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初心に帰る【産婆‼】️

幾つかのリセットのチャンス。
人生50年?
人生80年に延長!
いつの間にか、
人生100年に更に延長❣️

産婆の歴史は、
職業婦人としての草分的存在であった事
女陰陽師のように『神かがり的存在』と扱われたりしたらしい。
海外で『魔女狩り』の対象にされたと云う記録もある。

取り敢えず:
『取り上げ婆』(経験豊かな智慧者の自然発生的な支援から発生したと云う説による)
→『産婆』→『助産婦』→『助産師』と呼び名を変えつつ。現在の『男女平等な職業』が
増えてきている時代にあっても、男性助産師の承認については、これまでも様々な議論が
交わされてきたにも関わらず、今尚『女性だけの専門職』として、独自の特徴ある職業史を持つ専門職である。

その活躍ぶりを年代て、追ってみると。
江戸時代始業⁉️(専門職だったらしい)
明治時代、大活躍。
大正時代にも活躍⁉️(自転車に乗って、あちらこちらのお産する女性の家々を駆け回っていた。田舎では、歳をとった産婆がリアカーと云う二輪の台車にのせられて「お産現場に出動するこのと云う様子が描かれているのを目にした事もある。

こうした長い年代的な経緯を経ながら、江戸の時代から発生した『産婆』と呼ばれる時代が何百年と続いて久しく。平成13年『助産師』に名称の変更がなされて以来、二十年を経て、やっと、最近、一般に認識されるようになってきたのである。

産婆(=助産師)とは『人のお産に立会い、直接『赤ん坊』をその手で取り上げる事』を生業と
する『女性だけの医療専門職』というわけである。

そして、
昭和時代にも。。。
戦前は、
中々の地元での知恵袋とか、
ハイカラさんだったとか。

ところが
戦後は、
第一次世界大戦(太平洋戦争)で敗戦国と
なるや否や。事情は、一変。

  戦争により男性人口が激減した中その人口減少を補う為『産めよ増やせよ❗️』との号令がかかった為、敗戦国として、アメリカ進駐軍による『家族計画指導』の元、産児制限が発令された。真逆の情報が、世の中を翻弄する状況にあって、中には、生きること遮る様な行為までも求められたというは、話をいまは、亡き先輩から聞いた時には、背筋がゾクッとした。


今も昔も変わらなかった。

【昔から『髪結、産婆の亭主』】と表現される事があるのをご存知だろうか?

Yahooによると。。。
 江戸時代、髪結や産婆の需要が高く、そこそこの収入があって亭主が定職に
就いていなくても生活できたからです。
と、説明されている。

実際、
名のある『取り上げ婆さん(=産婆)』は、赤ん坊の名付け親になったり、由緒ある家柄の家族から家族と見なされ冠婚葬祭にも参列したりしていたらしい。


髪結いと産婆
『産婆とは、現在の助産師』

江戸時代、髪結や産婆の需要が高く、そこそこの収入があって亭主が定職に就いていなくても生活できたからです。
(何の事⁉️解説:助産師と美容師は
稼ぎが良くて、その夫はフリーターで、
居られたとか?

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