mekakushe『あこがれ』

“失くしたいから 愛したいから 人は旅にでるの”
(ジオラマ)

“転びそうになったのは宇宙に向かって背伸びをしたから”
(COSMO)

“あなたがドライヤーをしてくれる間に 戦争が起きた”
(スイミー)

mekakusheは素晴らしい音楽家であると同時に、魅力的な詩人でもある。彼女の言葉は物悲しいが純粋で、夜空を流れる星のように煌めき、それでいてドキリとさせられる鋭さがある。透明感のある声質は、聴いているだけでジュブナイル小説の物語が浮かんでくるようだ。浮かんできた言葉を日々書き溜めていき、詞先で曲を作るというmekakushe。彼女のリリックは、メロディに乗りエッジなエレクトロニクスと同居することで、卓越した音楽として生まれ変わっているように思う。

2月にリリースしたアルバム『あこがれ』は、mekakusheの音楽性をぐんと飛躍させた作品である。長らく制作のパートナーを務めてきた野澤翔太とのタッグを解消し、曲毎に異なるアレンジャーを配す方法へとシフト。こうした制作の変化が、作品のカラーに直結したのは間違いない。前作(『光みたいにすすみたい』)までに見られた統一感のあるサウンドデザインは霧散したが、その代わりに手にしたのは奔放で色彩豊かな音像。そして比重を増したエレクトロサウンド……まるで箱庭的な世界から飛び出し、刺激的なビートが飛び交う外界を、存分に謳歌するような先鋭的なポップアルバムである。

新たにアレンジャーとして参加したのは君島大空、ハヤシコウスケ(シナリオアート)、管梓(For Tracy Hyde)、cosmomuleの4人(既発曲である「泣いてしまう」、「COSMO」は野澤翔太が担当)。なるほど、根幹にあるメロディと言葉に添いながら、その表現のレンジを広げることのできる人選である。

君島大空がアレンジ、ミックスを手掛けた「きみのようになれるかな 」が、のっけから素晴らしい。出自にクラシックを持つmekakusheが弾く心穏やかな鍵盤と、か細い音色のエレクトロニクスが絡み合う楽曲である。が、中盤からは軽快なドラムが加わり、背中を押していく。この爽やかなバンドサウンドに関して、本人に「くるりみたいですね」と尋ねたところ、実際にインスピレーションのひとつに「ばらの花」があったことを教えてくれた。

Corneliusを愛聴し、エレクトロサウンドと生音の調和にも関心があるという彼女の理想は、全編を通してグッと押し進められているように思う。ハヤシが編曲した「グレープフルーツ」や「ボーイ・フッド」も、とりわけそうした傾向が表れた楽曲だと言えるだろう。自身のバンド活動のみならず、近年では蒼山幸子のプロデュースなどでも力を発揮している彼は、mekakushe流のシンセポップに開放感を与えている。繊細な心情と溌溂とした音像(そしてきっぷのいいノイズ!)、それらが同居しているところに本作の要点があるのだろう。

中盤の「ジオラマ」、「COSMO」、「スイミー」こそが本作のハイライトだと言い切りたい。まずはcosmomuleのアレンジ、ミックスで完成した「ジオラマ」である。サウンドそのものに詩を感じる1曲で、彼が作るトラックは路地をひとり歩く猫のように寂しそうだ。『光みたいにすすみたい』の名残を感じさせる、柔らかくふわりと浮き上がるような音像の「COSMO」も、気づけば何度でも再生してしまう佳曲である。そして何より......管梓がアレンジを手掛けた「スイミー」は、紺碧のオーロラに包まれるような美々としたシューゲイザーだ。ロシアのウクライナ侵攻のニュースをきっかけに詞が浮かんできたという本曲は、その抒情性と音の美しさという点で、彼女のキャリアでも屈指の1曲になっている。

また、同じく管梓が編曲を行った「綺麗な」も、綺麗過ぎて悲しくなるような楽曲である。光の鍵盤やギターを弾いているんじゃないかと思うような発光するサウンド。スケールを感じさせる曲調と、それでいて閉じた世界を思わせる内省的なリリック......“光の方へ ただ歩くのよ”というフレーズからは、この作品に通底するテーマのようなものを感じてしまう。

実際本作のタイトル『あこがれ』も、前作の『光みたいにすすみたい』も、言うなれば同じことを示しているのだろう。mekakusheの創作はたぶん、「憧れ」をエンジンにして駆動しているのである。そしてその祈りの儚さと切実さこそが、この音楽の美しさを支えているように思うのだ。電子音と生音が同居するように、悲観的な想像とそれに抗う懸命さが、一つの音楽の中で拮抗しているのである。


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