マンチェスター初訪問での肌感覚

ロンドンから列車に乗って、そのまま会議が行われるマンチェスター聖堂に向かった。ここのOld Libraryを集会のために予約してしまうセンスがすばらしい、というか、ここを会議の場として当然に使えてしまうのがウィリアム・テンプル財団だ。
というわけで、私のマンチェスター体験はサッカーでも産業革命でもなく、この聖堂からスタートすることになった。

私を知る皆さんには意外かもしれないが、私は集会とか会議とか、複数の人々の集まりが実は苦手だ。図書館や個室で読書をしているときのストレスレベルを0とすると、集会のストレスは100点中70点だ。もっとも、多かれ少なかれ誰でもそうかもしれない。そしてこれも意外かもしれないが、私はそれほど英語が得意ではない。帰国子女ではないし(これも誤解されることが多い)、確かに日本人としてはうまく英語を操れる方だとは思うが、ロンドンやNYCのような国際都市では英語力は前提としての力であって、それ以上のもの、個性や独自性、観察力や分析力、それらを説明する表現力が求められるのが常。

非ネイティブが英語圏でプロフェッショナルとして生きるにはハンデがあるのは事実だ。これは若い頃から経験してきたことなので慣れたといえば慣れてしまったが、アカデミックなネイティブ知識人たちとの間にある、深く埋められない溝に苛まれているのが常だったりする。めざせロバート・キャンベルさんの逆バージョン、なのだ。

何が言いたいのかというと、ロンドンからマンチェスターへの旅の疲れと会議での集中力で、今、大変疲れているということだ。昨日もロンドンで初顔合わせの人たちとの会議があったし。そんな中でマンチェスターに抱いた初感想なので、もしかしたらズレているかもしれないが…

先の二つの大戦について、日本人にとっては第二次大戦のインパクトの方が大きいと思うが、イギリス人にとっては第一次大戦のインパクトが大変大きいように思う。もちろん第二次のそれが大きいのも確かなのだが。たとえば大戦時の日本軍の残虐性について話題になった時なども、「実は私の(ひい、または)じいさま、日本軍の捕虜にされたんよ〜」という話も2回くらい聞いた。その都度「ごめーん、なんとお詫びしてよいやら」「いやいや、あなたのせいじゃないし」という具合。

閑話休題。マンチェスターの1日で感じたことは、それ以上の第一次大戦のインパクトだ。たとえばマンチェスター・ピカデリー駅前のこの像。

聖堂にも(マンチェスターに限らず)戦没者への名入りの記念碑が、必ず建てられている。大学にもそれがある。

トーニーが、ここマンチェスターの連隊から出征したという事情も、その思いを抱かせることに手助けしているかもしれない。

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