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新宿方丈記・43「湿った夜の花火」

仕事を終えてオフィスの外に出ると、パラパラと雨が降り始めた。傘を取りに戻ろうかとも思ったが、再びエレベーターを待つのが億劫で、ええい、と雨の中に早足で踏み出した。酔客の溢れる赤坂の裏通りは、宵の口でも深夜でもない、微妙な顔を見せている。大して濡れもせず駅に駆け込み、電車に乗った。いささか冷房の効きすぎた車内は、LEDの灯りがうるさいくらい眩しい。最寄駅について、どんよりとした灰色の空の下に出る。立ち寄ったコンビニに肩を濡らしたサラリーマンが次々にやって来て、ビニール傘を求めていく。追いかけるように、こちらでも雨が降り始めた。それでも傘なしのまま、今度はゆっくり雨の中を歩き出す。少し肌寒い夜。ついこの間、更地になったばかりの区画の横を通り過ぎるが、そこが何であったのかもう、思い出せない。五輪のエンブレムが描かれた黒いタクシーが、スローモションのようにゆっくりと通り過ぎ、誰もいない交差点で停車した。信号が青に変わる。少し強くなった雨粒が、音を立ててアスファルトを濡らしていく。空気の匂いが、夏のそれとは明らかに変わった。街路樹の植え込みには曼珠沙華が咲いている。こんな街の中でも季節が来ると固まって顔を出すこの花に、少しだけ畏怖の念を抱く。湿った夜の中で赤い火花を散らしている。緩やかな坂を登りきり、マンションの扉を開ける。振り返った空を雲が流れていく。日付が変わる前に、雨もどこかへ流れていくだろう。

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