「理解する」という暴力性

 ちょうど、「私は理解している」と思い込む事は危ないよなあと漠然と思っていたので、しっくりきた言葉がいくつもあった。

韓国SF作家キム・チョヨプが語る。異なる他者を理解しようとすることを、諦めたくない | CINRA

 「私はずっと不満に思っていたことがあるのですが、いまの社会ではいわゆるマイノリティとよばれる少数者に対して、マジョリティが「受け入れる」という言葉を使うことがあります。ややもすれば、それはマイノリティを見下すような態度で、いま共存/共生が語られるときにも、そんな意識が少なからずあるように感じるんです」
 「自分のなかで正当化していても、もしかすると理解しようとする試みそのものが相手にとっては望んでいないことかもしれないし、傷つけることになるかもしれない。それでも、理解することを諦めてほしくない気持ちもある。つまり、相手を理解しようと努める背中も押したいけれど、そこには暴力性や限界もあるということを絶えず警戒心を持ちながらアプローチしてほしいという想いもあるんです」
 「私が未来を描くとき、現時点よりも悪い世界を書くこともあれば、現時点より少しは良くなっている世界を書くこと、現実と似通っているけれど別バージョンの世界として書くこともあります。どんな形態の未来だとしても、完全なユートピアやディストピアはないと思っているんです。いくら、ほの暗い現実だとしてもどこかでより良くしようと動く人も存在するはずですし、外から見れば完璧な世界でも内部では排除が起こっていることもある。その社会からはみ出してしまったり、居場所のなかったりする人はいると思うんです」

韓国SF作家キム・チョヨプが語る。異なる他者を理解しようとすることを、諦めたくない | CINRA

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