Daisuke A. モデル略歴


1997年、映像・脚本の学生だった事が発端となり、
1998年に SOS MODEL AGENCY に所属。

初めてオーディションで勝ち獲た仕事が、
VOLVIC CAMPAIGN (広告オール媒体の年間契約)で、
モデルキャリアとしてトップグループに入り新人時代に突入

その勢いから BENETTONSISLEY とで初のファッションショーを経験、
その後は TOMMY HILFIGERALFRED DUNHILL などに続き、
当時で言う、東京コレクション ( 現在はアマゾンファッションウィーク ) などに出演。

映像関係者だった事もあり、新人時代から数年のモデル業はかなり好調

21歳の夏1999年、
国内で様々なジャンルのモデル業務を経験し、雑誌はNGとして早期のモデル引退を考え、英語力はゼロなのに単身で ニューヨーク に挑戦 ( モデル開始時点から芸能界への意志は無い )。
初の海外挑戦は完敗、多くの事を学んだ事から、ヨーロッパへ挑戦する事を意識する事になる。

が、しかし… 結果的にモデル業だけで二年間を遊んで過ごす……。


23歳の夏2001年、
満を持してパリミラノコレクションに初挑戦。
当時の海外組モデルで期待されていた先輩方々と肩を並べるための海外再挑戦だったが、またも敗北……。
恥ずかしいのでミラノに単身で延長滞在を決意した。

その結果、1シーズンのみタレント事務所に所属し、 FIAT など TV コマーシャル の仕事を三本獲得。次回の再挑戦する準備や情報収集となった。
この時、財政的に帰国ができない状況に陥った苦笑のストーリーがある


その後 2002-2006年まで、年二回の毎シーズンをミラノ中心に挑戦し続け、この間にパリとロンドンも経験し敗退。
コレクションを獲たら引退のはずが、負けてばかり……。
結果的に、世界雑誌ARMANI JEANS などのファッションショー、コマーシャル、プロモーションビデオ、キャンペーンなど、
コレクションのショーを除いては様々なキャリアを獲る事と成った

この間、海外用の写真を必要として Directed By OZI のディレクションや、他のモデルから海外相談などが増えての、モデル講師業も開始となる。

2006年に TIMBERLANDASIA CAMPAIGN 、某携帯 CM など大きな仕事を獲た事を最後にモデル業は28歳で引退
海外での所属したモデル事務所は MAJOR MODEL MANAGEMENT で、ニューヨーク、ミラノ、ドイツなどにもある世界的なモデル事務所

華々しい経歴のモデルではなく、
何度も失敗を繰り返して獲たモデル経歴と言う表現が自分好み♪


2014年に6ヵ月間で20kgをダイエットし、6月 SS15おっさんの挑戦!
ミラノの MAJOR MODEL MANAGEMENT / モデルの名前は DAISUKE A. で再所属してキャンペーンを獲得、
人生の気分転換と実験の意味を兼ねて海外のみでモデルを復帰した。

もしかすると、おっさんモデルとして国内復帰する可能性があるかもしれない…


ダイスケの講師略歴はコチラ

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