見出し画像

36 なるべく挿絵付き 夕顔の巻㉔ 右近の述懐



・ 数日後に全快

それから数日経って、九月の二十日の頃には、源氏の体はすっかり回復しました。
病み上がりで面やつれしているのが却って艶やかな若さとも見えて、美貌は不思議に冴えていくばかりです。
物思いがちで、時に涙から慟哭にまで至る姿を見て、物の怪の仕業かと怪しむ者もいます。

いといたく面痩せたまへれど なかなか いみじくなまめかしくて ながめがちに
ねをのみ泣きたまふ 見たてまつりとがむる人もありて 御物の怪なめり など言ふもあり

・ 右近の物語

静かな夕暮れに右近を召し寄せます。

右近を召し出でて のどやかなる夕暮に 物語などしたまひて

夕顔のことをいろいろ聞きたいのです。

「あの人がどうしてあんなに身元を秘していたのか、私には今でもわからないのだ」「本当に賤しい素姓の者だったとしても、私にこれだけの真実があるのだから、打ち明けてくれてもよかったではないか」
「秘密を明かせるほどには信じてくれていなかったと言うのなら、随分つれないことではないか」

「お隠しになるおつもりなどではなかったのでございます」
「お話しする機会などなかったではございませぬか」
「最初に三輪山の神様のように忍んで来られた時から、
『夢ではなかったのかしら』『あんな貴い御身分の方が、本当にいらしたのかしら』『名乗ってくださらないのは、気紛れな火遊びのおつもりだからなのよね』
と辛がっておられたのでございますよ」

初めより あやしう おぼえぬさまなりし御ことなれば 現ともおぼえずなむあると のたまひて
御名隠しも さばかりにこそはと 聞こえたまひながら
なほざりにこそ 紛らはしたまふらめとなむ 憂きことに 思したりし


・ 源氏の告白と後悔

「なんと意味もない隠し合いをしたものか」「身分を隠しておきたいと思っていたわけではないのだ」「ただ、手引きされて夜這うようなあんなことが私には初めてだったので、そういう時の女との受け答えの作法のようなことを知らなかっただけなのだ」
「軽はずみな真似をして世間に指さされてはならぬと帝からの御注意もある」「ちょっとした過失でも取り沙汰される憚りの多い窮屈な身であるから、皆のような戯れの恋を求めての夜歩きなどしたことがなかったのだ」

「しかし、あの夕顔の花の朧げに白く見えた夕べから、あの人のことが忘れられなくなった」

はかなかりし夕べより あやしう心にかかりて あながちに 見たてまつりしも

「あちこちに無理をしてまで通い詰めたのも、こんな運命だとどこかわかっていたからだったろうか」「そう思うと余計に、あの人が気の毒にも恨めしくも思われるのだよ」「こんなに儚い縁だったのに、どうしてこうまで胸底に沁みるほどに、酷いほどに、あの人は私の心を捉えて逝ってしまったのだろう」
「あの人のことをもっと詳しく教えておくれ」「もう何も隠さずに」
「七日七日の法事の度に仏画を描かせても、今のままでは誰の為にと心中で祈ればよいのかもわからない」

かう長かるまじきにては など さしも心に染みて あはれとおぼえたまひけむ なほ詳しく語れ
今は 何ごとを隠すべきぞ 七日七日に仏描かせても 誰が為とか 心のうちにも思はむ


・ 夕顔の素性

「お隠ししようなどと思ってはおりませんのですが」「主人が黙っていたことを、亡くなられたからと言って慎みもなくお話し申し上げてよいのかわからないのですが…」

「父君は三位中将様でいらっしゃいましたが、

御両親様ともに早くに亡くなられました」
「とても愛らしい姫君ですから可愛がっておいででしたが、御出世も御寿命までも思うに任せず儚くなられました」

「その後、御縁がございまして、今の頭中将様がまだ少将の頃に通って来られるようになりまして、3年程は御誠実なように通って来られました」

「それが、去年の秋頃、あの右大臣様の方からとても恐ろしい後妻打ち(うわなりうち)の予告がございまして」

常盤の宿所襲撃の場面  山中常盤物語絵巻(岩佐又兵衛)より


「世慣れぬお姫様でございますから大層恐ろしがって、西の京の乳母の所にお逃げになったのでございます」
「むさ苦しい所でございましたから山里の方に移ろうとしたところ、今年はそちらは方角が悪うございました」
「それで、方違えのつもりであの五条の賤しい家においでになったところで、殿様のお目に留まることになりましたのでございます」
「侘しい家をお見せしてしまったことを悲しんでおられました」

「少し普通と変わってお見えだったかもしれません。ものづつみなさると申しますか控え目と申しますか、思い悩む様子を見られるのは恥ずかしいというお気持ちのとてもお強い方でございました。
ご気分を表にお出しにならないで、いつも平静に、さりげないご様子でいらっしゃいました。

源氏は、右近の言葉から、夕顔の掴みどころのなさと感じたものの正体を知れた気がして、「そうであったのか」と今更に思っては、いよいよ恋しく思われました。


📌 三位中将

中将は近衛府の従四位下相当だそうです。名家の子には中将でも三位が与えられたそうですので、夕顔は名家の姫君だったということになるでしょうか。

中将の位階

📌 とても愛らしい姫君

📖 いとらうたきものに思ひきこえたまへりしかど 我が身のほどの心もとなさを 思すめりしに
( …御出世も御寿命までも思うに任せず )

三位以上には位封(いふ)というものが公に支給されていたそうですが、まさに源氏物語の時代、醍醐天皇の御代、延喜式の時代に減額されたそうですから、そういった実際の不如意を嘆いていたのか、
高い望みを持てるとても愛らしい娘がいるのに、入内させるには自分の出世が足りないという嘆きだったのか、どちらだったのでしょうか。

📌 後妻打ち(うわなりうち)

大河ドラマで、北条政子が頼朝の愛人の館を襲撃させた後妻打ち(うわなりうち)がクローズアップされていましたが、
『殴り合う貴族たち 繁田信一』という御本に、平安時代の後妻打ちのことが踏み込んで描かれていたように思います。
攻撃側の富と権力によっては、襲撃略奪どころでなく、家人を動員して家屋まで破壊し尽くす凄まじさだったようで驚きました。
先の妻、時には先の夫に許された半ばお咎めもない公認の権利のようだったのも驚きでした。
日時の予告もあったようですから、実家の富と権力が拮抗していれば迎え討つ事態もあったのかもしれませんが、右大臣家と親のいない子では、勝負のしようもありません。
身を隠すほどの恐ろしいいやがらせと言われていることの恐ろしさの度合いが桁外れでした。

貴族社会の近辺で後妻打ちがまあまあ横行していたことが小右記にあるそうですから、式部さんも見聞きし、夕顔はそれがどういうことか知っていたということなのでしょう。

(📖 去年の秋ごろ かの右の大殿より いと恐ろしきことの 聞こえ参で来しに 物怖ぢをわりなくしたまひし御心に せむかたなく思し怖ぢて 西の京に 御乳母住みはべる所になむ はひ隠れたまへりし)

図は江戸時代の岩佐又兵衛の山中常盤物語。常盤御前が奥州の牛若を訪ねる旅の途上、山中で山賊に襲われる場面です。
後妻打ちで襲撃を命じられた下人はこの程度に略奪し放題で、更に家まで壊して意気揚々と引き上げたのでしょうか。

📌 ものづつみ

📖 世の人に似ず ものづつみをしたまひて… 

ものづつみとはどういうことなのでしょうか。
内気というのか誇り高いというのか。
ポーカーフェイスと言うのか貴族的と言うのか。
本心を隠すというニュアンスはあるのでしょうか。

夕顔という人は、元々感情の起伏の少ないぼんやりしてる系の人なのか、平静でいないことを何よりも恥と感じる誇り高い系の人なのか。

「侘しい住まいを恥ずかしがってるなんて悟られてなるものか!」というような戦闘的な人ではなさそうなのですが、どうなのでしょうか。

でも。
勿体ぶって素顔を見せた源氏に対して、ほんの流し目で見て「たそかれ時のそら目なりけり」と無関心に言ってのけた夕顔さんが、現代で言う内気、ということはないのではないかと思ってしまいます。
気を惹く天性の婀娜っぽいテクニックだったのか、一矢報いたい意地悪だったのか、遠慮、忖度、斟酌、ということを知らない根っからのお姫様だけに許された無邪気だったのか。
深窓の姫君には対人技術を磨く必要などなくて、人にサービスで喋ったりしないので、そういうことを、『ものづつみをしたまふ』と言ったのか。

現代の下つ方には想像できないところが多いのかもしれません。

                        眞斗通つぐ美


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?