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車争い なんちゃって図像学『葵』(1~5)③105


・ 御禊の行列の見物に出掛ける葵上

日が高くなってから、それほど大袈裟にもせずに出かけました。
極官の左大臣家ですから、家格に合わせた行列にまでしなくても、自ずと目を引く大層立派な拵えになってしまいます。

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≪立派な源氏物語図 先客を威圧する左大臣家の車列≫

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隙間なく見物人が立て込んでいるところに、遅れて出て行ったので、美々しく整えた葵上の女車の列は行きあぐねることになります。

従者達は、身分ありげな女車が多くて賤しげな者の少ない辺りを見付けて、邪魔な車や人を追い払います

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≪立派な源氏物語図 下々を追い払う左大臣家の従者≫
≪立派な源氏物語図 下々を追い払う左大臣家の従者2≫
≪立派な源氏物語図 下々を追い払う左大臣家の従者3≫

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≪立派な源氏物語図 御禊行列見物の全景≫
≪立派な源氏物語図 御禊行列見物の全景  のうち 左隻側
右側に左大臣家の車列、左側に御息所の車と家従達の乱闘≫
≪立派な源氏物語図 御禊行列見物の全景  のうち 右隻側 御禊の行列≫

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・ 六条御息所の車

卑しからぬ女車の集まっている辺りに、少し使い慣らした網代車で、下簾の趣味などの優れている大変にゆかしい二台の車が並んでいました。
主人は、とても奥まって乗っていて、ごく少しだけ見えている袖口や裳の裾も、幼い人の汗衫も、贅美を尽くしながら殊更に目立たなくしている気配です。

「こちら様はこんな無礼を働いていいような御方ではないぞ」
その車の供の者達は、左大臣家の家従にも臆せず強く言い張って車に手を触れさせまいと抗います。

しかし、双方の若い供人達に祭の酒が回り過ぎていたこともあり、すぐにエスカレートして最早誰も制止することができない状態になってしまいました。
年配の家従が「やめい」など叫んでも、誰も聞く耳を持ちません。

こちらのゆかしい車の主人は、実は、六条御息所でした。
華やかな行列の見物が、何かと思い乱れ沈み込んでしまう日々の慰めになろうかと出て来ていたのです。
車もやつして目立たぬようにして来ましたが、御身分の程は自然に顕れてしまいます。

葵上の供人は、相手が六条御息所と知った上で、嵩に懸かって来ます。
「こちらは左大臣家の姫君様だ」「妾ごとき者にそんな口を叩かせてなるものか」「源氏大将様の御威勢を頼みにしているつもりなのだろうがチャンチャラ可笑しいわ」などと言います。

葵上の供人の中には源氏の家従も混じっていて、おいたわしくは思うのですが、左大臣の家中との面倒事を厭う気持ちが勝って、知らぬ顔をしています。

御息所は、たとえ蔭からでも源氏を見たいという途絶えがちな愛人の未練正妻に見透かされた、という屈辱感に身を灼かれる思いです。

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≪立派な源氏物語図 乱闘1≫
≪立派な源氏物語図 乱闘2≫
≪立派な源氏物語図 乱闘2 4,5扇 葵上の車と馬上の警護、六条御息所の車に襲い掛かる従者達≫
≪立派な源氏物語図 乱闘2 5,6扇 六条御息所の車と劣勢な従者達、押し勝つ左大臣家の従者達≫
≪立派な源氏物語図 乱闘3 六条御息所の車と劣勢な従者達、押し勝つ左大臣家の従者達≫
≪立派な源氏物語図 乱闘3 中央部分≫

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御息所の車は、(しじ)の脚なども折られて、牛を外した後では(ながえ)の置き場もなく車が傾いてしまうので、近くの車の筒こしき)に掛けて、何とか車が傾かぬようにしています。

牛車の部分名称

とてつもなく体裁が悪く口惜しくて、「どうしてこんな所に来てしまったのだろう」と思うのですが、今更取り返しも付きません。
もう何も見ないでこのまま帰ってしまおうと思っても、通りには隙間もなく、出ることも叶いません。

・ 行列の源氏

その時、「見えたぞ!」と言う声がします。

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≪立派な源氏物語図 御禊行列2≫

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一度は帰ってしまう気持ちになったのに、それでもやはり、今来るという声を聞けば、恨めしい人が前を通るのを待ちかねてしまいます。
恋する人としての御息所の弱さでしょうか。

まさか身分を隠したそんな目立たない車で、しかも下々の車の密集した後列の辺りに御息所がいるなどとは、源氏の思いもよらぬことですから、こちらには一顧だにせず通り過ぎていきます。

我が身は笹の蔭でさえないのかと思えて(📖 笹の隈にだに あらねばにや)、御息所の物思いは更に深くなります。

・ 源氏の視線の送り先

辺りの、いつもよりも趣向を凝らした車に我も我もと乗り込んでいる女達が御簾から見せている出だし衣の袖は、まことにまあ、どれもこれも素晴らしく華やかです。
何でもない顔をしながらも、源氏が微笑みながら流し目を送る車もあります。
わけありの恋人達の車でもあったでしょうか。

左大臣家の車は目立ってすぐにそれとわかりますから、源氏はその前は真面目な顔をして通ります。
源氏の随身達も、左大臣家の葵上の車には恭しく敬意を表して通ります。

それを見ている御息所にしてみれば、自分でわざわざ目立たぬようにやつしてきたのですが、正妻の家従によって後列に押し込まれた屈辱感が、源氏にも華やかな随身達にも無視されたことで、更に燃え上がって行きます。

・ 影ばかり見たらしい御息所の身の憂さ

ほんの影ばかりあの人を見たらしいが、一顧だにせずに去った薄情さに、この身の憂さも軽さも思い知らされる
(📖 影をのみ御手洗川のつれなきに身の憂きほどぞいとど知らるる)」
と涙がこぼれて、同乗の女房の目も憚られますが、
この晴れの場での眩いばかりのあの姿を見なければどんなにか心残りであったろうかとも思われて、
脳裏に刻まれて浮かび上がってくる一瞬の麗姿には、やはり胸はときめいてしまい、理不尽にも、僅かに慰められてしまいます。

・ 眩い人

行列の人達は身分に応じて、装束も供人も立派に整えていると見える中で、高位の上達部は格別です。
でも、源氏の放つ光の前では、誰も彼も皆色褪せてしまいます。

随身に、殿上する近衛の将監などが随いているのも異例のことです。
特別の行幸の時などに限られたことで、今日は右近の蔵人の将監が勤めています。
それ以外の随身達も、顔も姿も美しく整えられていて、源氏が重んじられている威勢が顕現して、草木でさえも源氏に靡かぬ者はあるまいという風情です。

壺装束の卑しからぬ女房や世を捨てた尼などもよろよろと見物に出ています。

壺装束

普段なら、そういう人達の物見は見苦しいと思われますが、今日の見物に関しては無理もない当然のことと思われます。
歯が抜けて口元に皺が寄り、髪を衣の後ろに入れ込んでいるような賤しい女達が、拝むように額に手を当てて見ています。
みっともない下賤の男達も自分の顔の見苦しさも顧みずに寿命も延びたとばかりに満面の笑みを浮かべています。
つまらない受領の娘などさえ、精一杯に飾り立てた車に乗ってわざとらしく気取った風で見物しています。

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≪立派な源氏物語図 つまらない人達の車≫

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こんな様々な見物人で通りは溢れています。

縁もない有象無象までそんな様子です。
源氏が忍んで通うあちこちの恋人達は、自分がそういう者達と変わらないその他大勢に過ぎず物の数でもないことを思い知らされたような気がしてしまいます。
あの美しい源氏は幻のようにただただ遠い人なのだと改めて胸に迫ってきて、更に嘆かれるのです。

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・ 桃園式部卿宮と朝顔の姫君

桃園式部卿宮は予め通りに設えた桟敷で御見物です。
朝顔の姫君もご一緒です。

桃園式部卿宮 と 朝顔の姫君

宮は源氏を見て、「御成長につれてますます眩いまでに美しくなっていく人だ」「神さえ魅入られてしまいそうだ」と不吉にまでお思いです。

朝顔の姫君は、何年にも渡って親密な求愛の文を送り続けて来る源氏が世間の人とは違っているのにつくづくと感じ入って、
「これだけの誠実を見せられれば並の人にでも心惹かれようものを、ましてこの源氏君なのだから(📖 なのめならむにてだにあり まして かうしも いかで)」と、心惹かれるのです。
でも、「文の遣り取りだけの安全な距離以上に接近して我を失って、その挙句に棄てられる」というような危険を冒す気にはなりません。

若い女房達は、源氏を、聞き苦しいまでに褒めそやし合っています。

📌 網代車

車の種類

🌺 笹の隈にだにあらねばにや

📖 笹の 桧の川に 駒とめて しばし水かへ をだに見む
  笹のにでも桧川にでも馬を留めて水を飲ませてやってくださいませ。そうしている間だけでも、あなたの姿をほんの少しだけでも、だけでも見たいのです。ただただ心が蔭っていく私です。
※桧隈川(ひのくまがわ)… 歌枕。奈良県明日香村。

🌺 影をのみ見たらし

📖 をのみ御手洗川のつれなきに身の憂きほどぞいとど知らるる
  一瞬映るだけを見たらしいみたらいがわ。あの人の薄情さに、この憂き身は川に浮くほどに軽く儚いのだと思い知らされる。

📌 殿上する近衛の将監

近衛の将監とは、
[9世紀半ばまでは叙爵を受けて五位となった近衛将監が少将に昇進する事例もあったが、以降は、上流貴族子弟のなる少将以上との間に明確な身分差が確立し、将監は叙爵を受けた後に受領に転じるようになる(Wikipediaより)]

📌 蔵人の将監

近衛の将監は、衣冠相当では従六位で殿上に達していませんが、蔵人なので殿上する将監と言うのでしょう。
源氏自身は、紅葉賀の時に既に正三位を賜っています。

この蔵人の将監は、固有名詞的でもあって、源氏に近かった為に出世も見送られ、惟光でも良清でもないもう一人の側近として須磨に随行しています。

『装束着用之図』(国立国会図書館蔵)より、「随身」(前)の図

📌 随身

大将の随身は8人という規定があったそうです。


📌 賀茂祭の行列

こちらの年中行事絵巻の説明には、祭の日について、
数百人が徒歩・騎馬・車駕などで連なる華麗なものでした』とあります。

御禊の行列も、特に、斎院御所に入られる前の御禊の行列は、それに準じる華やかなものだったでしょうか。

📌 御禊の日の大将供奉

『源氏物語葵巻御禊の日の大将供奉 丸山 薫代』という御論文(file:///C:/Users/ritas/Downloads/kr012004.pdf)に、
延喜式に二度の禊の勅使には、大納言中納言各一人参議二人四位五位各四人すへて十二人の勅使なり
と引用してくださっています。
それぞれに数人の随身を連れて、お揃いで威儀を正した上流貴族が12人。
晴れ着を着た随身も数えればそれだけで50人を超えるとは、いかなる壮観であったか。

駒競行幸絵巻(模本)

この図の随身が、車ではなく馬上の源氏を取り囲んで警護するという形でしょうか。

コトバンクの『随身』には、
近衛府の官人。弓矢を持ちを帯び、近衛は徒歩、その他は騎馬。とあります。それで、大将の随身8人のうち近衛は6人ですから、武官として美々しく着飾った源氏を、徒歩6人騎馬2人の随身が警護している形でしょうか。

近衛府の定員

Wikipediaでは、随身は、
大臣大将は8人(府生1、番長1、近衛6)、大納言大将6人(番長1、近衛5)、中納言中将から少将は(衛府長1に小随身2または4)。
とあります。

📌 車争いの部分の源氏物語図は、車とモブ級の登場人物によって壮麗な絵巻が展開されているので、何をしている誰ということを挙げるのをやめて、状況説明のみとしました。

眞斗通つぐ美

📌 まとめ

・ 先客を威圧する尊大な車列、下々を追い払う従者達
https://x.com/Tokonatsu54/status/1711329932046221637?s=20
・ 行列
https://x.com/Tokonatsu54/status/1711332867559796876?s=20
・ 乱闘
https://x.com/Tokonatsu54/status/1711334056556921023?s=20
・ 乱闘、つまらない人達
https://x.com/Tokonatsu54/status/1711334701162746337?s=20


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