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新宿方丈記・41「言葉を紡ぐことは」

しばらくの間、文章を書くことが嫌になってしまった。というのは正確じゃないな。自分で自由に文章を書くのが、と言った方が正しい。だって出勤してから退社するまで、ほぼずーっと仕事で何かしら書いているのだから。語弊があるかもしれないが、ビジネス上の文章なんてどうにか切り抜けられるのだ。仕事として受けたのだから、どんなものでもクライアントの意向に沿って、規定上のルールに則って、なんとか形にすることができてしまう。でも、自分で自由に好きなこと書いていい場所では、ビジネスライクな文章書いたって仕方がないし。そう思ったら逆に何も書けなくなってしまった。日々思うことはいっぱいあって、どんどん降り積もって溢れんばかりなのに、書けない。だから書くのをやめた。やめてしばらくしたら、書かなきゃいけないという強迫観念がなくなった。楽になった。

何であれ、ビジネスとしてお金が発生するものは、責任を持ってやり遂げなければならないが、そうじゃないものは追い立てられたら何も出てこなくなるのだ。自由に生み出すもの=締め切りや形式なんてない。もっと言えば、生み出さなくたっていい。それを「やらなきゃ」と自分でガチガチに縛り上げてしまったら、出てくるものも出なくなる。せっかくの自由をビジネスと同じにしてどうする。そんなことはわかりきっていることなのに、自分の中で消化して納得するまでに結構時間がかかった。要は考えられないほど、疲れていたのだと思う。

四の五の言わずにすっと出てこないものは、多分自分の言葉じゃない。だから書けない時は書かない。できない時は生み出さない。単純に開き直ったら、すっと書けた。また、今日から少しづつ書く。いつの間にか、窓に雨粒が踊っている。窓の下を静かに車が通り過ぎて行く。滲んだ赤いテールランプの光を残して。



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