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DVは相手の犯罪に依存 便乗屋 事件屋 相対評価の悪 自分の罪に向き合わないと騙される

1、便乗屋
便乗の意味は、巧みに機会を捉えて利用する事。

犯罪タレントはDVとかパワハラをする。
相手が悪いと言いながら暴力を振るう。
相手が悪い時だけ犯罪をする奴は、便乗屋だから性質が悪い。
誤魔化しが利くと思って犯罪をするからだ。
相手が悪くても自分の犯罪は赦されない。

偽ファンは、変な擁護で業界を潰すから余計に悪い。
偽ファンは、業界を食い潰す。
偽ファンは、便乗屋である。
偽ファンは、自分のDVや性加害を正当化したいから、同じ犯罪をしているタレントを担ぎ上げている。
DVは自分より弱い相手だけを狙って暴力を振るう。
偽ファンは、自分の犯罪を誤魔化したいだけだから、タレントまで自分の犯罪を誤魔化す生き方が染み付いてしまう。
偽ファンは、自分と同じ犯罪をしている人間を担ぎ上げて、自分の犯罪を誤魔化そうとする。
人間を悪い方向へ誘惑する奴は、蛇が唆したのと同じ罪になり、裁判なし、更生のチャンスなしで地獄へ落とされる。

DVは相手が悪いから暴力を振るっていると言い訳するけど、相手が犯罪をしているからと言って、自分の犯罪が赦される理由にならない。
自分の罪は自分で背負う責任があり、相手に擦り付ける事はできない。
神は自分の十字架(罪)を背負わなければならないと言っている。

マタイによる福音書 10:38 (新共同訳)
また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。
ルカによる福音書 14:27 (新共同訳)
自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。
マタイによる福音書 16:24 (新共同訳)
それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
ルカによる福音書 9:23 (新共同訳)
それから、イエスは皆に言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
マルコによる福音書 8:34 (新共同訳)
それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。

相手の犯罪に縋りついているのがDVである。
相手の犯罪に依存している。
自分の罪は自分で背負わなければならない。

動画投稿のDV男は、まだ恥も外聞もある。
妻子のために仕事を探して頭を下げている自分がかっこいいと思い違いをしている。
妻子を利用している。食い物にしている。盾に使っている。
一番、妻子のためになるのは、自分が妻子と関わらなくなる事だ。
毒親もそうだけど、子供のためになるのは、毒親と縁を切る事だ。
一番に良い親とは、子供が一人で生きていける考え方とスキルを身に付けさせて、悪態をついて心置きなく罪悪感を抱かずに離れられるようにする事だ。

本来、犯罪者に対応すべきなのは、家族や同業者ではなくて、警察や精神病院である。

DVタレントも偽ファンも、どちらも便乗屋である。
似た者同士で集まる。

2、家庭内暴力
自分が努力すれば赦されると思っているなら、間違いである。
努力は免罪符ではない。
自力で改善とか言っているのは、精神病院に頼りたくないプライドが邪魔をしている。
他人に頼りたくないというプライドが邪魔をしている。

3、覚えられない原因
犯罪芸人は、性交した相手の女を覚えていないとか、何しているか生きているか判らないというのは、自分の能力を超えた性交をしているから、犯罪事務所やテレビ局に性交させてもらっているだけ。
犯罪芸人は自力で性交した事がないのではないか。
聖書的に婚外性交は悪行だけど、自分の記憶力を越えているから、自力で性交できていない。
自分で選んでおいて覚えない。
覚えていないならは自分で選んでない。
覚えていないのは自分の頭で考えていない証拠。
自力でやってないから覚えられないのである。
自主的にやってないモノは覚えられない。
学校で強制的に勉強させられた事は、覚えにくいし忘れやすい。
自主的に勉強したモノは覚えやすいし忘れにくい。
覚えていないなら、自分で選んでいるように見えて、実際は欲望や虚栄心に支配されて動かされている証拠である。
やりたくてやっているわけではないという意識が常にこびり付いて、物事を覚えられなくなる。

性加害をした犯罪芸人を擁護する連中は、自分の性加害・買春・犯罪を正当化したいから擁護している。

構成作家を庇う訳ではないけど、構成作家が匿名なのは、アイディアマンやクリエイターの代わりが居なくはないけど少ないからだ。
他の構成作家がやる気を失って、番組作りができなくなるから、テレビ業界は何が何でも構成作家は守りたいのだろう。
週刊誌側も、構成作家は匿名にしたから、構成作家だけは匿名にしてくれという交渉があったのだろう。
犯罪芸人の代わりなんかいくらでも利くから実名で出しても、テレビ業界は犯罪芸人を守らないけど。

偽ファンとかは、自分の罪に向き合って生きる必要がある。

4、相対評価
相対評価は悪である。
神は絶対評価で、このレベルを守れば天国へ入れると明言するから、どれだけ努力すればいいか判る。
しかし、相対評価だと、プレイヤーはどれぐらい努力したら合格できるか判らない。他のプレイヤーと情報開示を互いにしないと、自分が不合格になった理由が判らない。
会社・学校が相対評価をするのは、役割だから必要悪だ。会社が相対評価をしないと、社会を運営できない。儲けた金で慈善事業をすればいい。

便乗屋に漬け込まれるのは、相対評価で他人を考えているからだ。
人間関係を相対評価で付き合おうとするから漬け込まれる。
絶対評価で「自分を大事にしない人間を大事にしない」と考えれば、悪い人間関係の被害に遭わない。
相対評価で家庭・テレビ・学校・会社・社会に虐待されているから、相対評価で生きないといけないと洗脳されている。

5、犯罪と依存
暴力がいけないというだけで限定するといけない。
暴力を含めて、他人に依存する体質がダメ。

人間に依存するのではなく、神を依り頼めばいい。

詩編 4:6 (新共同訳)
ふさわしい献げ物をささげて、主に依り頼め。
詩編 115:9 (新共同訳)
イスラエルよ、主に依り頼め。 主は助け、主は盾。
詩編 115:10 (新共同訳)
アロンの家よ、主に依り頼め。 主は助け、主は盾。
詩編 115:11 (新共同訳)
主を畏れる人よ、主に依り頼め。 主は助け、主は盾。
シラ 2:5 (新共同訳)
金は火で精錬され、 人は屈辱のかまどで陶冶され、 神に受け入れられる。 〔病気のときも貧しいときも、主に依り頼め。〕

依り頼むのが依存か依頼か。
依存心でも依頼心でも、似たようなものだと思う。

DVとかの被害に遭う人間は、自分の力で何とかしようとするから、被害に遭うのである。
人間の力に頼ってはならない。
天の主の力に頼まなければならない。
聖書を読んで、聖書の通りに対応するなら、自分は守れる。
人間の力・自分の力で解決しようとするから、犯罪者に漬け込まれる。
聖書の内容で加害者を戒めれば、加害者は逃げ去る。

だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げて行きます

ヤコブの手紙 4章7節 新共同訳

人間の力に頼るとサタン・加害者・犯罪者は近づく。
神に頼れば、サタン・加害者・犯罪者は逃げる。
犯罪者に神の教えを示せば、反省する犯罪者なら改心するけど、反省しない犯罪者は逃げる。

6、無意識
被害を免罪符と思っていると、無意識に被害者になろうとする。

7、事件屋
事件屋とは、弁護士資格を持たないで他人の争いに介入して利益を得る事。
退職代行を事件屋とか言っている医者が居るけど、パワハラした方が100%悪いから、退職代行は救助しているだけだから事件屋ではない。
医学の勉強しかしていないから、客観的にどちらが悪いか判断する勉強をしていないため、こういう事が判らないのだろう。
そもそも、何か問題が発生したら、その事件で悪い人間の中で最も権力を持つ者が全て100%悪いのである。
退職代行を非弁行為・事件屋と言っている医者は、自分が被害者と対等だと思い違いをしている。
自分を限界まで正当化する事だけは頭が回る。
自己正当化に頭を使うから、道徳まで頭が回らない。
頭がいいと言っても、この程度だから、知能が高くても大した事はない。

人を見定める能力がないなら、人を雇うなという意味だろう。少なくとも、今の日本の解雇規制はそういう事だ。
実際は、そこまで解雇規制はきつくなくて、世間体を無視すればいくらでも解雇できるし、いざとなれば会社を畳んで別の会社を作る手段がある。
アメリカだと、そこまで世間体を考えないから、簡単に解雇や会社を畳むから、仕方がないためレイオフが制度として確立している。

体力だけで人生が上手くいくと体力以外が身に付かない。
知能だけで人生が上手くいくと知能以外の道徳とか身に付かない。

パワハラ医者は、言い訳しないとプライドが許さない性格をしているのだろうか。
最後に自分が言い捨てないと気が済まないとか、タダの三下だ。
それで勝ち逃げしたつもりになって、医療業界の権威を損なう。
こういう自分が最後に勝たないと気が済まない未熟な精神性の持ち主が近くに居ると、周りの人たちはウンザリする。
俺の毒親も、毒親の悪行を糾弾すると不機嫌になってダンマリで受動攻撃してくるから、ウンザリしてくる。まあ、神が守ってくれたから、毒親が逆切れして縁切り宣言してきたけど。
このパワハラ医者を相手にする時は、子供を相手にワザと負けてあげるゲームを、いい年こいた大人を相手に毎日しないといけなくなる。
こんな事をしないといけないならウンザリする。
自分の機嫌を自分でとれない。
キャバクラにでも行けと思うけど、キャバクラに行くと負けた気になるから生きたくないのだろうな。
まともな人たちが逃げるから、まともに病院を経営できないのだろう。

学歴や社会的地位の高い職業は、免罪符ではない。
罪を免れるモノを欲しがる生き方は止めて、自分の罪に向き合う必要がある。
そうすれば、改心のキッカケを掴める。

8、他人の巻き添え
隣人の悪行が自分に降りかかる。
だから、神は隣人を戒めなさいと命令している。

心の中で兄弟を憎んではならない。同胞を率直に戒めなさい。そうすれば彼の罪を負うことはない。

レビ記 19:17 (新共同訳)

自分のために神は命令してくれた。
同胞を戒めるのは、自分の利益のためだと神は言っている。
隣人が不買運動すると、相手国からの報復が自分に来たりする。
自分に被害が来ないようにするために、隣人の愚行を戒める必要がある。
商品は必要かどうかで買うかどうかを決めろ。

片方だけを異常に攻撃するのは、もう片方の勢力を助長する。
両方が犯罪をしているなら、両方を批判する必要がある。
片方だけを異常に攻撃するのは、正義ではなくて、工作員である。

ロシアに対してだけ不買運動をするのは、正義ではなくて、タダの勢力争いである。
アメリカとロシアと両国の陣営の悪行を全て批判したら正義をようやく自称できる。
ただし、正義は神だけだから、人間が勝手に正義を名乗っても正義に成れない。

どこかの国が悪くても、自分の罪は赦されないのが判らないから、騙されて、不買運動に巻き込まれる。そして、いつの間にか鉄砲玉に仕立て上げられる。
自分の命を捨て駒にされるのは、免罪符を欲しがるからだ。
免罪符を欲しがると騙される。
自分の罪に向き合わないと騙される。
自分の十字架(罪)を自主的に背負う意識を持てば騙されなくなる。

神を知らなかった時の自分の罪は、反省して、被害者に謝罪して、損害賠償して、神を信じて、神の掟を守り、神に対する罪を二度と犯さない人生をしたら赦されて、天国へ入れるようになる。

9、職業差別
職業差別は地獄へ落ちる。
神であるイエス・キリストは、漁師を使徒に選んだり、徴税人が改心したら救い、殺人犯の死刑囚が改心したら天国へ入国させて、娼婦を助けて二度と罪を犯さないなら赦すと言う。
神は職業差別や身分差別をしない。
神が完全であるように、あなたも完全でありなさいと聖書にある。

だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」

マタイによる福音書 5:48 (新共同訳)

娼婦を差別しない公正な人間になれば、農民とかも差別しなくなる。
神は、公正な人間になれるように、神であるイエス・キリストが自ら娼婦を助けて赦し二度と罪を犯さないように言ったのである。
職業差別に洗脳されると、一言で地位を失うし、発言に気を付けていてもストレスによる心労で健康と人生を台無しにする。
だから、神は人々をストレスから助けるために、公正な人間になれと、娼婦も差別しない人間に成れと諭している。

10、障碍者と政党
99%の障碍者はまともだけど、障害を悪用する自己中な一部の障碍者は、政党の政治生命を潰す使命でもあるのだろうか。
もしくは、サタン側がいつでも政党を潰せるように、常にこういう自己中な奴を政党の内部に侵食させているのか。
犯罪芸人をいつでも潰せるようにして、独立を防いで、客を取られないようにするのと同じようなモノだろうか。
いつでも潰せる人間を政治家に仕立て上げて、得票率や支持率も捏造する。

11、ホタテ養殖
裏切って販路が潰れると、0から始めるよりも難しい、マイナスからスタートになる。
ホタテ養殖業が中国へ売るようになって、以前の販路を裏切ったら、戻るのはかなり難しくなる。
何の関係もない人が販路に食い込むのと、恩を仇で返す裏切り者の犯罪者が販路に食い込むのでは、全く難しさが違う。
信頼を失うと、取り戻すのは難しい。

12、いじめられ
いくらいじめられっ子が悪いと言ったところで、加害者の犯罪が赦される理由にはならない。
犯罪が赦される方法は、被害者に謝罪して、損害賠償して、2度と犯罪をしない人生を過ごす必要がある。
相手の悪い点は、自分の犯罪の免罪符にはならない。

13、話下手は人のストレス
嫌な話し方、話がたどたどしい人は、それだけでイライラする人が居るから、誹謗中傷とかするようになる。
本来なら、そういう話のヘタな人は表に出ない方がいいのだけど。
しかし、俺は同じ事でも普通に言う。神に警告しなさいと言われているだけだから、聖書でも何度も同じ警告をされていたりするから、同じ警告を何回も書いても特に気にしない。
ラジオやテレビのアナウンサーみたいに、原稿をよどみなく読める人しか表に出てはいけないのだけど。
神はよどみなく話せとは命令していないから、よどみなく話せなくても、気にする必要はない。
ただし、神の信者だけしか、そういう心境になれないだろう。
モーセは自分で口下手だと言っている。兄のアロンが代わりに話す。
なぜ、話下手をそこまで気にするのだろうか。それは、自分の力で何とかしようと考えているからだ。
自分の力ではなく、神の力で生きようと考えれば、自分の話下手なんか気にしなくなる。神が警告しなさいと命令したから警告しているだけだから、自分は何の落ち度もないという心持ちになれる。
自分の力に頼っているから、自分の落ち度に罪悪感を抱いて、犯罪者が相手でも譲歩してしまう。
自分の力に頼るように洗脳するのは、悪人の手口である。
神に依存しろと神が言うのは、神に依存した人を守るためだ。

14、だらしない
必要以上に厳しいのはだらしない。
必要な分が判っていない人間はだらしない。
メリハリがないからだらしない。

聖書の掟を必要以上に厳しくするのは、だらしない。
神は、掟の範囲内に留まるように言っているのに、範囲を飛び越えて厳しくするのはだらしない。

15、正義中毒
Aの案件で自分が正義だと設定すると、Bの案件でも自分が正義だと思い込むのが正義中毒である。
Aの案件で相手が悪いから自分は正義になり、正義の自分に従わない相手は悪と決め付ける。
そして、Bの案件でも、Aの案件で正義になった自分は、Bの案件でも正義と錯覚して、Bの案件でも自分に従わない相手を悪と決め付ける。
Bの案件で自分が正義だという根拠が何もないのに、なぜかBの案件でも自分が正義だと錯覚する。
暴走する政治家とか発信者は、この精神状態に陥っている。

正義は免罪符ではない。

そもそも、相手が悪いからと言って、自分が正義の根拠にならない。
相手が悪くても、自分の悪行が赦される理由にならない。
相手の犯罪は、自分の免罪符ではない。
相手が殺人をしていても、自分の殺人が赦される理由にならない。

そもそも、正義は神だけである。

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