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薄れゆく記憶とともに



27歳になった。


歳を重ねただけ、と考えるとそれはそうなのだけれど。
27歳になったとて、そして何歳になったとてあまり自分自身は変わっていなかった。それが良いことなのか悪いことなのかは、わからない。けれど、わたしは変わらず朝起きて、歯磨きをして、朝ごはんを食べて、少しテレビを眺めて1日をはじめる。スマホでツイッターをぼんやり眺めて、新しいニュースに驚いたりなんかして、そんなふうな生活は変わらず今も続いていることは事実なのだ。


忘れたくない記憶や忘れたい記憶、たくさんあるけれど、忘れたい記憶なんてものは忘れたいと思わずとも忘れてしまっている。
厄介なのは忘れたくない記憶だ。いつも寝る前に何度も何度もその瞬間を思い返して、脳裏に刻もうと必死になっていると、いつの間にか眠りについてしまっていたりする。朝起きると、夢を見たせいで忘れたくない記憶が薄れている。そして生活に追われ、時間が流れるうちに新しい記憶が上書きされ、哀しいかなその記憶は戻らぬものになってしまうことだってある。人間は完璧な記憶媒体じゃないから仕方ないのはわかるのだけど、どうにかならないですかねなんて思いながら、日が暮れて、また夜ご飯を食べ、寝床につき、1日が終わる。





そうやって人はたくさんのことを忘れて生きていく。

忘れたくないあの瞬間を思い出す時、なぜその瞬間を忘れたくないのだろうかと考える。嬉しかったから、ドキドキしたから、必死だったから、可笑しかったから、見つめていたかったから、そこにずっといたかったから。どれをとっても結局はかけがえのない瞬間で、大好きな瞬間だった。ずっと大切にしたい宝物みたいな瞬間だった。そんな瞬間からわたしは、いつまでたっても離れたくないひねくれ者なのだ。


さよならしなくちゃ前に進めないよねって思いながらその瞬間を目を閉じて思い出しながら可笑しくて笑って、また日常に帰る。この先もう取り返せない時間はもちろんあるし、出会えない人もいるのでだろう。そんなことを考えると余計に寂しくて、だけどわたしたちは生活をまた続けるしかないのだ。




歳を重ねるごとに思う。
わたしは人が嫌いだと言いながら、本当は人がとても好きなんじゃないかと。忘れたくない記憶とともにいるのは、いつだって大好きな人たちだった。



そんな人たちに思いを伝えるのが苦手だったりするから、どこか間違えたり、すれ違ったりもするけれど、だけど、それでも大好きな人たちに想いを伝えることを諦めたくないし、また笑顔で出会えるように生活を、そして生きることを続けていかなければならないのだと思う。


忘れてしまうけれど忘れたくない記憶と、大好きな人たちへの想いがあるから、自分を生きていくことをやめられないのかもしれない。


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モコ子

27歳女。エッセイ,コラムニスト。ブロガー。ハロオタ。ジャニオタ。生きづらさからくる可笑しさと健やかに暮らせる未来をみつけたいと思っています。

エッセイ

ただの徒然草。
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