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原因不明の入院中の過ごし方

いつも元気な私は少しくらいの痛みは我慢!

2023年12月で仕事の忙しさ、師走の忙しさも重なっていたが、コロナ禍が明け、忘年会や友達との食事とか、楽しいイベントが目白押し。

ちょっと胃が痛いのなんて平気!まあ、旦那とうまくいっておらず、ストレスだろうと気にも留めない12月初。
ここからなのかなあと 振り返ってます。

私は今年50歳になる、旦那さんが経営する飲食店と旦那が勝手に作ったスイーツ店を運営しなければいけなくなった、専業主婦です。

息子も中学2年生で習い事、塾、学校、部活と送迎や、食事、まだまだ手がかかるお年頃が一人います。
旦那さんは、いつも本当にいなくて、会話もなくて、、ので、逆に面倒がなくていいと考えていました。実家も近いし、友達もいるし、寂しさはありませんでした。そう、もう冷めた感覚でした。


12月はわくわくがいっぱい

コロナが明け、やっと忘年会、食事会、そして私の誕生日、クリスマスと12月は仕事にプライベートに、スケジュール管理が大変なほど、忙しかったです。
自営のスイーツ店とは、主人が監修した、いきなり、2020年ころな禍真っ只中、飲食業界の先行きが、見えず、営業もできず、ただ不安だったあの時に、開業したスイーツ専門店です。
このプリン専門店のはじめ方は、別ノートでお知らせします。

そのプリン専門店もクリスマス商戦で新作や、ふるさと納税返礼品にもなっていたから、仕込み販売に大忙し。
仕事に、イベントに私も息子も大忙し、旦那さんは飲食店経営、調理を全て一人でやっているので、12月は本当に帰ってきませんでした。

だからこそ、この12月を楽し苦過ごしたいと、体調の変化に目を向けず、ちょっとの痛みは我慢しちゃいました。

飲み会での会話で

23日体調が悪かったけど、仲良くしているママ友とお好み焼き屋さんで、飲み会。いつも遊んでいるから、話も盛り上がる。
そのメンバーでたまたま、同じ接骨院に通っていて、その接骨医院長が40代後半で、筋肉マッチョだけど、二ヶ月前に、心筋梗塞で緊急入院して、一ヶ月間接骨院は休業していると話をきいた。今は元気になり、その時の話を聞いたと、友達から話されたのが、
急に心臓と、肩周りが痛くなって、我慢できないほどではなかったけど、などか、痛みが襲ってきて、緊急外来で病院に行ったら心筋梗塞で、もう少ししてたら、、、
という話だった。

その時、私も実は、左肩の痛みがあって、24日にクリスマスで忙しかったが、肩が凝ったのかもと、ご自愛しようと、行きつけのマッサージ屋さんで揉んでもらった。それから夕方からは息子とバレエ鑑賞会だったため、おしゃれして、ホールにて3時間鑑賞。しかし、椅子に座ってらないほど、左肩が痛くなり、なんだか体調が悪くなってきた。
 けど、クリスマスの夜、実母の誕生日だし、クリスマスイブだし、ということで、お寿司、用意してあったから、普通に食べれてけど、
なんとなく、昨晩の話を思い出して、両親もいたから、息子を置いて、家からほど近い緊急病院に行って受診した。

検査、検査、しかし、、

たまたま内科の先生がいたから、すぐにみてもらえ、レントゲン、エコー、点滴を打ってもらって、、いろいろ検査してもらったけど、よく覚えていない。ただ、肩の痛みと心臓、胃あたりの痛みとグーグル検索すると心筋梗塞と出てたらから、少し心配してた。先生もそこを疑った感はあったが、心電図は異常なし、ということで、肩の痛みはただのテニス肘、要は、50肩みたいなものだろうと、
その日はレボフロキサシン、殺菌を殺し、感染症を治す薬を処方してもらい、次回は4日後の28日年末最後の受診日に来てねと、25日になる前に帰った。

横になれない

自宅ですぐに横になるが、横になれない。背中が痛い。寝返りできない。なんだか息苦しい。胸が押されて横になれない。
ので、背中に壁寄りかからせて寝た。

朝起きても痛みが強く、25日クリスマスだが、私一人の出勤だったから、苦渋の選択で急遽プリン屋はお休みし、一日中、ベットの上で、横になれず過ごした。
母親はすぐに病院に行けと行って何度もきてけど、昨晩いろいろな検査をして、点滴、レントゲン、検査とかしてたから、翌日行っても仕方ない、と私は突っぱね、痛みに耐えてた、母親の言うことが、癪に障り、自分の不甲斐なさ、痛み、仕事のこと、などの不満が爆発し、母親に八つ当たり、この時も旦那は見てるだけ、声もかけない。抗生剤のロキソニン効かず、左鎖骨の痛みから左肩下に移動。右脇腹にも痛みが走る。

流石にこれはダメたと、26日に受診し、この時は肺も痛いし、肋骨の周りがコルセットでキツく巻かれたような痛みが、あり、そうそうに動けない。
しかし自分の車で運転して病院に行った。


緊急入院

また、いろんな検査をしてもらった、もうこの時は痛みで訳がわからなかったくらい。
午前中かけていろんな検査、血液検査、おしっこ、など見てCPRだったか、通常の方は0の数値のところ、私は19くらいあって、胸膜炎かと。
腹水も溜まっているから2時間後に入院と。。

年末になるし、仕事も私がいなくてもどうにかなると考え巡らせ、一度、プリン屋に行き、引き継ぎをして、自宅に帰り、取り急ぎ、パソコンと着替えを少し持って、病院へ。そのまま病室へ

左肩の痛みが抗生剤で和らぎ、冷やして楽になる
夜になると右脇腹が痛く寝返りできない。
お腹全体の痛みへ。胃の下が痛く息がしにくい

夜中の痛みに悶絶

薬飲んでるのに効かず、横になれず、座って耐える。リクライニングにしながら寄りかかる。
肺が痛すぎる。咳がひどく響く。どうにかなりそうな痛さ。
朝方傾けたリクライニングベットから体がズレ、それを治せなくて、悶絶。
ナースコールもおせず、腕をつくこともできず、痛みと闘った2時間。
地獄の2時間。寝れない、痛い、どうにかなりそう。。

背中から腹水を抜く

じっとしてれば痛くない時間ができ、動くと痛いの繰り返し。
朝の検診で担当の先生が、腹水をベットの上で、抜く処理をしてくれた。
細い管をエコー見ながら背中から刺し、黄色い液体350ML  
抜いたくれた。皮膚に表面麻酔をかけ、口の中のような麻酔らしい、表面をかけてから、注射器で中まで麻酔し、管をとおして、水を抜く。
エコーだけでやるから、声は聞こえる。見える。

レントゲンにMRIこれは1時間同じ体制で大変だった。大きな音がし、動いてはいけない苦痛ががある。
心電図の時には横になれなくて、先生もだいぶ時間をかけてくれたが、横になれない分映らないのか、だいぶ苦戦してた。

夜は少しのリクライニングになってきたが、寝返りが打てないから2時間毎に起きて、座り直しての繰り返し。エンドレス

息子の誕生日

14歳になった息子の誕生日に一緒にいられないなんて数日前には考え付かなかった。
慢性的な痛みはなくなり、動いたり、体制悪いと来る激痛は格段に減った。この日は1回だけタッだと日記に書いてある。

病院にはリハビリセンターがあり、肩を揉んでくれて、本当にありがたかった。肩が凝りすぎて、首がまわななかったから。

この頃、点滴3種類
抗生剤1日3回、メロべネム
バンコマイシン2時間半の点滴2回、強い薬
レボフロキサシン これは飲み薬と一緒の抗菌剤
一日中点滴を刺されている感覚

だんだんと点滴が効いてきたような感覚。背中の痛みが左側に
たまに心臓が痛くなることもあった

だいぶ無痛な時間は増えたけど、少し動くと呼吸が苦しい。
よく空気が入らない感覚。
カレンダーを見ると31日大晦日、
シャワーだけでも入れて嬉しかった。

2024年1月1日

新年をこの病院で迎えるのは2回目、1度目な息子の出産時。多分2日には退院したが、初日の出をここから2度も見るとは、
だいぶ痛みも取れて、動けるようになった。
気分転換にラウンジで食事ができるように、年始だから箱根駅伝でも見ようと、同日入院してきた、隣の80歳のおばあちゃんと意気投合。なかなかお元気な方で、気晴らしによく話してた。

そして、4時ごろ、
能登の大地震のニュース。

2日 大変体調が良く感じた。下剤を飲んで水分出して、久しぶりにベットをまっすぐにして寝れた。寝返りも少しだけ打てた。

ここから体調が良くなったが、お正月休みで検査もできない。
このあたりから、時間が長くなり、スマホで動画見たりしていたが、Wi-Fi環境ないから、ギガががんがん減り、しらべながら気をつけながら、スマホを見る。かなりストレス。
ベットではなるべく動かそうとあぐらをかいで、腰から回してみたりのヨガをしたりした。なるだけ動かせるところは動かさないと。

スマホからパッドにギャザリングして動画をダウンロードしてみるようにしてた。すぐに帰れると思っていたから

正月明けの検査

正月明けて、やっと検査ができる。採血、尿検査
しかし、なかなか、状態は改善しない。痛みはないが、胸の苦しさは相変わらず、点滴のみの治療だが、腕に点滴のラインをつけたままだから、不自由だし、痛い。

点滴での治療だけだが、1月8日でまる2週間。初めはプリン屋も休みだから大丈夫だと思っていたが、さすがに長い。いろいろリモートで仕事開始。
気を紛らわせるのにも良かった。
しかし、検査の結果、原因がわからないと、
1週間といっても平日のみ検査、リハビリがあり、進展しない。
土日が苦痛。
平日はなるべくリハビリ入れてくれるのだろう。肩揉みと自転車漕ぎを10分させてくれる。筋肉が衰えるし、きが紛れる。
そして私の病気は腹膜炎でなく胸膜炎だと初めて知った。違いはよくわからないが、
まだこの頃肺にちゃんと空気がはいってない。レントゲンでも水が溜まっている

3週間後

現状維持で、まだ肺の方は元に戻ってないが、抗生剤を先週やめてみて、それから5日後また、肺の痛みが強くなった。
動くと息苦しさはあるが、点滴が少しなくなった少しの喜びで時間はなんとなくすぎていった。だいぶ韓流の映画を見まくっていた。
また、嫌な痛みがやってきて、このあたりからだんだんとメンタルが落ちてきた。

一ヶ月

この頃一度回復の兆しがあってから、また変ないたみがやってきて、
看護婦さんの入院が伸びたような話を効いて、そして、お見舞いのラインをくれた義妹の言葉で入院してから初めて泣いた。
お見舞いに行きたいといってくれたけど、今メンタル弱ってるからごめんと、ラインに書いて、初めて自分の気持ちに向き合った。

占い

暇さえあれば韓流か、YouTubeを見てたが、山羊座の占い、リーディングが今思えば心の支えだったかも。
山羊座さんの運勢は最高、劇的に変化、報われる24年2月
とか、とにかく、YouTubeひらけば出てくる。それを見続ける。
みんな同じことを言っているけど、ほんとかなあと思いながら、気に入った話し方を探してみまくっているが、本当にみんな山羊座の運勢はすごいと。
23日はまるまる
29日は大変革日とか、
本当に違う占い師がこぞって、同じようなことを言っている。
今私の体調はリセット、15年間いた冥王星が抜け、素晴らしい日々がやってくる。暗示のようにみまくって、疑いのないことと信じてた。
これが私の入院中の気持ちの維持の仕方だったと思う。

ステロイド

症状が改善しないから、治療の方向性の最終手段のステロイド投薬に切り替えると、点滴のラインももう取れなくなり、手はむくんでいた。
ステロイド治療はしばらく前からスマホで調べていたが、血糖値が上がり、糖尿病になる可能性があるとか、薬やめるまで長期にかかるとか、調べていたらか、
でも仕方ない。もう、決めて早く、一刻も早く治りたいと願っていた。

ステロイド治療開始が22日月曜日、朝の検査で点滴の効果がなかったから変更したのだが、次回の検査は木曜日。それまで薬だけの入院。
点滴がなくなったが、これがまた辛い。自由にいられるのに、退院できない。
ステロイド飲み出して1週間。
お腹がパンパンに張り、右足の裏だけ痺れてる。
これも先生方には原因不明でまだ帰れない。

いやまだまだでしょう!!メンタル崩壊

辛い土日が終わり、月曜日、6時くらいに採血し、9時の回診の時に先生が状況を効いてくれるが、薬だけだから今月で帰れますか?
と効いたら、担当のN先生の後ろの先生が、いや全然無理だよ。
他の検査もあるし、入院してないとできない先になるよと、

いつ検査するんですか。涙が溢れて、溢れて、
メンタル崩壊。今週は産婦人科と神経内科は予約いててくれてたが、胃カメラ、大腸検査と。
先生看護婦さんの前で涙が止まらず
布団に潜り込んだ
もう限界だよ。誰も来ないで
9時から2時間涙が止まらなかった。

1月29日

朝の回診があった29日
占い、リーディングでは改革の日、出発の日、最高の日とかで投稿があり、
まじ最低に最悪の日だと、占いなんて信じられないと恨んだ。
気持ちを落ち着かせることがなかなかできす、看護婦さんの言葉にも返事できない自分の弱さに、涙がボロボロ。
でも、そんな中で、親友ががラインくれて、頼んだ書類の件で連絡くれて、それが気を紛らわせてくれて、正気を保てた。
本当にありがたかった。このことはのちに感謝を伝えたい。

急展開

最悪の29日
リハビリも休み、ボートしてた。
気を紛らわせるためにシャワー入ったり洗濯物したりして過ごした、5時過ぎ、N先生が来て、泣き落としに負けたのか
今週検査を入れて今週中には通院治療にへと!!

へえ!!やった。
それを旦那に伝え、合わせて、そのまま家をでるので、お世話になりましたとラインで伝える

これもずっと考えていたことだけど、旦那とはもう一緒に入れないからいいタイミングだなあと、息子ともほとんど連絡くれなかったし、なんか全部がリセットだなあと、
それより今週退院の目星がついたことが、最悪からの最高になった。
占いあってる!

運気

やっと、気持ちも落ち着いて、検査してもらったり、なんかやる気が湧いてきて、家を出てから登り坂の人生しかないと考えているけど、収入がなくては始まらない。
前から不労所得で稼ぎたいと、自分の価値は自分で決めたくできる気しかしないやる気が湧いてきた。
以前からNOTEで書いてみたかったけど、この文を今1日で書いてる。まあ、時系列だから書けるが、筆は乗っている気がする。






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