嘘の百花繚乱のこの社会、事実と見解を分けて考えることが重要。

なぜ人は嘘をつくのか?

嘘をつくことにより社会常識と正反対のことを言うことにより人の注目を集めることができる。

それによりなんらかの利益を得る。それが目的だ。

ここで言う嘘は即時に断罪されるような反社会的な嘘や個人攻撃ではなく、単に見たことも聞いたこともないようなホラ話であることが多い。


このようなバカバカしい嘘だが、何度も何度も繰り返し嘘をつくことにより、もしかしたらその嘘は本当かもしないと信じるフォロワーが少しずつ増えていく。それが奴らの目的だ。最近のSNSを見ているとそういったとんでもないホラ話がどんどん増えている。


まさしく嘘の百花繚乱である。
嘘の爛熟百鬼夜行の如きである。
SNSの流行と歩調を揃えて嘘は順調に拡大している。
これは全世界的全地球的傾向である。

なんの根拠もない単なる思いつきから始まり狂った頭が生み出した壮大なファンタジーに至るまで嘘や作り話が蔓延している。そういったファンタジーは特定の一派を成し嘘の権威オーソリティーが幾つも出来つつある。

奴らは小説家にでもなれば成功するかもしれない。

最初にこれはフェイクですよと一言断りを入れればなんの問題もないのだが、奴らは真面目な顔をしてこれは真実だと断定する。だから厄介至極である。嘘のファンタジーを真実であり現実であると信じる頭の弱いフォロワー人間が大量生産されている。彼らが団結して一派を成している。



そして彼らの特徴は少数派であり真実の覚醒者であると思い込んでることだ。さらに社会のメインストリームからは阻害されている、アタオカだと思われていると感じている。被害者意識が強い。またそのことでより強く団結する。これってカルト宗教の信者と似ている。


特定の思想信条を持つことは人間の基本的人権の一つではあるが、その思想信条の内容を吟味することが必要だ。

僕は10年くらい前から世に言う『陰謀論』と言われるものを追いかけているが、全てが正しいなどとは考えてない。陰謀論の一部は真実だが大半の陰謀論は単なる陰謀であると思っている。最近はそのゴミカスみたいな陰謀論が指数関数的に増大してるように思う。それを危惧している。


重要なのは事実と人の見解をはっきりと分けて考えることではないだろうか?◯◯という事実がありそれは◯月◯日◯時に起こった。そのことが一番重要だ。それに対してさまざまな人が意見を言う。それは全て人の見解だ。どんな切り口からどんな考察をしても自由だ。


それにより真実に到達できるのか?いや、大半の考察はゴミカスだと思う。


人の考察に振り回されるのではなく、自分の頭で論理的に考えなくてはならない。そしてある程度の納得のいく結論に辿り着かなくてはならない。そうしないと常に他人のくだらない考察に振り回されてしまうだろう。

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