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神田川・発見の旅48 番外編・六義園には一度行ってみたい

四十七の(2)神田川・発見の旅 番外編・六義園は一度行ってみたい公演

 気分は萎えたが、六義園は素晴らしかった。泉水公園で小石川後楽園に似ている感じはあるが、築山や松の林が実に見事だし、散策路が巧みに構成されていて、ある路地に入ると他の路地は築山の影になって見えず、逆に低く盛られた築山の前に来ると他の散策路や水路が垣間見える。築山に切り取られたスペースにのぞく泉水、小川、松林、石の橋が心を和ませてくれる。ただただ広く開放されている景色も悪くはないが、僅かな隙間に覗かれる景色も一興だと思う。空に突き出た樹の一本一本が景色を微妙に遮っているが、こちらが動くたびに樹々の合間の景色は微妙に変化する。しかも、わざとらしくなく、あるがままの自然に見える。なのに、人の手によって造園されたものだという主張もある。面白い。小高い丘の上に造園当時のままの「つつじ茶屋」があって、ここから六義園全体を一望できた。途中にあった吹上茶屋ではお抹茶をいただいた(850円)。

見どころいっぱいの六義園
野点の会場からの眺め
夏は冷たい抹茶が出ます

 さて、重森先生の講演会だが、やっぱりプロのお話は違うと感じ入った。
 パワーポイントで写真を表示しながら泉水や築山にも触れていたが、講演時間のほとんどを石の説明に使っていた。二つの公園に、石があったのは見届けている。小石川後楽園、六義園を通じて写真を100枚近く撮ったが、石の写真はたったの一枚だけで99枚は景色を写していた。重森先生が示した写真の多くは、石の写真だった。石はあらゆる物の中で、一番無機質なものだと思う。植物は花を咲かせるし、樹木の多くは秋に落葉する。芝は夏には艶やかな緑だが、冬には黄金色に姿を変える。常緑の松にも年輪があり、気がつけば枝を伸ばしている。虫に食われて枯死することもある。石はどうだ。動かず、変わらず、無言ではないか。ただそこに在るだけ・・・。しかし、見えない変化が内部では起きている。

日経新聞本社・ホール

 重森先生の話を聞き、石の写真を見せられ、大いに納得したのは『石をして語らしむ』日本庭園の形のことだった。不変、不動、無言の石こそが庭園の根本思想を表現しているのだとお話を聞きながら勝手に理解した。江戸の庭師は石の持つ特性を庭に生かしていたのだった。それを喝破した現代の庭師(講師)もさすがだと思う。恐れ入りました。

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