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志が見つかったら無趣味になった。

今まで、「趣味がない」と言っている人に出会うと、つまらなくないのかなと不思議に思っていた。「仕事が趣味」と言う人のこともよく理解できなかった。

でも。

去年の終わりに自分の目指すものが明確になってきて、そのために自分の為すべきこと(使命)を自分で決めたら、あらゆることがそこにつながるし、暇な時間があったらそのために使いたいと思い、実際に使うようになって…

そんな風になったら、先日「趣味は何?」と聞かれた時にとっさに思い浮かばなかった自分に驚いた。
元々それほど趣味が多いわけではなかったけれど、それでも読書や美術館めぐり、映画鑑賞、旅行など、これまでだったらとっさに答えていたし、それらのことに自分自身こだわっていた。ある意味プライドを持っていたと言うべきか…。

それがこの時は、かろうじて読書と答えるにとどまり、同時に頭の中では、暇な時間何をしてるか想像して、使命にまつわることばかりだと気づいたのだ。

そんな自分にガッカリすることなど全然なくて、むしろ十分に満たされている自分がいることを感じている。
実際、映画を見ることは以前に比べて格段に減った。趣味を公言していた時は、毎週映画館に足を運んでいたのにな。
美術館巡りやアートに触れることは今でも好きでちょこちょこ行くが、名だたる展覧会を何が何でも見に行く焦燥感のようなものはなくなった。


そうか、使命を見つけられずにいた私は、そこに使命感の替わりを求めていたのかもな。と、今この文章を書きながら気づいた。

好きなことはいろいろあるけれど、なくなったら困ることってそんなにないんだなって思う。そう思うと、何をそんなに必死でしょい込んでいたのだろうかと、ちょっと笑えてきたりもする。

今はもっと、使命のために使える時間が欲しいと思う。

そしてさらに新たな境地に進んだなと思うのは、仕事すら使命に引き寄せて考えるようになってきたこと。
仕事で取り組むこと、得られること、考えるべきこと…などを、使命に生かせないか、志を果たすために役に立たないかと思考を巡らせる自分がいる。
これまでは仕事と私事の間に確固たる境界線のようなものを感じていたけれど、それは自分が勝手に引いていたもので、それが今は薄れつつある、そんな感じ。
そもそも境界線がなきゃいけない、境界線があるもんだというのは、私の思い込みだったんだ~と気づきもした。

これは全員そうだということではなく、あくまで私の場合だけど、
志事があって、仕事も私事もその一部。それが人生、生きていくということなんじゃないかなと思う。

趣味は減ってきたけど、興味の幅や、考え方・物事の見方の多様さは増えた気がする。


そして何より、幸せを感じることが増えたから、断然こっちの方がいい。



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