見出し画像

2021年、今聴きたい中田裕二の3曲

始めに

このnoteでは、シンガーソングライターとしてソロ活動10周年を迎えた中田裕二(ex椿屋四重奏)の楽曲から、2021年現在、今個人的に聴きたい楽曲を3つ挙げている。

書いている人は、椿屋四重奏から10年以上中田裕二のファンで、個人的に思い入れの深いアーティストである。なので、少々暑苦しいかもしれないが、ご了承願いたい。

①紫陽花

言葉がいくら足りても
果たして風は起こせるかい
それと一緒で僕の手では
君の心を動かせない

引用元:楽曲名 紫陽花/作詞 中田裕二​

バンド時代の楽曲で、歌い出しの歌詞から曲の世界に引きずり込む、ストーリーテラーとしての中田裕二の実力を感じさせる一曲。夏の終わりの紫陽花のように、離れられずにしがみつく恋が、4:59の楽曲の中にぎゅっとつまっている。

綺麗なメロディーラインに、ヒリヒリと迫り来る切実なボーカルが、青春の愚かさと美しさを引っ掻き回してくるのだ。

最近では、声優で歌手の梶原岳人さんが、10月20日に発売するミニアルバムの曲としてカバーしている。YouTubeや音楽配信サービスで先行配信をしているのを聴いて、改めて「紫陽花」の楽曲の良さを実感した。こちらは透き通るような儚さがあり、歌い手によってずいぶん表情を変えるものだなと思う。

ソロになってから「紫陽花」はセルフカバーしてアルバム「SONG COMPOSITE」に収録されている。椿屋時代に対して、過去の恋を懐かしむかのような、しっとりとした歌い方だ。

②Terrible Lady

11月17日に発売するニューアルバム『LITTLE CHANGES』の先行配信として、9月17日に配信された曲。ブルース調の曲に、男の情けなさが乗っかる歌はロバート・ジョンソンを思わせる。

わりと自由に泳がせてたつもり


引き止めないのが俺のスタイル

引用元:楽曲名 Terrible Lady/作詞 中田裕二​

と強がっているが、サビでは

この俺を置いてくつもりか Terrible Lady
あの君を拾い上げたのに Terrible Lady

引用元:楽曲名 Terrible Lady/作詞 中田裕二​


と未練たっぷりである。男女のもつれを歌うとき、20代〜30代の中田裕二は情念のこもった歌い方をしていた。「Terrible Lady」は40歳になって、情けなさの中にも色香を漂わせるようになったと思う。

作りたい曲と鳴らしたい音のピースがハマり、肩の力が抜けた表現を感じる「Terrible Lady」は、アルバム発売が楽しみになる一曲だ。

③ひかりのまち

2011年3月11日の東日本大震災を受けて、3月17日にYouTubeにアップされた曲である。

このとき、中田裕二がフロントマンを務めていたロックバンド、椿屋四重奏は1月11日に解散発表している。(実際の解散日は2010年12月31日。事後報告だった。)なので、急遽元メンバーを呼んで収録した曲である。3月25日からは、チャリティーソングとして配信され、売上全額を東日本大震災の義援金として寄付した。行動のスピードが早い。

私は東北の沿岸部に住んでおり、自宅に被害が出たので避難先の学校で聴いていた。(あの大災害でも、1週間程度で電気が復旧したのだ。携帯の充電をさせてもらって実にありがたかった。)情報収集で使っていたTwitterで、「ひかりのまち」がアップしたという情報を目にして、正直複雑であった。

「本当に必要としているときに、バンドを解散させて、何がひかりのまちなんだよ……」

自分の置かれている状況に強く紐づいた曲は、励ますことよりも、何か心の奥底のトリガーが引かれるようだった。なので「ひかりのまち」は2011年ごろは、時々は聴くものの、何回も繰り返し聴くことはできなかった。

事後報告の解散を受けながらも、結局、中田裕二の楽曲が好きなのでソロ活動を追いかけ続けた。(そして10年以上も追いかけている。)

その後、配信限定シングルだった「ひかりのまち」は2016年、『ただひとつの太陽』(初回限定盤)にシングル曲として収録される。なので、その年のツアーで歌われた。

私はライブで、「ひかりのまち」を聴くこととなる。スポットライトに照らされた中田裕二が歌うその歌は、どこまでもまっすぐ響いた。

そのとき、初めて涙が溢れてしまった。

楽曲全体に漂う優しさを受け入れたのが、ようやくそのタイミングだったのかもしれない。音楽はお腹を満たしたり、今日の寝床を与えてはくれない。が、心に一筋のひかりを、まばゆいひかりを与えてくれる。そんなことを気付かされた1曲だ。

こちらは初回一発録りのもの。状況が落ち着いた今だから、その切実さを素直に受け取れる。

つかずはなれず側にいて

2021年コロナ禍において、地方在住の私はソロ活動10周年のライブをどれも参戦できていない。本当に必要としているときに失った、2011年の頃を思い出させる。けれども、生きてさえいれば2016年のステージを見て感動して泣いたあのときのように、思いが解ける日がくるのだろう。

これはどのコンテンツにも共通して言えると思うのだが、コンテンツがきれいごとに思たりして受け入れられないときがある。しかし、時を経ると環境や心境の変化で、受け取れるようになる場合があるのだ。

私が笑顔でライブに聴きに行けるまで、中田裕二の楽曲がつかずはなれず側にいて欲しい。できれば長く歌い続けて欲しい。

そう願わずにはいられないのだ。


こちらのnoteは「幻惑」について、つらつら書いています。
ご興味あったらどうぞ。


2011年周りの個人的な音楽体験はこちら。


この記事が、共感できるな・おもしろいなと思って頂けたら、「スキ♡」を押してくれるとうれしいです。(♡はnote会員以外でも押せます)SNSでのシェアも大歓迎してます!