吹奏楽コンクール史上、最恐の課題曲「風の黙示録」


https://youtu.be/__e52ncCbh8?si=eyT24vw6f2U0wq9I

48歳になったし
半分以上「爺さん」
の世界に片足突っ込んでる状態である。


吹奏楽コンクール、というのを
ご存知ない人むけに
説明すると

毎年4曲ぐらいの課題曲
(多い年は、たまに5曲)
の中から一曲選び
(課題曲だけで3〜5分ぐらい)

そのあと自由曲ふくめて
トータルで
12分以内におさめる、

というのが吹奏楽コンクール
のルールである。

一年に4曲の課題曲があるとして
吹奏楽にかかわってると
約30年で
100曲以上の
課題曲とかかわることに
なるわけだが

今回は
「コンクール課題曲史上、いちばん怖い曲」

として
1990年の課題曲
名取吾朗 作曲
の「風の黙示録」

をとりあげる。

吹奏楽コンクールの
課題曲として
本気で怖いと思うのは
この曲だけである。

怖い、というのは
楽曲的に難しくて
当時、練習するのが
キツかった、とかではなくて

文字通り
心理的に
「キッツい」
「しんどい」

曲である。

技術的な面だけでいえば
この年の課題曲の中で
風の黙示録、は
技術的には
最も簡単な曲である。

楽譜に書いてあることを
さらって演奏するだけなら
この年の課題曲の中では
一番、カンタンな曲。

一方で
表現とか
作曲者の意図を
くみとろうとすると
最も暗くて難しい曲が
これ、であった。

この曲、作曲者の
人生
特に暗い部分を
作曲者みずから

独白で語り始めるような
作品なので
作曲者の半生を
知ってないと
「はぁ?」ってなる。

名取吾朗 氏 は

太平洋戦争で従軍し
生き延びた。

従軍時代、数多くの仲間が戦死した

太平洋戦争の中でも最も過酷な
フィリピン戦線とかで
最前線で闘って
生き残った人である。

補給路(食料の支援)
が絶たれて
餓死者が続出した、とか

ここからは
本当かどうかは
わからないけど

餓死した仲間の
死肉を食べて
餓えをしのいで
生き残った、とか

そういう世界であった。

現代の平和な時代で暮らす我々には
気が狂いそうな恐ろしい
時代であった

ぐらいは記してよいと思う。

風の黙示録
この曲は
割とオーソドックスな
クラシックの
やり方でかかれている。

おおまかにいうと
4つの部分で
場面構成されている。

一番目と
三番目は
作曲者の

心理描写だ。

亡くなった戦友たちに対する
悲しみ、
こればかりは現場にいた
当人にしかわからない
個人的な
悲しみ、哀悼、悔しさ、
みたいなものが
にじみ出ている。

4部構成のうち
一番目の個人的な追悼の
気持ちのあと
曲は一気に変化する。

勇ましい前進のマーチみたいな
主題が出てきて
しかも主題は
南国風、東南アジアっぽい
メロディーだ。
軍艦マーチを揶揄したような
マーチのメロディーが続く。

それで
「いくぞいくぞ」
「押せ押せ!」
みたいな感じで主題は
どんどん展開していくけど

当然、破綻する。

そこから3番目のパートに
うつって
作曲者自身の
内面の吐露が始まる
主にクラリネットとオーボエ
とのやりとりなんだけど
相反する矛盾した感情が
ここでは交錯する。

そこで自分の中で
戦時中のこと
仲間が死んでいったこと
自分がいきながらえてること


自分のなかでおりあいを
つけて
残りの人生
前向きに生きていこうと
おもった、その矢先

「彼らは」戻ってきた。

これがこの曲の4番目である、
ここからたたみかけるように
曲は終盤へと向かうのだけだど。

フィリピンの最前線で
死んでいった
仲間たちが
南風にのって
日本に来て

作曲者の前にあらわれる。

この曲は名取吾朗
の最晩年の曲でもある。

気味が悪い
なんて言葉など
なまぬるい。

本気で怖い。

この曲、
太平洋戦争で
死んでいった
作曲者の仲間たちについて
描いた楽曲である。

楽曲後半から
不協和音が多用されてるけど
それは
「この世の者ではない連中」
ということを
意図的に描いているわけで。

かなりキツい。

そう、この曲は
亡霊とか怨霊を
かなり直接的に

描いた楽曲である。

当時、これに気づいた人は
どれぐらいいただろうか?

いや、現在にいたるまで
そんなに多くはないと思う。
いても日本国内で100人ぐらい?

「終戦記念日ちかくになると
南風にのって、アイツらがここへくる」

「みんな待ってるぞー!」

「オマエも早くこっちへ来い!」

そういう声が、この時期になると
きこえてくる。

はたして

それは幽霊とか、亡霊とかの
オカルトなのか?

生き残った私の中にある
「自分だけ生き残ってしまった」
という良心の呵責からくるものなのか?

それとも根本的に
単なる私の妄想にすぎないのか?

こたえは、わからない。

風の黙示録、というタイトルの
とおり、
曲はやりたいこと
やりきったとおもったら
下降音階とドラの一発で
突然終わる。

生前の
名取吾朗を知っている人たちは
みな口々に

・温厚で
・優しくて
・礼儀正しくて

という
みんながみんな

大好きになって
仲良くなりたい
と思うような人物であったという。

おそらく、この評伝は
本当にその通りだと
私も思う。

根拠は彼の作品に
一貫してる
論理性と誠実さ。

戦争というものが
個人の人格に
ここまで深い闇を
もたらすものなのか、
と思うと胸が痛むし

かろうじて戦争を経験せずに
48歳まで生きてこれたことに
神様、仏様に
感謝しきり、である。

ウクライナ問題と
イスラエルの問題

なんとか早く終わらせて
平和になってほしい

と、心からおもった。

風の黙示録

今でもこの曲聴くと
マジでこわい。

こわいものがある

それは良いことなのでは
ないか?

と今は思う。

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