エレジー

新宿方丈記・30「裏通りのエレジー」

私が現在仕事をしているオフィスは、かつての高級な繁華街と言われた街の端っこにある。実は私が新卒の頃勤めていた会社も同じ街にあったのだが、バブルがはじけた直後の当時は、まだ今よりずっと敷居の高い、大人の街であった。今では随分と様変わりして、道は広くなり、なんとなくシックな構えの店舗にしているようではあるけれど、普通にチェーン店のコーヒーショップやドラッグストアが立ち並ぶ、親しみやすい街になりつつある。粋な芸者さんや旦那衆が闊歩していた街だとは、若い人なら想像もできないであろう。しかし細い通りが何本も走るこの街で、一本裏道に入ると、正面からは見えない街の表情が今も窺える。私が普段出入りに使っている裏口も細い通りに面していて、道の両側には背中を向けたビルが隙間なく並んでいる。年月を経て汚れた壁、壁際に積まれたエアコンの室外機。テナントに入っている飲食店の裏口が続き、「ネズミが入るから必ず施錠」などと書かれたゴミのロッカーや、業者が納品したダンボールが其処此処に目に付く。タバコ屋の面に置かれた灰皿の前で、スマホ片手に一服する人たち。コンクリートの段々に腰掛けた、疲れ切ったようなビジネスマン。みんな少しだけ、肩の力を抜いて油断している。

夏の朝、まだ目が覚めきっていない緩い空気の中、饐えたような匂いに少しだけ顔を歪め、開店準備に出勤した従業員の、緩慢な動きを横目にオフィスに向かう。途中のコンビニで調達したコーヒーカッブを片手に通りの角を曲がると、見上げたビルの隙間の空は細長く、何本も電線が交錯し、今日も暑くなるぞと告げてくる。角からビルの裏口までの何十メートルの間の裏通りの光景に、いつもなぜだか安堵する。ピカピカのよそ行きの顔をした正面からはわからない、本当の姿が見える気がするからだろうか。バブルの頃、明け方の六本木で見かけた、積み上げられた赤いゴミ袋とカラスの姿が少しダブって見える。朝の裏通りには、生きていく、ということの本音が静かに露呈している。私には、そんな風に見える。哀しみや嘆き。エレジーを口ずさみながら、今日も生きていく。8月が終わり、今年も夏が通り過ぎていく。



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