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北陸の旅 the hive 冨久屋と勝駒

近年訪れる都市ランキング上位、山形、旭川に続く富山。

初めて富山に行ったのは、24歳。まだサラリーマン駆け出しの不動産営業マンだった頃、一年目の2月に訪問したのが最初だった。当時はまだ北陸新幹線が無くって、福岡ー富山便も飛んでなかったのか、僕は新幹線で名古屋まで、そして名古屋からサンダーバードで向かったと思う。駅前にある大手生命保険会社の方とのアポイントだったのだけど、多分夜9時位のアポイントは、訪問するとまさかの留守。会えず、、、、、。
8時間くらいかけて行って真冬で、雪で、、、
新幹線が開通した今の富山駅と違って、当時の富山駅ってとっても暗くて寂れてた。連絡つかず夜中まで待っている僕を見兼ねたのか、警備員さんが夜間緊急番号を教えてくれた。

連絡がついたのは午前零時すぎ、先方はアポイント忘れてたみたいで、ちょっと離れた町で飲んでたらしい。一年目、こんなのはしょっちゅうだった。富山の雪は水分が多い。革靴はびしょびしょになる。お店も閉まりすっかり暗くなった駅前で空いているのはコンビニだけ。おにぎりとカップ麺、からあげクンを買ってα1というホテルにもどった。
深夜のテレビは関西系のお笑いが流れていた。一泊の出張予定だったからシャツが足りなくなると思って、風呂場にシャツをかけてシャワーを浴び、フロントでアイロンをかりてシャツにアイロンをかけた。

翌朝先方に再度連絡して、何とか夕方アポイントをネジり取った。ここまで来たんだし後には引けない。焦りの中昼を過ごす。夕方6時の予定は結局8時を過ぎたけど、何とかかんとか契約になった。生命保険会社のビルを出たのが22時過ぎ。ホテルに戻る途中に日本海居酒屋みたいな海鮮居酒屋を見つけた。
部屋に戻ってカバンとネクタイを置いて、下の居酒屋に降りる。生ビールと名物のお刺身。「福岡の刺身のが方が美味いな」と思いながら食べたのを覚えている。

それから15年くらい経って、富山に本店がある銀行と深くお付き合いさせて頂くようになり、頭取室で打ち合わせしたり、最高級鱒寿司のお土産を貰えたりするようになった。あの冬の日の苦労は、今や富山の人とお付き合いするにあたりとてもいい枕話になっている。目の前の苦労は、いつかいい思い出と笑い話になり、身を助けてくれる。

蜂の巣をイメージ


富山空港から直接新しくできた”the hive”に向かう。田んぼの真ん中にあるサウナ施設は2つのサウナ室と水風呂が素晴らしい。多分夜の方がいい気がする。ホテルに帰って荷物をおいて、この旅の目的地、冨久屋さんにやってきた。

慎ましくも美しい


もう何度も訪れている冨久屋さんは日本一好きな日本料理屋さん。初めて訪れた時に食べたぶり大根。と言ってもお皿の上には湯気の立つふっくらとした大根と少しのお出汁しかないのだけど、背中に衝撃が走ったのを覚えている。余りにも美味しいものを食べると、気功の達人みたいに内臓を超えて背中に響かせられるのか?

今回は何故か富山にたまたま居たキャストのコウヘイ(最高学府出身、大手外銀からファンドに移った彼は煌びやかな経歴と見た目が全く一致しない。この日もまさかの半ズボン、翌日トロッコ鉄道に半ズボンで行くって言っていた⁈)も冨久屋さんから同席していて、前日キャストの健一と新橋で飲んでる時に、暇そうなキャスト誰か呼ぼうぜとなって、一番にネームアップされたコウヘイに電話したら、まさかこのタイミングで富山にいるという。不思議なヤツだ。

冨久屋さん「良い魚が無い!」って今回魚を出してこない。無くてもとっても素晴らしいし、そんな中でも僕が一番好きな鰯を感動的な焼きで出してくれた。

こんなにワタが甘い鰯初めて食べた

大将の大屋さんは、いつ来ても真心が素晴らしい。派手な事はしないけれど一つ一つとても丁寧に心を込めて作られている事が伝わってくる。締めのおむすび、幸せ。

好きな日本酒ベスト3に入る貴重な勝駒

今回は、好きな勝駒も沢山準備してくれていた。ありがたい。冨久屋さんに紹介されて、二次会で行ったワインバーも素晴らしかった。日本酒飲み過ぎてほとんど覚えてないけど。

あの冬の夜、こんなに富山の事を好きになるなんて想像すら出来なかった。意味があるとか、無いとかあの時は分からなかったし正直に辛かった。今はそれでも続けてこられた事、直向きでいれた環境にとても感謝している。今がある事は勿論のこと、あの冬の日があっからこそ、こんなに美しい冬晴れの立山連峰に感動できている気がする。

うちのルーキー達にも経験してほしい。その時はまあまあ辛いけど(笑)

直向き。


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