どうでもいいことなのだけど。ドーム呼称

この前おじいちゃんと話していたとき、大阪の大正の話題になった。

大正駅には大阪ドームあるなあ、と。都市ガスが普及する前の昔は、あそこで石炭を使ってガスを供給してたとのこと。その跡地に大阪ドームができた、と。


なるほど知らなかった。だからドーム前に大阪ガスのビルがあるのだと納得したのだけど、おじいちゃんはドームのことを当たり前のように"大阪ドーム"と呼んでいた。

多分、私が京セラドームといっても、おじいちゃんは首を傾げただろう。
約5万人が入れる球場。はたまた会場。よく5大ドームというけれど、主に大都市にしかない規模のものだ。


このあいだ稲盛和夫の生きるという本を読んだ。まあ高度成長期時代を駆け抜けて成功した彼の人生哲学という感じの本で、どうしても昭和のど根性論が滲み出すくどさも感じるものだったのだけど、自分を律し心を少しでも綺麗にするためにオオヤケに尽くすという彼の姿勢にはとても感銘を受けて、心響くことも多くあった。


大阪ドームがどういう経緯で京セラドーム大阪という呼び名に変わったのかは正直知らない。(自分で調べるのも少し億劫)ドーム運営の資金面に関わることがあったのかもしれない。

せやけど…やっぱり企業の名前を冠するドームって情緒なくないか?!というのが私の正直な感想。

それに続いてなのかは知らないが、福岡はPaypayだし名古屋に至っては商品名バンテリンにカタカナでナゴヤを付けちゃうイケてなさ…

ドームというのは収容人数も凄いんだからある意味公的なものなのではないのか。それが特定の企業や商品を彷彿させられざるをえない名前になって、地域性を圧倒している。

そんな気がするのは私だけだろうか…

いや、まあ好きにしたらいいよ。多分、運営や経営の問題、広報とか商標権とか色んな側面込みでああいう名前になってしまったというのも、ごもっともだと思う。ドームなんてわたしたちの日常生活には時々しか関わらないわけだし。

しかしオオヤケに貢献するという、創業者稲盛さんの哲学に沿っているんだろうか。
べつにバックアップするんなら、無理に目立つよう名前を入れなくてもできるんじゃないか、それこそがオオヤケへの綺麗な尽くし方なんじゃないんか…

どうしても知名度を広げたいという下心を感じずにはいられない。

東山にある京セラ美術館もしかり。展覧会のチケットを購入しても、もはや展覧会の絵が印刷されたチケットを貰えることはなくて、ただ愛想ない名刺サイズの紙に京セラ美術館とだけ記載されたチケット…残念なんだよな。

印刷技術すごい会社ちゃうんかい!と、ツッコミを入れたくなる。


いやまあ、そりゃあ社会貢献度凄いし、ほんまに立派なのは事実なので、ほんとは何も言えないのですが。

病んだ者の一意見、愚痴なだけです。


ちょっと思ったことを書いてみたかっただけ。では

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?