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愛しの上海 de ロックダウン 回顧録 #3

2020年3月初旬某日、昼前に上海虹橋空港に到着した。機内に防護服を着た職員が入って来て、各乗客のパスポートを確認。誰もが押し黙りひたすら着席したまま次に何が起こるのか恐怖と好奇が入り乱れる。1時間弱で機外へ出れた。その数日前に中華系航空会社で夜中に上海に到着し、機外へ出れたのが明け方という情報もあったので、我々は比較的早くて助かった。

空港内では航空会社スタッフ、空港職員、税関職員などありとあらゆる人々がゴーグル付きの頭からつま先までの完璧なる防護服に身を包んでいた。その後1人1人ブースに入り、検温や問診などの健康チェック、住居や連絡先などの個人情報を開示し、何らかの区別の為に色分けされたシールをパスポートに貼られた。その頃日本から到着した乗客は14日間の強制隔離が義務付けられていた。住居が隔離に適さない場合はホテル隔離となるが、我々は住居での隔離が認められた。隔離同意書へサイン。イミグレーション。そして荷物を受け取る。その時防護服を着た職員が近づいて来てスプレーでスーツケースを消毒液まみれにした。ダンボールを持った乗客はダンボールが変形してしなびる程消毒液を吹き付けられていた。

税関も終えて到着出口へ着くと、上海市内の各区名や市外名が記載されたブースがあり防護服を着た沢山のボランティア達が入国者達を待ち構えていた。自分の区のブースに行くとまた書類にサインをした。3人のボランティアに囲まれて荷物を持たれて駐車場まで連れて行かれ、バンに乗せられた。後から思うに、逃走防止で囲まれたのではと。他にも同じバンに乗る同じ区の住民を待つ事長らく1時間半。その間深センの奥地から上海の自宅に一足先に戻って来れた夫から新情報。マンションの下にナースが何人か来てる。君達の隔離に関係あるんじゃないかと。まさか、上海に到着したばかりでまだ病院や行政と情報共有されていないはずだと思った矢先、知らない番号から着信。女性の声で今あなたの家の下にいるけど、いつ着くかと。そう、そのナース達だ。こういう時の伝達は中国は恐ろしく迅速だ。まだ空港の駐車場で拘束されているから分からないと返答したが、その後30分程でマンション入口に着いた。飛行機が空港に到着してから既に5時間程経っていて夕方になろうとしていた。

マンション入口でやや疲労感を見せた夫が待っていた。私達と目が合うとその目は優し気に微笑んだ。1週間の日本一時帰国の予定が6週間経っていた。

つづく

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