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飛虎聞すきすきエッセイ

 2022年5月3日
 超仙人万来内 飛虎聞プチ「水天一碧の煌めき」開催おめでとうございます!!!!
 
 少しでも賑やかしになればと思い、飛虎聞すきすきエッセイをしたためました。ご覧になっていただければ幸いです。
 1994年 封神演義連載開始
    みやこ4歳
 1998年 小学校入学
    自転車を買ってもらい、近所の図書館に行くようになる
 2000年 封神演義連載終了


 私が飛虎聞と出会ったのは、2002年。
 小学校5年生。10歳の時である。

 その頃私立図書館に文字通り日参していた。
 土日は友達と遊ぶ予定がなければおにぎりを持って開館から17時まで(門限があった)居座った。借りた本が重すぎて自転車ごと倒れるということを何度かしていたので、親に送迎してもらうこともあった。
 バリバリ漫画を読み、着実にオタクへの道を歩んでいた。その市立図書館のラインナップがこちら。

 火の鳥 わかる
 ブラック・ジャック わかる
 風の谷のナウシカ まあわかる
 炎の蜃気楼 ???
 鬼の風水
 風を道しるべに…
 ドカベン
 そして
 封神演義 藤崎竜版 である
 しかも安納版もあった
 司書さんという仕事は人の人生を変える仕事であると痛感するばかりの人生だ。

 知らない漢字、ふりがながついていたものの、小学生の学習範囲では扱っていない漢字ばかりだった。私は親にねだった。
 漢和辞典。
 親は喜んだ。
 娘が帰ってきては机に向かって何やら書き物をしているのだから、勉強だと信じて疑わなかった。
 私は熱心に、キャラクター名をノートにまとめ、ふりがなを振った。セリフも写して、ふりがなを振った。必死である。しかし藤崎竜先生の作画・ストーリー・デザインは、女児だった私を突き動かすものがあった。
 しかし、原作は中国文学である。安納版にはふりがながほぼ全てふってあったのでそれと照らし合わせながら読んだ。小学生の向けの漢和辞典にも書いていない漢字がたくさんあった。楊戩が予測変換に出る日が来ると知ったら当時の私は驚くだろう。
 両親、親類も知らない。となると聞いた人は誰か。
 担任の先生である。
 忙しいのに、私の漢字質問に真摯に向き合ってくれた。
 この場を借りて、謝辞を述べさせていただきます。

 その時描いたイラストは、もれなく靴がデカく、まつ毛がいっぽんめちゃ長いが、同級生が描いたものはGALS寿蘭のやつの流れを汲んでいたので、なんでまつ毛が長いの?とかくつが大きいの?と聞かれたけれど、私にとっては藤崎竜先生がそうしているからとしか言えなかった。もちろん藤崎竜先生のことは誰も知らない。
 勧めて少し読んでくれた友達がいたが、妲己ちゃんが人肉を食べるシーンや、伯邑侯事件で退場していった。理由は
「怖い」
 の一言だった。ぐうの音もでない。
 原作は二週間毎に延長手続きをして借りていた。お年玉はお母さん銀行から下ろせないシステムだったので、次の年のお年玉を全てつぎ込んで全巻揃えた。毎日飛虎が封神されるシーンから聞仲が封神されるシーンを読み、あまりの美しい関係に言葉を失っていた。これ以上美しい関係は今後の人生で現れないと確信していた。
 言葉を失っていただけではなかった。自分でもその美しさを表現しようとした。
 しかし、完成したものはなかった。
 どれも途中で、ここからはまんがを読んでね!と書いてあるのである。
 この歳で原作厨の片鱗を見せているのであった。

 〜閑話休題〜
 仙界伝封神演義の思い出
 レンタルビデオやで、3巻と4巻だけあった。
 狂ったように毎度同じものを借り、見た。
 テレビで爆音でOPを流し、それをテープに録音して聴いていた。

 覇穹 封神演義の思い出
 これは記憶に新しい。
 原作を舐めるように呼んでいるからわかるけど、友達には今回も勧められなかっった
 しかし、紅水陣の下をアニメ化した功績はある。そこだけ今も見てます。
 〜閑話休題終わり〜

 そして、小学校6年生の時私の飛虎聞史に激震が走ることになる。

 家族共用パソコンの導入である。
 父親は新し物好きの機械音痴であったため、まんまと私専用機になった。齢11にして、さながら自分の単車を得た田舎のヤンキーである。親の目を盗んで、インターネットの世界をぶいぶい言わせた。
 出会いは突然訪れる。二次創作サイトである。
 まさか同じような考えを持ってそれを発表している人がいるとは夢にも思わなかった私は、ものすごくおったまげた。
 夢中で読んだ。
 原作を読んでね!だけでは終わらない二人の延長線上を見ることができた。原作が一番なのはわかった上で、緻密に考え抜いた原作と原作に間にある二人の関係性の隙間が補われているように感じた。
 多分、このひこぶんプチに出ていらっしゃる方が過去に見ていたサイト主さんがいらっしゃると思う。その節はおせわになりました。拙いコメントではありましたが、その時はそれが一番の褒め言葉だったし、一番綺麗な言葉だと思っていました。
 掲示板に書き込んで、返事が帰って来た時の嬉しさ。

 私だけだったんですよ。封神演義が好きだったの。
 こんなに素敵だったのに、連載終了したジャンプ作品には見向きもしてくれなかった。
 その上、同じカップリング当時はカプと書いてあっても意味がわからなかった。同じ封神演義を好きな人がインターネットの向こう側にいる。こんなに嬉しいことはなかった。
 それからは、飛虎聞仲の作品をたくさん読んだ。
 たくさんあったが、私が成長していくにつれてサイトの閉鎖などが目立つようになってきた。大好きなサイトさんの小説や漫画を印刷してファイリングしていたためことなきを得たが(すみません)けれど全てを取り切ることはできなかった。
 それからまた、原作の飛虎聞を読む日々に戻った。
 中学高校と、さまざまなブームがあり、なると、ブリーチ、ヘタリア、ダイヤのAなどにはまり、それも通り過ぎていった。
 そして、成人。
 高校くらいで手放した原作を電子版で買い直し、完全版を冊子で買った。
 10年以上経っても、飛虎聞は死んだように生きていた男が人間に戻る物語で、悲しくて、美しくて、私の人生においてはこれ以上美しい関係性は見出せなかった。妻子ある男と、男の関係において完璧な終わりだった。
 それから、9年後。
 原作を読んだり読まなかったり、病気したりしていた時にひこぶんプチの知らせを見つけた。
 何を出せるかはわからない。けれど飛虎聞プチの末席に居たかった。
 私は何が書けるだろう。
 私のなかのひこぶんの少しでも素晴らしさを表現できるだろうか。わからない。けれど挑戦して見たかった。
 私のひこぶんにたいする思いを知って欲しかった。
 どうだろう。少しは表現できたんだろうか。今度は短くても小説が描きたいな。

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