英語の先生との思い出と 私が「楽しい は最強」と思う理由
私、英語が好きです。
全く喋れません。でも好きです。趣味です。
私が英語を好きになった一番の理由は、中学生の時に出会った英語の先生が、とても面白かったからです。
私は現在アラフォーですので、中学に入学して「ABC」の書き方から教わる、当時としては一般的な英語との出会いをしたと思っています。
そんな私でも、英語に興味を持って「留学したいな」と思うくらいになりました。いろいろあって留学の夢は叶わず現在に至っていますが、ずっと英語に関心があります。
これはホントに中学校の時の英語の先生のおかげだと思っていますので、今日はその先生の思い出をツラツラとお話をしようと思います。
そしてこの話は、「楽しいっていうのは最強の原動力だよな」と私が日頃から思うようになった理由でもあります。
良かったらご一読下さい😊
先生の授業では教科書は「台本」
中学校の英語の授業が、私にとってとにかく面白かったんですよね。
まだ「英語の授業ってどんな感じかな」とソワソワしていたあの頃。
他の教科とは全く違った進め方に、私は一瞬で虜になりました。
教科書を劇の台本のように使って
「ハイ、廊下側2列がマイク(Mike)、窓側2列がケン(Ken)の役です。今から3分で教科書のセリフを覚えてください。3分経ったらあてるからね」
と言って、教科書のセリフを覚えさせられたのです。
当時の中1の教科書の内容なんて、4月あたりなら
「Hi. I'm Ken. I'm from Japan. Nice to meet you. 」
「I'm Mike. Nice to meet you, too. 」
みたいな感じです。
先生にあてられた人が前に出て寸劇するのですが
「ハイ、アイム マイク」みたいなカタカナっぽい感じで言うと、先生が「No!!」と言って止めるんですね。
「君は今マイクだ。マイクはアメリカ人だ。そんな発音ではない。Repeat after me. Hi, I'm Mike」と直される。
誰かがクスクス笑うと
「笑いません!おかしくない!!みんなもアメリカ人になったつもりで!! Repeat after me!!Hi, I'm Mike. Nice to meet you,too」と先生が言うんです。
もう、その瞬間「わぁぁ~✨」と思いました。
英語って、モノマネしたら褒められる教科なのか!!え??大好き!!超楽しい!!
と思ってスイッチが入りました。
とにかく「マネをしなさい」
先生の教え方は「とにかくマネをしなさい」ということを徹底していたように思います。
当時はビデオ教材が普及し始めた頃だと思います。「このビデオのモノマネをします。この区切りで一時停止するから、皆でモノマネしますよ」みたいな感じで、ビデオをよく使っていました。あとはカセットテープ(時代を感じる)で音声を聴いて、シャドーイングみたいな事もしていました。聞こえたまま、ひたすらモノマネ。
先生は、モノマネが下手でも「モノマネしよう」という心意気を見せた生徒は褒め称え、「モノマネが恥ずかしい」という生徒には叱咤激励してました。
授業中、とくに中1の頃は、ひたすらモノマネと寸劇でした。宿題で基本の構文暗記。でも、授業中にモノマネした事が基礎になっていたから、覚えるのも辛くありませんでした。
「英語はモノマネだ」
「モノマネしまくればいいんだ」
「全然勉強っぽくない!楽しい!」
これが私の英語の第一印象でした。
先生との思い出/「頑張れ」を英語で言うとどうなるの?
先生との思い出はたくさんありますが、印象的なエピソードをいくつか御紹介したいと思います。
1つ目は、先生に「頑張れって英語で何ていうんですか」と質問した時のこと。
何でそんな事を聞いたのか覚えていないのですが、
先生に
「うーん、ぴったり当てはまるのがないなぁ」
「Do your bestとかYou can do itとか、場合によってはTake it easyも使うかなぁ」
と言われたんですね。
「うわぁぁぁぁ✨英語の頑張れって、めちゃくちゃポジティブ!」とその時に思ったんです。
「自分の限界を超えてもとにかくやれ」みたいな「頑張れ感」がどこにもなくて、英語で考えるのって めっちゃかっこいいな、と思いました。
先生との思い出/「ゲゲゲの鬼太郎」の歌を友達と英訳してみて褒められた
2つ目は、私が初めて「英訳」に挑戦した時のことです。
ある日の放課後に、姉(双子)と友達と話していて「ゲゲゲの鬼太郎」は英語でどうやって歌うのか、という話になったんですよね。何でそんな話題になったんだろうか。でも、鬼太郎や妖怪は大好きですので、話題にしててもおかしくないです。
このメンバーは先生が大好きで、英語も大好きで、この時も物凄く話が盛り上がりました。
ゲゲゲの森に住んでいる鬼太郎、ってことだよね
でも、タイトルは「ゲゲゲの鬼太郎」のままなんじゃない?
みたいな話をして、そこから「鬼太郎の歌って英語に出来るのかな」という話になったんですね。
黒板に日本語の歌詞を書いて
その下に皆で英語の歌詞を考えて書いていきました。
「皆で歌おうゲゲゲのゲ」は「Let's sing everybody GEGEGE-NO-GE」だよね、
とか、
「おばけは死なない」は「We don't die」なのか「They don't die」なのか
分かんないけど、とりあえずweにしよう、とか。
そんな感じで、当時の持っている英語力で、皆で知恵を出し合って英訳しました。当時はスマホもケータイもない時代なので、辞書で調べながら、一生懸命訳しました。
それがすごく楽しくて、今でもずっと覚えています。
完成して、嬉しくなって、皆で職員室まで先生を呼びに行ったんですよね。
先生は黒板を見て
「素晴らしい!!Great!! Wonderful!!」とめちゃくちゃ褒めてくれました。たぶん、間違えてる箇所とかもあったと思うんですけど、めちゃくちゃ褒めてくれたんですよね。
「先生、これってweで合ってますか?Theyですか?」と誰かが質問したんですけど
「どっちだろうねぇ。そこが日本語と英語の違いですよ。難しかった?」
「難しかった。でも考えるのが面白かった!」
「おばけってghostで良いのかな。でも鬼太郎は妖怪だから違うかなぁ。先生どうですか??」
「どうでしょうねぇ。幽霊と妖怪は違いますもんねぇ」
みたいな会話もした記憶があります。
「ああ、だから主語が大事なのか」とか、「日本語の妖怪って、そのままghostにしたら上手く伝わらないものなのかな」とか、
日本語と英語の違いを、多分この時に初めて意識したような気がします。
いっぱい褒めてもらえて嬉しかったなぁ。
姉と友達と「うちら天才なんじゃない??」と浮かれておりましたね…。
その後いろいろあったけど、先生の教えでどうにか乗り切ってきた思い出
中学3年間、先生の指導の下、新しい表現が出てきたら「ひたすらモノマネ主義」の英語をしておりました。
とにかく楽しかった。
楽しかった記憶しかない。
数学は全くできなかったけど、英語の勉強は楽しかったです。
英語の成績だけは良かったので、英語に力を入れている高校に進学しました。が、ここで初めて「SVO」とか「関係代名詞」とかいう言葉に出会い「なんじゃそりゃ」と混乱。
「ここに入る関係代名詞は何ですか」と言われても「え…。たぶんwhoが入るんだと思うけど…whoって関係代名詞なのかな…」と思って答えられず。
でも、確か、その問いの答えが「who」だったんですよ。
物凄く衝撃を受けました。
皆は「関係代名詞」を知っている。私は知らない。先生の質問の意味がよくわからない。英語が全然わかんなくなっちゃった。困った。どうしよう。
同じ高校に進学した姉と友達も、同じ様な現象に悩んでいました。
当時は放課後に気軽に学校に行ける時代だった事もあり、「アドバイスを貰いに行こう」と全員の意見が一致。皆で中学の先生に会いに行き、高校の英語の授業について相談しました。
先生には
「そこに入る単語は分かるんだよね?関係代名詞、とか言われちゃうと困ってしまうけど、答えはわかるんだよね?」
「難しく考えない。新しい表現が出てきたら、モノマネ。とにかく、モノマネ。どんな言葉が入るか観察して。観察してモノマネしてたら絶対出来るようになりますよ」
と励まして貰った記憶があります。
その時に思ったのは
「私は高校の先生の教え方は合わないっぽい。今まで通りのやり方で勉強して、授業中は目をつけられないように(言い方)やり過ごしておこう」ということでした。
それ以来、基本的には「モノマネ英語」で高校時代も大学時代も勉強してきました。少しずつ文法用語も覚えていきましたが、基本的に私の英語学習はずっと「モノマネ英語」と「観察」でした。
この学習方法は私にとってめちゃくちゃ楽しい英語学習法でした。
「楽しい」は最強だと思う
高校時代、あの高校の先生の教える勉強法が合う人も、もちろんいたと思います。でも、私には合いませんでした。
中学時代に教えて貰った「モノマネ英語」は楽しかったし、飽きなかったし、続けられました。「英語は楽しい」とずっと思っていました。
英語と出会った中学生時代にたくさんの「楽しい」があった私は幸せものだと思います。先生のおかげで、ずっと英語に関心を持ち続ける事が出来ています。
英語が大好きだった私は、本当は「高校を卒業したら留学したい」と思っていました。
ですが、高校在学中に両親が離婚し、養育費の不払い問題にも直面し、とても「留学したい」と言い出せる状況ではなくなってしまいました。
今アラフォーの私が当時(15〜18歳)の私に出会えるなら
「あなたはまだ子どもなんだ」
「もっと自分の事を考えて、自分の夢を追いかけて良い」
「あなたは、あなたの人生を楽しんで良い。海外に行ってみたいなら行っておいで。方法を探してみよう」
と言ってあげたい。
でも当時は、自分が海外に行ったら家族がもっとバラバラになってしまう気がして、行動出来ませんでした。これ以上バラバラになるのが怖かったから。
いつの頃からか自分の気持ちに蓋をする事を覚えて、この「留学したい」の気持ちにも蓋をして、なかった事にして過ごしてきました。
何とか奨学金で大学に進学しましたが、両親からの資金援助が無かったので、空き時間は全てアルバイトに費やしていました。
そんな状況でも、英語はずっと好きでした。
「この頑張れって、英語だったら何ていうのかな」と考えてみて、
「Do your bestだったら、私はもう十分やってるよな。私めっちゃ偉いな。ホント偉いわな」と自分を励ましてみたりしていました。
大学では、英語への憧れを忘れたくて英文学は選びませんでしたが、やっぱりずっと英語に興味はあって、時々日記を英語で書いてみたり、洋楽を聞いてみたりしていました。
英語を忘れちゃうのはイヤだな、と思ったので、時々思い出して、ちょっとだけ触れてみる、やってみる、みたいな感じで過ごしておりましたね。
英語に触れると楽しかった思い出が蘇って、ちょっとポジティブというか、楽しい気持ちになっていました。
その後は、英語とは関係ない仕事について、結婚を機に退職&田舎に移住。現在は英語を全く使わない環境で生活しております。
英語は完全に趣味になりました。ボチボチ楽しくやっています。
でも、田舎で最初に仲良くなったのはフィリピン人やインドネシア人のママ友でした。皆、故郷から離れた土地に嫁いできた、という共通点があって、英語と日本語がごちゃまぜになったコミュニケーションをとって励まし合っていました。英語に助けて貰った初めての経験でした。
ちなみに今では皆日本語がとても上手になって、完全に日本語のみのコミュニケーションになっております。
後半、何だかちょっと脱線しちゃいましたが、自分の経験からも「楽しい」は最強の原動力だと思うのです。
「楽しい」「面白い」「やってみたい」という気持ちがあれば、たぶん、ずっと続けられるんじゃないかなぁ。
何かをやってみるのに、特別な、崇高な理由は必要なくて(あっても良いけど)、ただ純粋に「楽しい」っていうのが凄く大事だと思うんですよね。
私に一生出来る「楽しい」のひとつを教えてくれたS先生。
本当に感謝です。
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