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自分の犯罪を認識できない人 馴れ合い強制 階級主義の陰謀論者

1、自己中
自己中だと物事の解釈がおかしくなる。
自己中だと聖書解釈もおかしくなって、正確に読み取れない。
変な自己正当化をする人が存在する。
犯罪者を変な擁護する人が存在する。
自己中な人間は、自分の犯罪を認識できないから、犯罪者の犯罪を認識できない。

自己正当化をする人でも、労働ができればそれなりの金は稼げる。
そういう労働者の金を目当てに金儲けをしているから、そういう偽ファンが集まって来る。
本来なら、そんな自己正当化をする人間を相手に商売をするのは、割と禁止にされていた。
昔はスポーツの商売は、経済力が低いから無かった理由もあるけど、そういう商売の仕方は変な人間が集まるから、禁止されていたのだろう。
「犯罪をした選手を犯罪していないと思い込む間違った考え方」の人たちが集まるから、商業スポーツは禁止にされていた。
こういう人間が集まると、権力者を打倒する集団に変わるからだ。
権力者が悪かろうが悪くなかろうが、自分の人生が上手く行かない原因を他人へ擦り付けるから、こういう人間が集まって集団化すると暴徒になる。
民主化したら、暴徒は国民主権を打倒する事になるから、権力者の打倒は無理なので、スポーツの商業化が可能になった。
ただ、全ての国はサタンの支配下だから、国民主権は捏造であり、国民主権が存在すると騙されているだけ。

そして悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ

ルカ福音書 4章6節 新共同訳

民主国家も独裁国家もサタンの手下である。
独裁国家や一党独裁でも、それなりにスポーツは成立するけど、徹底した監視体制の下で行われる。そのため、商業スポーツは成立しない。国立スポーツ・国営スポーツとでも言うのだろうか。

犯罪芸人は非常識なネタで笑いを取っていたのではなくて、本人が非常識なだけだった。
世間に受け入れられる程度にしてくれたのが編集者だから、それなりに売れただけ。
犯罪芸人は、未だに自分は犯罪をしていないと思い込んでいる。裁判に取り組んでいるのが証拠である。
もしくは、犯罪だと判っていて、誤魔化す気なのか。
何十の犯罪の内で、一つだけそれなりに勝って、マスコミを使って全面的に勝ったと印象操作をする手口だ。

自己中な人間は、自分の犯罪を認識できないから、自分と同じ犯罪をする芸人や選手を擁護して、犯罪をウヤムヤにすれば、自分の犯罪もウヤムヤになると思い込んでいる。
まあ、自分の犯罪を認識できていて、すっとぼけて、誤魔化すために擁護しているのかもしれないけど。
今まで、そういう誤魔化し方で、自分の犯罪が糾弾されなくなったから、成功体験だと間違った認識をしたのだろう。実際は、相手は呆れて相手しなくなって縁切りされただけである。
他人は犯罪者を成長させる義務がないから、切り捨てる。
神の信者なら、神からエゼキエル書33章で「警告しなさい」と命令されているから、メンドウでメリットもなくても警告してくれるけど。

悪人を叩いても自分の悪行は赦されない。
悪人を庇っても自分の悪行は赦されない。
また、他人の犯罪が逮捕されなくても、自分の犯罪は赦されない。
その他人は死後に地獄へ落ちて焼かれ続けるか魂を消される。
自分の罪が赦される方法は、被害者に謝罪して、損害賠償して、二度と罪を犯さない生き方をする事だ。
自己正当化の考え方で思考制限されると、こんな当たり前な事も判らなくなる。
自己正当化をする人間は、犯罪をすると、被害者に謝罪しないで、別の犯罪者を叩けば相殺されると思い違いする。そんな事をしても罪滅ぼしに成らないし、赦されない。
犯罪者を殴れば自分の犯罪が赦されると思い違いをしているから、軽々しく犯罪をしてしまうのだろう。
こういう自己中が味方になると足手まといになる。

自分・芸人・選手の悪行を認識できない人は、解釈がおかしいため、聖書解釈もおかしくなる。
サタン側は、人々が聖書解釈できないようにするため、認識能力が異常になるように洗脳する。
認識がおかしくても生きて行けるように社会システムを作り、社会保障や福祉などを充実させる。
1人で生きている様に思っているかもしれないけど、実際は1人で自己中に生きられるようにサタン側が社会を整備しているだけ。

しかし、神に立ち帰るには、1人で自分の道を歩む必要がある。
「自分の道」を探す - 聖書検索(口語訳) (kirisuto.info)
1人で神の道を歩めないようにするために、人間社会で1人で生きていけると思い違いをさせるのがサタン側の罠である。
1人で歩むのが本来の道だから、1人で神に立ち帰って満足するのが人間の生き方である。
しかし、サタン側に神の道を隠されたから、1人で神の道を歩む本能を満たせなくなり、1人で人間社会を生きていると思い込んで代償行為にするように、誘導している。
しかし、代償行為でしかないから、本物の生き方ではないため満たされず、欲求不満になり、人生は苦しむモノとなり、飢えた状態で代償行為を繰り返す人生になる。

サタン側が人々を身勝手な自己中にするように社会を作るから、犯罪者が自分の犯罪を認識できなくなる。
自分の犯罪を認識しなくても社会生活が送れるからだ。
時々、犯罪して自滅する芸人やスポーツ選手が出てくるのは、犯罪を自覚できないようにしたからだ。
極端に出過ぎた犯罪芸人が、調子に乗りすぎて暴走しすぎて、盛大にスッコロンデ没落したけど、少々の犯罪なら隠ぺいはできる社会にサタン側が作っているから、増長してしまった。
犯罪芸人は、自己中な犯罪で楽しんでいると思っているみたいだけど、実際は洗脳されただけの思考停止で受動的な人生だから、破綻した時に思考停止だからリカバリーができない。
犯罪者は、死んだ後に地獄へ落ちるから、サタンの目的である人々を地獄へ道連れにする事につながる。

自己中な人間は自分の犯罪を認めない。
自己中な人間は傲慢だから、傲慢は神が嫌う感情なので天国へ入れない。
自己中な人間の居る所が地獄になるから、神は自己中な人間を天国へ入国させない。

天国へ入るには、自分の神に対する罪を自覚して、反省して、謝罪して、二度と罪を犯さない生き方をして、神の掟を守り続ける人生が必要だ。
自分の罪を認識して、自覚して、受け入れる必要がある。
自分が個人的にこの世で犯した罪すら受け入れないなら、生まれながらの神に対する罪を受け入れるわけがない。

2、思考回路と好き嫌い
自己中な人は、道徳的な善悪よりも、自分の好き嫌いを優先する思考回路をしているから、自分と好きなタレントの犯罪を認識できない。
そういう自己中な思考回路になるようにサタン側が洗脳している。
好きな人間の犯罪は認識できないのに、嫌いな人間の犯罪ではない言動を犯罪と決め付ける思考回路になる。
神を信じていないと、誰でも多かれ少なかれ自己中な思考回路になる。
自分の好きな選手よりも、世間体を優先すると、犯罪選手を批判したりするけど、道徳を優先しているのではなくて世間体を優先しているだけ。
神以外を優先する思考回路を洗脳するのがサタン側の罠である。

3、うわべ
こんな自己中だらけでは、周りに居るまともな人たちは、うつ病だらけになる。
根本的に自己中な考え方を直すのではなく、生活上のやり取りをする部分だけ、うわべだけをまともそうに見せるマナーだけ作る。
本質的に性格を直すと、神に立ち帰る人たちが激増するから、サタン側にとって不都合だから、うわべのマナーだけ作る。
人々を自己中にしておきながらビジネスマナーとかを作るのは、マナーが無かったら社会が成立しないから、サタン側にとっても不都合だからだ。

4、正義面
自分が正義なら、どんな悪行をしてもいいと思い違いをしている人間が存在する。
その正義が本当に正義かどうか怪しいモノだが。
相手が悪なら、自分がどんな悪い手段で攻撃して良いと思い違いをしている人間が存在する。
相手が本当に悪かどうか怪しいモノだが。

5、自分を棚に上げ
他人に正しく生きろと言っても、自分が正しく生きた証拠にならない。
ファリサイ派は、人々に神の掟を守れと言う癖に、自分は神の掟を守らない。
このファリサイ派の言動は、偽善者と呼ばれて不幸だから地獄行き。
犯罪者を叩いても、自分の犯罪は赦されないから、偽善である。
犯罪者が自分の犯罪を反省も謝罪もしないで、他の犯罪者を叩くのは偽善である。
こういう反省しない犯罪者は、他の犯罪者を殺せとか言い出す。
過激な発言で自分の犯罪が赦されるとでも思っているのだろうか。
自分の犯罪が赦される方法は、被害者に謝罪して、損害賠償して、二度と犯罪しない事だ。

自分は善をしないのに、他人に善をしろと強要するのが偽善である。
だからといって本当の善意だから赦されるわけではない。
善意は免罪符ではない。
日本人は善意なら何しても赦されると思い違いをしている。
聖書を誤訳しても善意なら赦されると思い違いをしている。
時々、聖書で変な誤訳があるのは、善意なら赦されると思い違いをしているからだ。

6、差別
知的障碍者を差別したところで、自分が知的障碍者ではない証拠にはならない。
差別する人は、知能指数に問題なくても思考回路が異常。
中途半端に高い知能が足かせになっている。

7、スポーツ
前に書いたパウロがスポーツを揶揄した話で補足。
ヨナタンが弓矢で遠くまで飛ばすのは、スポーツかも知れないし、戦争で使う技なのかもしれない。
槍投げも戦争で使われていた。

パウロの言う事は、何が問題点なのか判り辛い。

あなたがたは知らないのですか。競技場で走る者は皆走るけれども、賞を受けるのは一人だけです。あなたがたも賞を得るように走りなさい。
競技をする人は皆、すべてに節制します。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが、わたしたちは、朽ちない冠を得るために節制するのです。 だから、わたしとしては、やみくもに走ったりしないし、空を打つような拳闘もしません。
むしろ、自分の体を打ちたたいて服従させます。それは、他の人々に宣教しておきながら、自分の方が失格者になってしまわないためです。

コリントへの手紙1 9章24節から27節 新共同訳

争うのがダメなのか。
競ってランキングを付けるのが平等に反するのか。
他人を殴るのがダメなのか。
この世の賞を得るのがダメなのか。
やみくもに走るのがダメなら「やみくもではない走り」は良いのか。何か目的があれば良いのか。
多分、天国へ入るための努力をしなさい、と言いたいのだと思う。
天国へ入るのに意味のない言動は止めなさい、という意味だと思う。
天国へ入るのに逆効果の言動は止めなさい、という意味だと思う。

8、陰謀論者のマウント癖
陰謀論者は、偽装キリスト教団の悪行を神の悪行だと決め付ける間違いをしているから、言う事が100%間違っている。
陰謀論では、一つ二つの真実は判るけど、サタン側は数千数万の詐欺を用意するから、全てわかるのは不可能である。
陰謀論者は、それぞれ真実を一つ二つ見つけるけど、なぜか示し合わせたように天の主を悪と決め付ける。
自分たちで何かおかしいと思わないのだろうか。口裏を合わせたかのように同じように神を罵る。
自分や自分たちの言動や思考に違和感を抱かないのは、洗脳されている証拠だ。
自分を客観的に見れないのだろうか。
サタン側に洗脳されて指図通りに動いているのが判らないのだろう。

指図通りに生きても天国へ入れるのは、天の主の指図だけである。

多分、サタンが神のように振る舞いたいから、陰謀論者が同じように神を罵るようにコントロールしているのだろう。

陰謀論者は、弱肉強食から協調主義に変わるとか言っているけど、両方ともサタンの策略だ。
弱肉強食はサタン側が人々を餌食にする。
協調主義は、人々が神の道へ進まないで人間の身勝手な馴れ合いになる。
馴れ合いの強制でしかないから、相互監視社会である。
陰謀論者は、サタン側の協調主義は相互監視社会だと気付かないのか。
馴れ合いの強制は、悪人が自己中な暴力をしても、逮捕や争ったり殺し合う事を禁止にされるという事だ。
陰謀論者は、真実を一つ二つしか知らないから、ズレた結論になる。

協調主義で争いを禁止にして、神の信者が神の教えを他人に教える事まで、争いだと決め付けて禁止にしたいのだろう。
サタン側に対する闘争心を失ってはいけない。サタンに抵抗しなさいと聖書にある。

だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げて行きます

ヤコブの手紙 4章7節 新共同訳

弱肉強食でサタンが人々を餌食にする暴虐に抵抗しなさい。
協調主義でサタンへの争いを禁止する洗脳に抵抗しなさい。

陰謀論者は、ほとんどの人が数千数万の詐欺で全て騙されているから、一つ二つの真実に気付いた自分を天才だと思い上がっている。
傲慢は神が嫌う感情だから地獄へ落ちる。
神を罵るのは当然、悪いけど、傲慢な方が何倍も嫌われる。

10000の数の問題で10000間違える人と9999間違える人では、大して違いはない。
むしろ10000間違えている人は、何かのキッカケで一気に全て気付く可能性が高い。
いくつかの真実を知っているだけで満足して成長しない人間と、一つも真実を知らないけど真実を知りたがる人間では、どちらの方が可能性があるのか。
中途半端に点数の高い人間は、自分より点数の低い周りの人間をバカにして付け上がるから、そこで成長が止まってしまう。
他人を見下す陰謀論者は、真実を知りたいのではなくて、他人を見下せる理屈が欲しいだけ。

他人より一つ上の存在になりたいだけの陰謀論者。
トップに成りたいのではなくて、他人より少し上に成れたら満足する。
こういう階級主義的な考え方は神が嫌う。
階級主義だから真実に気付かない。一つ上の階級に成れたら満足するから、そこで成長が止まる。マウントしたいだけ。

神の信者なら、真実に気付いて、自分がトップに成れば、他人もトップにしようと努力する。
神の信者なら、平等主義なので、他人に全ての真実に気付いて欲しいと考えるため、上に成って満足なんてしないため、上に成ろうと思わない。
神自身が全ての人に真実を知ってもらって、全員を救って天国へ入れたいと思っているから、神の信者も同じように真実を言う。
真実に気付かない人の一つ上に成るというのは、一緒に地獄へ落ちている事になる。
地獄でも何らかの階級があるみたいだけど、どこまで本当か判らない。
信者は、天国へ入りたいのだから、地獄での階級争いなんかしたくない。

協調主義で神の教えも争いと決め付けて禁止にするのだろうけど、神の信者はそんなの知った事ではないので、神の教えを広めて殉教を狙う。
言論の自由をサタン側が保証するのは、言論の自由を保障しないと、神の信者が神の教えを広めていたら罰しないといけなくなって、神の信者が殉教を狙ってサタン側に従わないからだ。
もし、信者を殺してしまうと、義人(信者)の居ないソドムとゴモラのように、この世は亡ぼされて、最後の裁きは前倒しになり、サタン側は地獄へ落ちて、全身と魂を焼かれ続けるか、魂を滅ぼされる。

俺は、虚弱体質で、知能も低く、親が毒親で精神を病んで、就職難だから、サタン側に従ったところでロクな人生に成らないから、従わないで神の教えを広めて殉教を狙う。
サタン側に従っている人間は、割とマシな人生なのだろう。
サタン側の人生にまともなモノは存在しないから、サタンに従った場合の仮定は意味が無いけど。
サタン側に従った人間同士のロクでもない人生を比べて、優劣を競っているから、自分がマシだと思い違いする。
比べれば何かしら他人よりマシな部分はあるモノだから、比べても意味はない。
他人と比べると自己正当化するようになって、排除されて苦しくなる。
だから、神は比べるなと言っている。平等に生きろと。

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