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クレイジージャーニー立嶋特集を見た雑な感想

 先日(2023年6月5日)、TBS「クレイジージャーニー」にて立嶋篤史の密着回が放送されました。

 この記事は番組についての感想というより、番組を見てこころにうつりゆくよしなごとを、そこはかとなく書きつくったものです。
 
 如何せん大分昔のことなので、記憶も曖昧で思い違いをしていることがちらほらあるかもしれません。
 
 誰か向けというよりはほぼ備忘録です。
 まとまりないです。
 悪しからず。

 

自分にとっての立嶋篤史


 立嶋が活躍した90年代はK-1、UFC、PRIDE発足と、格闘技界にとって転換点というべき重要な年代でした。
 僕は90年代後半に上京するまで、娯楽と言えばカラオケとボーリングくらいしかなく、何故か音楽だけには敏感な田舎町に住んでいました。

 ですので立嶋の試合は、格闘技雑誌と(格闘技通信、ゴング格闘技は発売日に実家に届いていた)レンタルビデオでチェックしていました。
 僕にとって、キックボクシング(国内)の選手と言えば立嶋であり、今でこそ大好きな前田憲作は当時はあまり好きな選手じゃなかったような記憶がある(嫌いではなかった)
 ただ、立嶋を知っている同級生は僕の周りにはあまりいなかったと思います(地上波にも出てたりしたんだけどね)

 WOWOWで中継が始まったリングスはブームになり、その後は地上波を巻き込んだK-1がどんどんメジャーになっていって、それまで格闘技を見なかった人たちにも浸透しはじめました。
 僕の界隈ではディック・フライヴォルグ・ハン等リングス関連の選手がまず有名になり、その後、K-1関連の選手が爆発的に有名になりました。
 当時は、立嶋よりも極真空手の選手の方がよっぽど知名度があった気がします。
 ちなみに佐藤ルミナをはじめとする修斗ブームはもう少し後の方です。

 僕にとって立嶋は大好きな選手でしたが、宗教的に熱中したわけではなかったです。

 90年代当時の僕は、プロレス、リングス、パンクラス、K-1、極真、ボクシングを見て、相撲にも夢中になっていて(そういえばサンクチュアリめちゃくちゃ面白かったですね)、周りは巨人ファンだらけの中、西武ライオンズをひたすら応援して、バスケ(NBAと国内高校バスケも見ていた)、テニス、サッカーと、格闘技以外のスポーツもかなり見ていたので、愛情が分散されていたような気がします。

 それぞれのジャンルに推しがいて、立嶋はキックボクシングの推しという感じでしたかね。
 全日本キックが中継されていたら(当時)また違っていたのかもしれませんけれど。

 立嶋はあらゆる方面に毒を吐いていて、その中には僕の好きなジャンルや選手もいたけれど、僕は当時あまり気にはならなかったかな。
 そんなに間違ったことを言ってるとも思っていなかったし、そこも立嶋の魅力の一つだと思っていました。

立嶋篤史と村浜武洋


 2015年に武尊と那須川天心の騒動が起きたときに、ある一定以上の世代は真っ先に立嶋村浜を思い浮かべたと思います。
 2015年の騒動自体を実際に体験(雑誌やSNS等で)した人達も今ではマイノリティなんじゃないかなと思いますけれどね。

 この記事を読んでいる時点で立嶋村浜の経緯をご存じない方はそれほどいらっしゃらないかもしれないですけれど、仮に知らない方がいたらご自身で調べてください(笑)

 一応簡単に説明すると、当時キックボクシングで最も人気と知名度があった全日本キックのエース立嶋にシュートボクシングのエース村浜が嚙みついたわけです。
 当時はSNSとかは勿論ないので、煽り合いは雑誌を通してでした。
 
 クレイジージャーニーが放送されたことにより、元SB王者の土井広之氏と元新日本キック王者深津飛成氏がTwitter上でやり取りをするなど(大人のやり取り)、レジェンドを巻き込んで過去の遺恨が掘り起こされる形になりました。

 立嶋信者だったサーバルさんが(いつも名前出して恐縮ですが)、ある時期までSBに対していい感情を持っていなかったというところを鑑みると、天心武尊のファン同士の遺恨も何十年後かに、こうやって掘り起こされたりする可能性があるんだろうなとか思いましたね。

 でも当時の僕はアホ丸出しで、やれよ!立嶋vs村浜見たいぞ!と思っていましたけどね(笑)
 武尊天心のときも全く一緒だったので、変わっていないと言えば変わっていないし、まるで成長していないとも言えます。安西先生すみません。

 まあ1番の大きな理由は僕はこのころ、完全に村浜ファンになっていたからです。
 村浜をK-1MAXで知った方も多いかもしれませんが、僕からするとあのぶよぶよな村浜ではなく、この当時の村浜が大好きでした。

 僕は元々プロレスファンで、今でこそ天心も武尊もプロレスファンであることを公言していたりと、格闘家でもプロレス好きな人が沢山いると思いますが、当時は格闘技とプロレスの間にはとても密接な関係がある一方、大きな川が横たわっていて、プロレス好きを公言する格闘家ってあまりいなかったような記憶です(確か)
 その点、村浜は(実際、その後プロレスラーになった)タイガーマスクのマスクを被って入場し、試合でもジャーマンスープレックスを披露したりとちょっと特殊な魅力に溢れた格闘家でした。

 1997年に東京ドームで開催されたK-1 GRAND PRIX '97 決勝戦。
 
その大会内で、K-1ジャパンフェザー級GPという当時のキック主要4団体の王者を集めた1DAYトーナメントが行われました。
 今で言うとK-1とRISEとシュートボクシングとKNOCKOUTの王者で1DAYトーナメントをやったような感じですかね。
 まだ今ほど団体が乱立していない時期でした。伊藤代表も現役だったので当然RISEはありません。
 そのトーナメントで村浜は優勝します(立嶋は辞退。代わりに初代新生K-1プロデューサーの前田憲作が出場。旧KNOCKOUTプロデューサー小野寺力も辞退)

 でも僕の記憶だとあまり盛り上がってはいなかったと思います。会場に来てた人の大半がヘビー級の選手がお目当てでそもそも知らなかったんじゃないかな。国内キック団体のことなんて。
 
 立嶋村浜騒動ってのはある特定の人種にとっては、あれからこれだけの月日が流れても遺恨が掘り起こされるくらい有名な事件ではあるけれど、でもそれはあくまで辺境の村の中での事件史の1つであったと言えると思います。

 そしてあの当時、四半世紀後にまさか軽量級のキックボクサーの試合がメインイベントで東京ドームが埋まって、PPVやゲート収入含め国内格闘技史上最大の記録を更新することになると予想できた人はまずいなかったでしょう。

 あと「唯一嫌いな格闘家は立嶋篤史」的なtweetが流れてきたんですけど(立嶋を嫌いな人がいることには納得しかない笑)
 僕は格闘家であの当時嫌いな選手思いつかなかったですね(他のスポーツでは結構嫌いな選手はいた)
 唯一、グレイシー一族をひたすら憎んでいてそれは2000年代に入ってからも続くんだけど、今現在じゃあグレイシー嫌いかって言ったら、全くそんな感情はなくて。

 嫌いな感情ってそんなに持続するものかなあって考えたら、僕は2000年代に入ると嫌いな格闘家がちらほらと出てきて、その格闘家はいまだに嫌いだから、あ、確かに持続するねって思った次第です。
 どーでもいい話ですけれど(笑)

立嶋100戦目の試合に関して


 僕は暫く立嶋の試合をしっかりと見たことはなかったです。
 結果だけは知っていたけど。
 また負けたな、くらい。
 もう立嶋辞めた方がいいよなんて気持ちはとっくの昔に無くなっていたし、実際今の立嶋にあまり興味はなかったです。
 
 ですが今年の1月、「笑ってコラえて!」に立嶋が出演したときに、立嶋から派生して90年代のことが色々と思い出されました。

 僕は立嶋をずっと追ってきた人間ではないし、試合内容に関してどうこう言う資格はないけれど、立嶋のことを全く知らなくて僕と一緒になってからキックボクシングを見始めた妻(旧KNOCKOUT、RISE、NOKICK、シュートボクシング、K-1等、映像が主だけど結構見ている)は、かなり複雑そうな顔をして試合を見ていました。
 何か、謎の多国籍料理を食べさせられたように難しい顔をして何か聞きたそうにしている妻に
「どうしたの?」と問いかけると「これはエキシ?」と聞いて来ました。

 そして、途中「なんでレフェリー止めないの?もう駄目でしょ?」と言う妻に「・・・うーん。まだ目が死んでないし、肘狙っているからね・・・」と絞り出すように答えました。

 妻の感想はそんなに遠く離れていたものだとは思っていません。
 そして、周囲に毒を吐きまくっていた若き頃の立嶋がこの試合を見たらどんな感想を言うのかなってチラッと思いました。

 試合に関して、事故が起きる懸念を訴えている方達が結構いらっしゃいましたが、その方達は至極真っ当だと思います。正しい。間違いなく正しいです。

 僕の感想は、よくノーカットフルで流してくれたなあと思いました。
 テレビ番組でこういった特集をするときには、上手に編集しナレーションとBGMを加えれば、作り手側の作りたいストーリーの都合に合わせていくらでも創作可能だからです。
 立嶋の試合は創作することなくありのまま流した方がドラマ性があるし、ありのまま流したからこそ、試合内容や事故に関して様々な意見が上がったんだと思います。
 
 ですがこの番組で僕が注目したのは試合よりも、計量オーバーする選手がそう珍しくない昨今、10代の頃から階級を変えていない立嶋のオールドスタイルの減量法や、音信不通になってしまった息子さんのインタビューでした。

 息子さんは、生活もあまり豊かではなかったし、切羽詰まっていたと答えていて、実際のところは2人にしかわからないと思うけれど、そのインタビューの内容は番組用に答えたものには見えなかったです。

 僕には息子さんの気持ちが分かるなんてことは軽々に言えないけれど、ほんのちょっとだけ(本当に1%くらい)わかるところがあります。

 僕は父親がとある格闘技の道場を経営していたために、生まれたときから格闘技が身近にある生活をしてきました。
 で、それはやっぱり特殊なんですよ。周りと比べて。
 僕も形こそ違うけれど、10代の頃にその環境からは逃げ出し距離を置いた人間なので。

 ただその息子さんが試合を観戦している姿には胸を締め付けられましたね。そして会わないで帰っていったのも良かった。リアルで。
 試合後にそのことを聞いたときと、スタジオで息子さんの話を聞いたときの立嶋の顔は、戦士の顔ではなく父としての顔になっていてそれもまた良かったです。
 

最後に



 立嶋ほどのネームバリューがあれば、もっと楽な生きかたを出来たと思うんです。
 分岐点は何度もあったんじゃないかなと。
 でも彼はそっちを選ばなかった。
 おそらく彼にとっては、その世間からみた楽な生きかたの方がしんどくて、キックを続けることが彼にとっては楽なことだったんじゃないかなと思います。

 今の格闘家は、仮に格闘家じゃなかったとしても成功していたんじゃないかなと思わせる選手が少なくないですね。
 でも、昔(それこそ本当に昔)はリングにしか居場所がないような選手(社会との折り合いが上手くつかなくて、決して華やかな場所を目指したわけではなく)がいたわけです。

 立嶋のその器用に生きることが出来ない、傍から見ればどうしようもない部分に惹きつけられる人の気持ちはとてもよくわかります。
 だからこそ、こうやって密着が組まれたりするんでしょう。

 とりあえず、昨日の夕食は目玉焼きのみにしました。
 これはマジ。
 単純に前日食い過ぎて太ったからだけど。


(了)

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