色気すぎ! 切られの与三

シアターコクーンの思い出は色々あって、蜷川さん演出の9時間だか6時間だかの舞台を見たり、宮沢りえちゃん&松たか子さんの共演でまじで火花散っていたNODAMAPとか、自分でも忘れるぐらいあるけれど、コクーン歌舞伎もやはりその一つ。とにかく舞台そのものも素晴らしいけれど、距離感が近いこともあるのだろう。
その世界を一緒に生きた。という感じがする。
どれもどこか、今の私たちと同じような感覚が織り込まれていて、特に今回の与三郎はそれが強かった。
走って、走って、走って。
私たちも同じように何かに追い立てられるようなところもあり、望んで走っているような、逃げているような。
どんな醜い傷もなかったことはできない。
そのことも、たぶん観ている人にも共通する思いだろう。
そういう意味で、私たちのリアルに近いコクーン歌舞伎は、江戸と今の感情をはっきりと結び直すものなんだな、と感じる。
今回は、わりと全体が見渡せる席と、かなり間近な席で、あまりにもよかったので2回も見てしまったのだけれど、不思議と遠目に見る七之助さんのほうが、色っぽく見えた。
遠く流れてくる香りのほうが濃くなるのか。
逆にお富さんを演じた梅枝さんは、最初、一緒に見た友達が「美人すぎないのが、ちょうど与三郎がなんでこんなに好きになったのか、って思えてよい」と言っていてなるほど〜ってなってたけど、間近で見たらおぉ、風呂上がりの設定の唇から首筋、肩の線まで湯の気配が匂いたつようだった。
七之助さんは、ちょっと甘えた、なのかな。お坊ちゃんらしさがぬぐえず、どんなにやさぐれようと、品と可愛げが出てしまう与三郎が、ぴったり。
最後の場面、1回目と2回目で、私の中で解釈が違ってくるのも、すごい舞台だった。
追記。終わった後、父がよく鼻歌で歌っていた、「死んだはずだよ、お富さん〜。生きているとは、お釈迦様でも」という、昭和歌謡がリフレイン。

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Hirune

見たものつれづれ帖

お芝居、歌舞伎、映画に将棋。たまに日常。まれにおいしいもの。心が動いたものの覚えがき。
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