受験を見据えて(こういう人は本当に人生設計がしっかりしていると思う)、有名私立や偏差値70台の公立高校を目指す人、兄弟姉妹のこれまでの歩みを踏まえた進路選択をする人と、十人十色だ。

私の周りはと言うと、周りと同じような進路選択をして、中学の仲の良い人と同じ高校へ行く、あるいは電車の下り(都内からは遠ざかる)にあるそこそこの高校で、「同質的な」高校生活をすることを望んでいる人が多かった。その流れを見て、

「人に流されることってどうなんだろう」

と考えていたことをいまでも鮮明に覚えている。それは、当時の選択が後の人生に大きな変化をもたらしたからに他ならない。

そう考えていた同じくらいの時期に、私は中学3年生ながら、自叙伝やビジネス書籍のようなものにハマっていた(ハマっていた、というよりも小説が読めなかったに近い。非現実的な話を聞いても、一ミリも面白さを感じていない、中二病の自分がいた)。

そこで私は『ニーチェの言葉』に出逢ったのである。偶然手にした一冊の分厚い本。それは、ニーチェの言葉が一ページずつ書かれている、読み易い書籍だった。そこには

「人生を最高に旅せよ」という一節があった。

その言葉が、その一言が私を変えた。

言葉で人は変わる。言葉が人を変える。人は言葉で変われる。

中学校まで、両親の言うことや、周りの友達に流され生きてきた。それが楽しくなかったわけではない。ただし、それよりも、自分の本能、自分の関心、熱中できること、気になることに向かって舵を切っていくことのほうが楽しいしんじゃないだろうか。ニーチェの言葉に感銘を受けた私が、そこからそういったマインドを持っていった。

話は高校選択に戻る。人とは違う選択、これまで誰もやったことのない選択をすることで新たな人生が始まり、これまでの人生をリセットできる。そう信じて、私の中学校からはこれまで誰も行ったことのない高校を選択した。県内の公立高校で、偏差値は60を切る。そこで小学3年から続けていた野球に挑戦してみたい(県内の公立高校ではそれなりの成績を残していた)。担任の先生には否定をされた。通学時間に1時間半を要するからだ。それでも私は周囲の声をよそに、その高校へ進学した。

いま思えば、あの時違った選択をして、周りと同じような高校に進学していたら、自分はいまどうなっていただろう。これまでと同じ「人と同じ道を」歩み、「周りに意見を委ねた」人生を送っていたと思う。

どちらが良いかは人それぞれ。

ただ、自身の思うままに、気になる世界に飛び込んで(そこに知り合いがいなくても)みることは大切だと思う。擬似的な留学といったところか。

何れにせよ、高校選択で人生を少しばかり変えることができた私は以来「好奇心」を重視している。

それが人間の本質だと思う。楽しいこと、気になることを、思うままにやることは最高に面白いのだから。

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