12/1 一人称と名前

創作物のキャラクターは、独特の一人称を持つことでキャラを主張していたりするが、現実にはなかなか一人称を固定することってない。俺は……僕は……自分は、いちおう今のところ、SNSやこのようなネット上の文章では「俺」を一人称としているが、日常生活では滅多に使うことはない。仕事場では接客時には「私」、社内の会話では「僕」を使っており、今までの人生における発話すべてをカウントしていたらおそらく一番多く使っているのは「僕」になると思う。同級生や親しい人との会話では「俺」を使っていたが、ただ現在、同級生とは誰一人とも交流してない……。親しい人も……家族ぐらいしかいない。でも家族間の会話で一人称を用いる機会って意外と無いんだよな。口頭ではめっきり使用機会の減った「俺」だが、だからといって捨てる気にもなれない。やはり、状況によって使い分けるのが普通だし、そうやってくもんだよなと思う。
とか考えてると、そういえばそもそも自分の名前からしてあんまり得意じゃなかったな……ということを思い出した。嫌いとまでは言わないが。自分の名前は(ここは「自分」を使うのが適切であるように思われる)濁音が入っているのだが、名前を名乗るときに濁音が入っていることが、何だか恥ずかしかった記憶がある。記憶っていうか正直、今でも若干そうだ。なんかそこだけちょっと声が大きくなっちゃうし。自分の引っ込み思案な性格はそこから始まってるんじゃないかなと思うことさえある。そんな研究とかないのかな……名前に濁音が入っている人と入っていない人での自尊心の比較。繰り返すけど別に自分の名前が嫌いなわけではない。音はそうでも漢字は気に入ってるし。だから親を恨むことはない……なかった……かな? ただ初めてZガンダムを観たときにカミーユが自分の名前にコンプレックスがあると知って、ちょっと共感を覚えたりはした。周りの人……父母兄弟、年の近い親戚たちはみんな濁音が入っておらず、子どもの頃の同級生も片っ端から思い返してみても、あんまりいなかった気がする。それで無意識に「なんで自分だけ」みたいなことを思ったのだろうか。

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