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デミロマの私にとっての「好き」や「告白」の形について

最近、アセクシャルやAスペクトラムの方向けのコミュニティスペース、ARU(https://x.com/ARU_acespace?s=20)さんにお邪魔してきました。
セクシャリティが近い方たちと普段は話しづらいようなことも安心して話すことができ、とても居心地がよく楽しい時間を過ごせました。
いろいろ恋愛やパートナーについての考えをお話しできたことで、自分の思う「好き」と、世間一般で想定されている「好き」にはズレがあるかもしれないと、自分の感覚への理解を深めることもできました。

私はしばらく一緒にいて信頼や友情を積み重ねた相手にのみ恋愛感情を抱くことのあるデミロマンティックを自認していて、前回のnoteで書いたようにこういう考えを持っているけれど、アロマンティックの方などから見たらどう思うんだろう?と疑問に思っていたので、この話をしてみました。

好きになった相手が他の人にも恋愛感情を向けることが一切ない状態であれば、相手から向けられる思いが恋愛感情でなかったとしても、友情や信頼の繋がりで一番の仲間としてもらえるならば、相手から返ってくる思いが同じ恋愛という形でなくてもいいと思っています。

https://note.com/modern_knot352/n/n856ad676d7e7

私は必ずしも好きな人と同じ気持ちでなくても一緒にいられると思うのですが、この感覚はあまり一般的ではないらしく、好意を向けられた側がまた友達としていられたらと思っても相手はいなくなってしまうことが多いようです。
これまで誰かに好意を向けられたこともなく恋愛の話も苦手で避けてきたため、私は「好き」に至る過程が少し難しいだけで、好きになった後の感覚については世間一般でいう「好き」と同じだと思っていました。

私の場合、好きになる相手に対しては積み重なった信頼・友情などにいつの間にか恋愛感情がプラスされるような感覚を持っていて、恋愛的に好きになっても信頼・友情と恋愛感情は両立しています。
恋愛感情は土台にある信頼・友情がないと出てこない
もので、その前提となっている信頼・友情は減ることも変わることもないままで残ります。
告白して振られたとしても、長くても2、3年程度で恋愛感情は消化できると思うし、それまで友達でいたときと同じ気持ちで何年でも友達関係を続けることができると考えています。
私が、同じ気持ちでなくてもパートナーになれると考えるのも、相手がパートナーになることを望まないのならそのままの友達関係を継続できると思うのも、おそらく私の中の信頼・友情の部分がずっと変わらなくて、とても重要で、何年も何十年も揺るがないものだと信じているところからきているのだと思います。

こういう感覚であるという話をすると、一般的には下の図のように、恋愛感情が信頼・友情を浸食するような感覚の人が多いのではということを言われました。
この話をしてくれた方も私と同じように、好きな気持ちが出てきてもそれが消えれば元通りだろうと考えていたそうですが、実際の相手は違っていたという経験をされたことで、こう思ったようです。

この感覚の違いを理解したことで、「好きになったあと友達に戻れるか」「男女の友情は成立するか」などの問いが発生する理由もなんとなくわかった気がします。
私にとっては、恋愛感情を持って相手ともっと近づきたいと思うことと相手を友達だと思うことは矛盾なく両立していて、どちらかが出てきたらもう片方がなくなるということはないため、恋愛感情を伝えたら友達としての関係性まで終わりにされてしまうこともまったく理解ができていませんでした。

ここまで、
・自分の理想のパートナー関係
・自分の「好き」の形と友情との両立
について考えを整理できたところで、自分にとっての告白と一般的な告白の認識にもズレがあったのでは?と思い至りました。

以前より少し自分の「好き」について理解が進んだ今、私が過去に好きな人に告白したときに本当に伝えたかったことを改めて考えると、おそらくこうだったと思います。

  • 相手のことを特別に想っていて、このままずっと一緒にいたいと思っている ←ここが一番大事

  • もっと近づきたい、触れたいという思いや独占欲は出てきてしまうけれど、それに応えてくれることが必須とは思っていない

  • これまで築いてきた信頼や友情は変わりなく持っているし、パートナーになれなくてもそのまま友達でいたいと心から思っている

  • こういう気持ちを持っていることを伝えたうえで、相手の気持ちや考えを聞いて、一緒にその後のことを考えたい

私にとっての告白はそれまでの関係性を覆してしまうようなものではなく、自分と相手との間で思いを共有したうえで、今後のより良い関係性について考えるための話し合いがしたいということだったんだと思います。

しかし一般的に告白はこのように解釈されるため、このアクションを起こしてしまうと友達に戻るのは困難だとされている…ということで合っているでしょうか?

社会人になってからオフ会で出会って友達になり、好きになった人に告白して振られたとき、私は振られて悲しいけど友達としてずっといられたらいいなと本気で思っていたし、そうできると思っていました。
実際は、返事がなかなか返ってこなくなったり会ってくれなくなったりして関係を終わりにされてしまい、大切な友達だと思っていたのは自分だけだったの?ととてもショックを受け、いなくなってほしくない大切な相手が離れていくことに苦しんでいました。
自分のこういった感覚が一般的なものとズレていることに気づいていなかったから、もっとちゃんと話したいのに一方的に終わりにされたと思い、理由が理解できなくて混乱してしまったのだと思います。

「好き」や「告白」に対する感覚のズレについて自覚できたことで、私は自分の感情を表現するのが下手だから好きになった人に頑張って好意が伝わるようにしようと心がけていたつもりだったけれど、一生懸命に伝えた好意もそのままの意味で伝わっていなかったのだと気が付きました。
おそらく相手は私が好きだと伝えたときに、私が相手のことをもう友達として見ていないのだと思ったし、友達だと思っていたのは自分だけだったの?とショックを受けたのでしょう。

そして、私はこのときの失恋の傷をしばらく抱えたままで乗り越えられていなかったのですが、これは認識のズレからきたすれ違いだったんだと理解し、相手に見捨てられたわけでも自分がちゃんとできたはずのことを失敗したのでもなく、こうすることしかできなかったんだと気持ちを整理することができました。

どうせ私は「普通」じゃないから普通はどうとかわからないよ、なんて思っていたけれど、わからないからこそちゃんと知った方がいいんだと気付いたし、知りたいと思えるようになりました。

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