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花見=幸せだ。

節分以降、春の足音がはっきり聴こえ始めてきた。

わたしが住んでいる街の中心部にあるM公園は城跡と公園が一体になっていて、桜が多くて見事に咲いてくれるので良いお花見スポットになっていた。(今でも立派なお花見スポットだと思う)

就職してもなかなか高校生気分が抜けなかった頃、1浪の末に大学生になった友達と二人で自転車を漕いで、天気のいいお休みの日にお気に入りだけど内緒にしていた公園の近くの「萬福」という美味しいたこ焼き屋さんに友達を連れて行き、たこ焼きを持って城跡に自転車で乗り付け、ベンチに腰かけて他愛のない話をしながら花見しつつ二人で「美味しいねー」と言い合って食べてお喋りしてとにかくとても楽しかった。自分が教えたたこ焼きを友達が「美味しい!」と言ってくれたことも嬉しかった。
当時の城跡では、花見の時期になるとお祭りの時のような小さめの赤提灯が提げられ、公園内や城跡を散策しながら花見をする人がいたり、発電機まで持ち込んで花見しながらカラオケしたり良い具合に酔っ払ってはしゃだりと色んな人がいて、夜の喧騒はなかなかのものだった。

仕事に追われるようになってからは、花見の時期だと気づくと帰り道すがらに寄ってお堀沿いの桜並木を眺めながら花見客を横目に一人でのんびり歩いて気分転換をしたりもした。誰に何を咎められるでも気を遣うでもなく無条件に「いつでも来て良いんだよ」と言われているようで安心できるお花見スポットだった。

そのうち城跡と桜のセットは観光資源として注目を集めるようになり、久しぶりにその公園に花見に行った際、天守台跡まで登ってのんびりしていたら夕方が近づくと不意に締め出されてしまった。当時流行っていたプロジェクションマッピングで夜に気合の入った演出をするらしくそこに居るには入場料が必要になるらしかった。入場料云々よりも、単純に、自由に誰でも入れる場所であるはずの「公園」と名のつく場所から強制的に締め出されたことにショックを受けてその演出も見る気になれず、その出来事以降、城跡での花見からは足が遠のいてしまった。

その後もその公園は時期になると大量の桜が咲いては散って、毎年のように楽しませてくれていたのは間違いなく、道路側からお堀沿いの桜を見たり自分なりには楽しんでいた。

ある花見の時期の休日の昼間、ついでもあってふとその公園に寄ってみた。花見の時期に合わせた何かのイベントをしていて芝生広場をぐるっと囲むように美味しそうな飲食の露店が並び、大きな音で音楽もかかり、訪れた人は買ったモノを飲み食いしながら芝生広場で遊んだり寝転んでお喋りしたりと幸せそうな光景が広がっていた。

一人で訪れた身としてはその喧騒の中では居場所もなく、静かに花見をしたいこともあって、お堀沿いの桜を見ながら駅まで歩いて帰ろうかなと目を向けると、桜が見えるはずの場所には露店がずらっと隙間なく並び、根元近くから設営していたせいで露店の後ろにも回れず、完全に桜は露店の背景になっていた。
桜を見ようとすると露店の前で立ち止まることになり露店の邪魔になってしまい圧も感じるし、肝心の桜は露店の軒越しにしか見えないしで、早々に花見を諦め露店並木を急いで抜け、帰宅した頃にはどっと疲れていた。
もうその公園では、かつてのようにいつでもどこでも花見を楽しむことも、ずらっと並ぶ桜の木の下をのんびり歩くことも出来なくなった。
「公園」はお金がなくても居て良い場所であって欲しかった。お金がない人もいつでも桜を楽しめる街であって欲しかった。
M公園の城跡でののんびりした花見はもう思い出の中にしか存在しない。

良い思い出のある好きだった花見スポットを喪失してからしばらく花見の時期はモヤモヤして心許なかったけれど、つい2年前に自宅近くのM川沿いにずらっと桜が植えられていたことに満開になってから初めて気付いて今はお気に入りの花見スポットになっている。

春の陽気と満開の桜も幸せな気分になって大好きだけれど、たぶん、満開の桜を見ている人達が幸せそうなのを見るのが好きなのだ。
今年の春も花見を楽しみにしている。

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