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母のタンス、わたしのタンス。

69歳のYouTuber、良子です。

今回は、役に立つ話ではなく、気の赴くままにnoteを書きます。自分語りです。自分のために書く、自分のためのnoteです。お許しください。

わたしが現在暮らしている秋田の家は、断捨離が進み、比較的スッキリしています。そんなわたしにも捨てられないものがあります。それは、結婚のとき両親に買ってもらった木製の婚礼タンスです。今から46年も前のことです。

重いし、場所も取ります。それでも、捨てられない。眺めていると、安心するのです。捨てたらスッキリするのはわかっていますが、布団に横になりながら、タンスを眺めていると心が落ち着きます。

タンスの中には、両親が亡くなったときに引き継いだ、思い出の品もあります。タンスを捨ててしまうと、それらの置き場所もなくなります。ですから、わたしにとってタンスは必要なモノなんです。

6畳の和室に、ベッド1台、布団1組、婚礼タンスが2つあります。正直言って、モノが多めなのですが、不思議と気持ちが落ち着く空間です。心の避難場所でもあります。

リビングやキッチンにいるときのわたしは、オンタイム。常に活動的です。現在は、夏休みですから、しょっちゅう孫たちに、ご飯を作ったり、オヤツを出したりしています。

ご飯やオヤツを出せば、あとは自由時間。オフタイム。夫婦の寝室である和室へ向かいます。布団に寝っ転がって自由時間です。スマホでnoteを読んだり、YouTubeの編集をしたり、自分のための時間です。

そうして、ふと横を見ると、木製の婚礼タンスがある。あの木のぬくもりが、眺めていると落ち着くんです。

母は兄夫婦と暮らしていたのですが、母も自室があり、木製の和ダンスを部屋に置いていました。そして、いつもそのタンスを眺めていたのです。

「わたしが死んだら、このタンス、捨てられるんやろなあ……」そんなことを呟いていました。兄夫婦は、母が亡くなると、直ぐに荷物を捨てないで、わたしに欲しいものを持って帰るよう言いました。母は大阪で暮らしていたのですが、タンスは大きすぎて持って帰れません。比較的、小さい木製の時計を選び、持って帰りました。母が身につけていた指輪も受け取りました。

母が眺めていたタンスは、場所も取るので、処分することになりました。母のタンスは無くなりましたが、わたしの元には母の思い出が残っています。

わたしのタンスを眺めていると、同じようにタンスを眺めていた母を思い出します。そして、同じように思っています。

「わたしが死んだら、このタンス、捨てられるんやろなあ……」と。


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