ギリシャラブ『魔・魔・魔・魔・魔』

闇の儀式の詠唱かと思った。<魔魔魔魔魔〜>という男女混声コーラスから始まるこの音楽は、素晴らしいことに、そしてあるいは不気味なことに、これまで以上に“ダンス”の要素が際立っている。もちろん、歌われる歌詞はこれまで通り軽薄なまま。どうせ<ぼくらはただの物>なんだし、どの道<快楽だけが人生>なのだから、この空虚な一生を踊り明かそうじゃないか。心なんか悪魔に売っちゃってさ。というサジェッションが聴こえてくるようである。

『魔・魔・魔・魔・魔』はギリシャラブの4作目のアルバムで、3人体制になってからは初のアルバムである。前作『ヘヴン』から1年半のスパンとはいえ、少なくない変化を経ての創作だったと言えるだろう。天川悠雅のブログには、「バンドアレンジは今回、メンバーが過去最高にがんばってくれました」と綴られている。土台を作り込んでからメンバーに渡すことが多かったことを思えば、ふたりのメンバーが抜けても同じ作り方はできたはずだが、キャリアを経るごとにバンドとしてのまとまりができてきたのかもしれない。恐らく上音の多くを担っているであろう、取坂直人の貢献は大きいはずで、守屋咲季のコーラスも以前よりもずっと存在感を持っている。

『イッツ・オンリー・ア・ジョーク』→『悪夢へようこそ!』→『ヘヴン』→『魔・魔・魔・魔・魔』と、どことなく1作ごとに明と暗をぐるぐる回っている気配のあるギリシャラブである。のほほ〜んとしている間になんとなく気持ち良くなっていくような前作に比べると、『魔・魔・魔・魔・魔』はハナから適切な闇と快楽を与えてくれる音楽だ。<人間のふりした獣たちが群がる乱行パーティ>(「聖者たち」)というのがこの音楽の世界観であり、<淫乱・快楽・不摂生>(「退廃万歳」)というのがこの音楽のテーマだろう。「The DoorsとDirty Projectorsが歌謡曲にハマったら......」と、『悪夢へようこそ!』のリリース時のインタビューで書いてみたが、今作ではThe Pop GroupやXTCが日本の歓楽街で出会った感じ。卑猥なポストパンク、倦怠のサイケポップ、自己陶酔の歌謡曲......堕ちていく僕らのためのサウンドトラック。

鋭角に刻まれるギターが印象的な「キス・ミー」、重厚感のあるサウンドからサビで奇怪なリズムへと変形していく「天真爛漫天国天使」と、80年代ポストパンク/ニューウェイブからの影響はのっけから現れる。そして最初のハイライトが「退廃万歳」である。<退廃万歳/倦怠礼賛/放蕩上等/散財万歳>......という正気とは思えないリリックが(しかも歌詞には最後まで漢字しか出てこない)、甘いメロディと歪だがとびきり踊れるリズムでやってくる。早送りして再生するように突然テンポアップする強迫的な中盤も、生き急ぐように生きている我々にはおあつらえ向きだろう。もし私があの世に行ったなら、閻魔大王には「人間の実態です」と言ってこの曲を流したい。

曲の構成で言えば「タイムラプスの庭」も印象的だ。ソリッドなギターで始まるロックンロール.…..かと思えばぬるま湯に浸かるようなだらしないメロディが差し込まれ、それらが交互に入れ替わっていく(この行ったり来たりする感覚は、天川悠雅の創作を象徴する構成であるように思う)。夢を見るような音色で<王子が死んだのは君のせいさ!>と告げる「ジャズ・エイジ」を終えると、本作2度目のハイライト「聖 / 俗」が待っている。

このアルバムのダンサブルな側面を表す楽曲と言えるだろう。「キス・ミー」の<魔魔魔魔魔>と対をなす<聖俗俗聖俗聖俗聖>というコーラスを持つ「聖 / 俗」は(見ているとゲシュタルト崩壊)、80’sのエレクトロポップが憑依したような音楽である。嘘くさいほど煌びやかなシンセサイザーが魅惑的で、守屋のコーラスもなんだかイカサマっぽい良い味を出している。酔っ払ったような足取りを感じさせるダブ・アレンジの「人工の天国」、サイケデリックなシンセの中で動物たちがまぐわう「聖者たち」は、本作の中でも一際惹きつけられる楽曲だ。

<ぼくらはただの物だから>、<マネキンとキス>、<ぼくらは人形失格>など、『魔・魔・魔・魔・魔』の世界においては生命と人工、人間と動物、生者と死者の境界はほとんどぼかされている。みんな生きているのかどうか判別がつかないが、かと言って死んでいるようにはとても見えない。万物は出会い、踊り、そして情事を重ねる。常識は反転し、この世の憂さを晴らすように実態のない賑やかさに興じるのだ。奇妙な夢である。だが、正論で雁字搦めの現実よりはマシだろう。<趣味は悪いほどいいのさ>(「聖 / 俗」)。その通りだとも。


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