見出し画像

23 なんちゃって図像学 夕顔の巻(5)勤行の声 結べない心



・ 痺れるように溺れていくばかりの源氏

裏びれた場末の破れ屋の中にあって、白い袷に淡紫の柔らかな衣を重ねた慎ましやかな夕顔の姿は儚げでとても可憐です。

際立ったところなど特にないのに、手折られるのを待つ花のような頼りない感じで、何か言えばただもういじらしくて震い付きたくなるような可愛らしさです。
『もう少しよそ行きの淑女らしい顔も見せるようになればいいのに』とないものねだりなことも思うけれど、源氏の本当の心はただ、掴みどころもない柔らかさで無心に男を包んでくれるようなこの女と、もっともっとゆったりのどやかに一緒にいたいばかりなのです。

「ねえ、この近くにゆっくりできるところがあるから行こうよ」「ここは落ち着かないもの」と言うと、
「まあ、そんな急なこと」とおっとりと言ったまま女は何をするでもありません。
男慣れしているような房事のことと裏腹に、愛撫のさ中に言う他生の約束に無防備に喜ぶ様子はまるで世間を知らない箱入りの少女のようであったりします。

この世間知に遠い人の意思を尋ねて埒が明くとも思えないので、源氏は構わず、この家の右近に随身を呼ばせて車を引き入れさせました。
右近は夕顔の乳母子です。

この家の者たちは、今では、男が気紛れな漁色家ではなく真面目な恋で通ってくる人のようだと一致して、誰かはわからないままながら頼りにするようになっています。

5 勤行の声

夜明けも近くなりましたが、この辺りには鶏の声は聞こえず、金峰山詣での御嶽精進なのか、老人の礼拝の声が聞こえてきます。
いちいち立ったり座ったりする勤行が辛そうです。
朝露ほどにも儚いこの世の何を願っての祈りなのだろうと耳を澄ますと、「南無当来導師」と、弥勒菩薩の救済を願っているようです。

🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷

≪立派な源氏物語図 朝の勤行の声≫

🌷🌷🌷『朝の勤行の声』の場の 目印 の 札 を並べてみた ▼

📌 勤行する老人の拝む棚に御幣が並んでいる源氏絵がありました。
御幣は神道のものではないかと思ったのですが、仏道の方でも御幣のようなものを飾ることがあり、それは梵天というそうです。
梵天は神社で見る御幣よりも大分ふさふさと紙の量が多いものだそうです。
🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷

・ 五十六億七千万年後の誓い

「聞いてごらんよ」「現世の利得を願うのではなくて、弥勒菩薩様の御来迎を願うお祈りだったよ」と源氏はしみじみして、
「間近の優婆塞のこの勤行の声を頼りにして、来世までも私とのこの深い契りを違えないでおくれ」と詠みます。
(📌 優婆塞… うばそく。在家の信仰者)

源氏は『比翼の鳥、連理の枝』という長恨歌の誓いのままの思いでいたのですが、寵姫が殺され皇帝は血の涙を流された、という死別の悲恋の物語の縁起の悪さを避ける気持ちで、
代わりに五十六億七千万年後の弥勒菩薩御来迎の未来の誓いを求めたのです。
盲目の恋の中にいるとはいえ、まあ大袈裟なことです。

長恨歌絵巻 狩野山雪 ( チェスター・ビーティー・ライブラリ 蔵 )
弥勒菩薩来迎図 (奈良国立博物館蔵)

・ 行き違う 

女は「前世の因縁で現世がこんなに辛いのに、まして来世のことなんて」と返します。
頼りないのは女の歌を詠む才なのか、運命なのか。


・ 夕顔の拒絶

📌 歌の才がないのでこんな歌を返したと文中で言われていますが。
来世までの誓いを求めた男に対して明確な拒絶を返しているように見えます。
薄っすらとは身元に気付いているであろう貴公子の熱烈な求愛の中にいて、自分は不幸だと高らかに言っちゃってます。『前の世の契り知らるる身の憂さに』
下の品と侮りながら、誓えるもんですかと返す女を咎めることもしない源氏の片恋の盲目に対して、
夕顔のクールさが際立つように見えてしまいます。

17歳の源氏に対して、既に子供まで産んでいる夕顔は19歳です。
その場限りの恋の儀礼的なお世辞も言いません。
人の情愛を解さないほどのおっとりした幼さと読むべきなのか、
子の父親である頭中将だけを愛しているから源氏には心を開かないと読むべきなのか、
愛していると言いながら放置した頭中将を含む男への、19歳にして深く刻まれてしまった根本的な絶望と読むべきなのか、
自我の掴みようのないような表に見える柔らかさと裏腹の、公卿の令嬢としての強い矜持が芯にあると読むべきなのか。

性的魅力と果てしない受容の人と見えて、実は、掴みどころなく謎めいたミステリアスな女として、夕顔は源氏を虜にしたのかと思われてきます。

📌 それとも、夕顔の心があんなことやこんなことで冷淡だと些末なことを言っているのではないのでしょうか。
夕顔その人というよりも逃れ難い運命の象徴としての夕顔に、人の子である源氏は到底抗うことができない、と示し続けているのでしょうか。
夕顔の、儚いようでいてとても歯が立たないような不思議な存在感とは、運命そのもののパラフレーズである、というようなことなのでしょうか。

📌 五条の朝の老人の勤行から、いよいよ、源氏の一方通行の片想いであることが折に触れ語られていくような気がします。


                        眞斗通つぐ美

📌 まとめ

・ 勤行の声
https://x.com/Tokonatsu54/status/1711193836511477924?s=20


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?