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「どこでも」「なんでも」「いつでも」って言葉、ずるくない?

夏休みに入って涼しい部屋の中で、バイトをしては、毎日酒を飲んでいる。そんな毎日を過ごしている大学4年生です。これから書くことは、ある種の愚痴だし、どうでもいいことかもしれないけれど、読んでくれたら幸いです。

最近、大学の友人やゼミの知り合い、地元の旧友と遊んだりすることが多い。どこか旅行へ行ったり、共に過去を振り返りながら盃を交わしたり。そんな時間はとても楽しいし、いつも有意義な時間となっている。その空間は間違いなく楽しい。けれど、そこに至るまででどこか「?」ってなることが最近ある。

「どこでもいいよー」

「なんでもいいよー」

「いつでもいいよー」

友人が優しいからなのか、こんな言葉を耳にすることが多い。実はこの言葉ってずるいんじゃないかなって思う。それは、一種の責任逃れに近い気がするし、相手に選択を委ねていることで、自分がラクをしようとしている感が見えている。

僕自身も、今まではそう行った言動をすることが多かった。大学生になってから、数多くの友人や知人、先輩の方と食事をすることが多く、「〇〇くん(自分の名前)が決めていいよ!」と言われてきた。そんなことで、自分で選択を取ることが多かった。それだからか、もう自分で場所選び、モノ選びをすることが当たり前になってしまった。

だからこそ、「どこでも」「なんでも」「いつでも」と言う人には懐疑的だし、「何なんだコイツは」と思ってしまう。

もっと自分の立ち位置というか、ポジションを明確にして、提案したほうが楽しいし、何やかんやラクだから、、、。と思うが、これ以上愚痴を嘆くのはやめておく。

そんなこんなで、「どこでもいいよー」と言う友人2人と大学のゼミで11月に鹿児島に宿泊するのだが、その宿を一人で決めている、そんな1日である。


最後に。

少しでも共感、いいなと思ってくれたら、「スキ」をマークしてくれると嬉しいです!!読んでいただき、ありがとうございました。

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