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サタン社会での出世を願うから救われない 救われる状態 虫食い偽装キリスト教団 人の振り

1、サタン社会での出世を願うから救われない
サタン社会から脱出したいなら、脱出したいと願えば神は叶える。
神は治す時も聞く。

イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。

ヨハネによる福音書 5:6

「良くなりたいな」と聞いているから、病気を治して欲しいなら直して欲しいとキチンと願う必要がある。
治りたいと言わないなら治らない。
サタン社会から脱出したいと言わないと脱出できない。
俺は聖書を読む前から、嫌な社会から離脱したいと願っていたから、聖書を読んで、離脱したい思いが強くなって、それで神が脱出させてくれた。
多分、漠然とした「苦しみから助けて欲しい」という言い方では助けてくれない。
漠然とした願いだと、サタン社会に未練がある状態のため、サタン社会から脱出したいのか、サタン社会で出世するための我慢や苦しみを軽減して欲しいのか、本人が区別できないからだ。
サタン社会に未練がある精神状態で助かって余裕が出ても、その余裕の余力を使ってサタン社会で出世するために使うから、神は助けない。
非信者だと物事の区別があいまいだから、苦しみから救って欲しいのか、サタン社会で出世したいのか、自分の願いが何なのか自覚していない。

祈る時の言葉にも、悪い者の誘惑から守ってもらうために言う。

わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。』

マタイによる福音書 6:13

サタン社会の出世という誘惑から救ってくださいと祈るから、神がその通りに願いを叶えてくれる。
キチンと言葉にすれば神はその通りに願いを叶えてくれる。

他人にマウントを取りたいとか思っていると、神は救ってくれない。
出世しても出世しなくても、絶対に他人にマウントを取らないと確約できるか、考えてみたらいい。

サタン社会で出世やマウントをしたいと思っている精神状態は、サタン社会に取り込まれたいと願っているのと同じである。

2、救われる状態
救われる状態とは、この世でも死後でも「本当の永遠の幸せ」を感じる事ができる状態である。サタン側が用意した「偽の幸せ」ではない。
神を信じて神の掟を守れば、神がサタン側の策略から何万回何億回も守ってくれるから、救われる状態になって幸せを感じる。死後も天国へ入って、永遠の命と幸せが与えられる。

偽装キリスト教団は、あいまいな状態しか言わないから、偽装キリスト教団の言葉しか聞いていない人は、イエス・キリストの教えてある救われる状態が何なのか判らない。
偽物の言葉しか聞いていないから、本物の言葉の意味が理解できない。
まあ、本物の言葉を聞こうと思ったら、自分で聖書を読んで、天の主を信じて、神の掟を守る生活をする必要がある。それらができなかったら、本物の言葉を聞く事はできない。
そもそも、本当の神の信者の言葉を聞いたところで、結局は他人と神の間の話でしかないから、聞き手にとっての本物にならない。参考にはなるけど、聞き手にとっての本物にならない。
聞き手にとっての本物とは、自分自身と神の間で話をする必要があるけど、自分自身と神の間で話をするには自分で聖書を読んで神を信じて神の掟を守る人生が必要になる。
スポーツや勉強でもそうだけど。
スポーツの達人の話を聞いても、スポーツが上手くなるわけではない。
話は参考にはなるのだろうけど、スポーツが上手くなりたいなら自分で実際にスポーツをする必要がある。
高学歴の話を聞いても勉強ができるようにはならない。
話は参考にはなるのだろうけど、勉強ができるようになりたいなら、実際に自分で勉強する必要がある。
本物の神の信者の話を聞いても、神を知る事にはならない。
話は参考にはなるのだろうけど、神を知りたいなら、実際に自分で聖書を読んで信じて掟を守る必要がある。

偽装キリスト教団の話を聞いてキリスト教を判った気になるのは、スポーツすらしていない人間のスポーツ話を聞いて、スポーツが判った気になるようなモノだ。
練習しないで上手くなるわけがないのに、スポーツ経験のない人の話を聞いて上手くなるわけがない当たり前の話を考えた方がいい。
まず考えよう。まず疑おう。
知っている事でも、俺は時々「コレ、本当かな」と疑ってかかる。
自称キリスト教団は、本物ではなくて、偽物だと疑ってかかれば、真実が判るようになる。
俺は自分の思考力ですら「コレ、本当に考えている状態だろうか」と疑う事がある。「最悪、洗脳されていると思え」という洗脳を解く10箇条の言葉がある。

神は、新約聖書で異邦人の垣根をなくして、全ての人が平等に神の教えにたどり着けるようにしてくれた。
それなのに、自分で聖書を読まないで、偽物の話しか聞かないのだから、真実にたどり着けるわけがない。

偽物を本物だと妄信していたら永遠に騙される。
まず、自分に本物と偽物を区別する能力が有るかどうかを、キチンと考えるべきである。
偽装キリスト教団がキリスト教を自称していたら本物のキリスト教だと思い込むのは、いったい、どういう根拠なのだろう。
殺人犯が「自分は殺していない」と自称したら殺していない事になるのだろうか。
偽物が「自分は本物だ」と自称したら本物になるのだろうか。

そもそも自分が欲しい状態が、救われる状態なのか、出世する状態なのか、区別が付いているのだろうか。
男は「結婚相手が欲しい」のか「彼女が欲しい」のか「セックスがしたい」のか区別できない場合があるだろう。
「救われたい」のか「出世したい」のか「マウントを取りたい」のか区別できているのだろうか。
他人にマウントを取りたいだけなら、救われる事はない。

3、虫食い偽装キリスト教団
一部だけキリストの教えを含む教義を作っても、それは偽装キリスト教だから、キリスト教ではない。

ツギハギだらけの人生観を持っている人間は、イエス・キリストの教義の一部だけ切り取っても、本物のキリスト教団だと思い違いする。
聖書に書いてあるけど、付け加えても欠けてもダメだと在る。

箴言 30:6
御言葉に付け加えようとするな。責められて/偽る者と断罪されることのないように。
コヘレトの言葉 3:14
わたしは知った/すべて神の業は永遠に不変であり/付け加えることも除くことも許されない、と。神は人間が神を畏れ敬うように定められた。
ヨハネの黙示録 22:18
この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証しする。これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。

付け加える事も除く事も神は許していないから、聖書の一部を虫食いみたいに利用した集団は「偽装キリスト教団」なのが確定している。

つまり、ツギハギ人生の大衆と虫食い偽装キリスト教団は、同類なのである。
同類だから、カルトが偽装キリスト教団だと気付かない。
同じ偽物だから、偽物を本物扱いする。
人生が同じ偽物だから、人生が偽物を本物扱いする。
そういう虫食い教義を批判したら、自分のツギハギ人生も批判する事になるから、批判できないのである。
こういう中途半端な人間が最も邪魔である。
本質的な有害性を指摘しないから、どうでもいいところばかり注意するようになり、人々に注意喚起しないため、人々は本当に危ないモノに対しては無防備になる。
崖が危ないのに、なぜか地面のくぼ地が危険だとすり替える。
確かに、くぼ地に足を取られて崖に向かって転ぶけど、それはくぼ地のせいで死んだのではなくて崖のせいで死んだのである。
悪人の癖に自分が悪人ではないと世間を騙したくて、悪人を叩いているだけの悪人が最も邪魔なのである。
悪人を叩いても自分の悪行は赦されない。
正義は免罪符ではない。
自分の不当利得のために他人を無防備にして損害を被らせる悪人。

偽装キリスト教団の急所を攻撃しないから、何十年も改善しない。
同類がナアナアで攻撃している振りをするから改善しない。
ツギハギ人生の大衆では、ツギハギ教義の偽装キリスト教団のツギハギという急所を突けない。
同じ悪行をしているから批判できない。自分の腹が痛くならないところしか批判しないから、全く効果がない。
時々、中途半端なカルトがそういう批判でも効くような悪行をするけど、そういう時しか効果がない。

4、人の振り
他人の悪行を批判する前に、自分の悪行をやめろ。
他人の悪行を批判する前に、自分の「悪魔崇拝を世界にばら撒く」悪行をやめてからモノを言え。
機械絵による絵柄泥棒を批判する前に、自分の悪魔崇拝の悪行をやめる必要がある。

才能を私物化するのも悪行になる。


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